第13話 とぼ歩くいつもの道


夕闇が迫るのを感じた。

青とも黒ともつかない空は今日という日の終わりが近いことを告げているようだった。

さっき降った通り雨がそこかしこに水溜りを作っていて、この薄闇の中では歩くのにも用心をしなければならなかった。

久しぶりに歩く故郷の道は、世界から取り残されたかのように一切の変化を許さない。あの時と今を重ねて透かして見たら、年を重ねて大きくなった自分だけが幼少期の自分とぶれて映るのだろう。

このまま闇が辺りを包めば、自分を包み込んでしまえば、

やがて自分の輪郭は闇に溶け始めて、あの頃の風景と同一化してしまうのだろう。まるでこれまでの営為などなかったかのように。


戻るのも悪くはないかな、そうも思った。


あの頃は楽しかったし、何より若かった。輝く明日があった。

「末は博士か大臣か」口癖のように呟きながら頭を撫でてくれた祖母はもういない。もし今会うことができたなら、実は博士号を取るのはそんなに難しくないんだよと伝えたい。

近くの草むらで牛蛙が鳴いている。あの特有の声で、あの頃と寸分違わぬ調子で。もしかしたら姿が見えないだけで、あの時鳴いていたやつと同じかもしれない。自分がここを離れていた間も、この季節になるといつもと同じお気に入りの場所で「げこげこ」やっていたかもしれない。


変わらないわけにはいかないよな、そうも考えた。


あの頃に比べると髪はすっかり白くなったし、皺も増えた。

最近は記憶力だって自信がなくなってきた。

少し無理をすれば肩で息をしなければならない。

それでも改めてこれだけの時を過ごしてきたことが信じられなかった。

書類かなんかに自分の年齢を書くたびに、それがただの数字にしか見えなかった。その数字に見合うだけの「重み」みたいなものが実感を伴わないのだ。


ここまでやってきたんだよな、そう感じた。


後ろを振り返ればぬかるんだ道に自分の足跡が点々と続いている。薄暗い中なので判然としないが、もちろん闇に沈んだ向こうにだって今も足跡は残っているのだ。この足で歩いてきたのだから。いや、もしかしたら誰かが歩いた側から足跡を消して回っているかもしれないと、ふと思いついた。

試しに少し逆走をしてみた。さっきつけたばかりの足跡を踏まないように、ちょうど長距離走を走る選手が大きな赤いコーンで折り返しをするかのように。足跡はいつまでも続いていた。


やがて終わりがくるのかと、不安に襲われた。


自分はここまで平穏無事にやってきたかのように思ってきたが、実は自分が歩いてきた一本道には常に横道に逸れる機会があったのではないかと思った。ちょうど目の前の道のすぐ側が側溝になっていて、その先がなだらかな坂道となり、その先に水の張った田圃があるように。どの瞬間転げ落ちてもおかしくはなかった。もっと言えば、自ら落ちてもかまいやしなかった。


でも、僕はここまできたんだと、自信が湧いてきた。


横道は確かにあったかもしれない。その都度これでいいのかと思ってきたに違いない。でも今こうして振り返ってみると、これでよかったのだと思う。

牛蛙が変わらず鳴き続けるような、平坦で起伏の少ない道だった。でも自分だけが歩んだ道だった。僕はこの道が好きだ。


遥か遠くにぽつんと灯りが見えてきた。


僕の道はもう少し、続く。




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