第10話 笑って、笑って、笑っちゃえ
「はーい、こっち向いてー。よーしじゃあ、口の中の歯を全部見せるくらい、いーって笑おうか!いくよー、ほら田中くんこっち向いて!ブーブーが気になるのはわかるけど、ほんのちょっとだけだから!はい、いくよ!3、2、1ハイチーズ」
蝉の声が青空に染み入る、とんでもなく晴れた夏の日だったと記憶している。
いや、実際にはあの日撮影された写真を飽くることもなく眺めてきたから、思い出が補完されているだけかもしれない。少し日焼けしたカラー写真には7人の園児が写っている。
結局、田中くんの視線は公園の外を走る車に向けられているし、隣のカヨちゃんはまだ半べそをかいたままだ。お世辞にも可愛いとは思えない顔をしている拓ちゃんが、今では警察官だっていうんだから本当に人生は何があるかわからない。密かに恋心を寄せていたサキちゃんは先生に言われたとおり、全部の小さな歯を覗かせるように口を大きく開けて笑っている。そして右端に立つ僕。おずおずと顔を出す白熊の赤ん坊のような歯を薄い唇の間から覗かせている。目は半開きになっており、隙間から見える黒目には何の感情も浮かんではいない。客観的に見て笑顔には見えない。
僕は昔から笑うことが苦手だった。
特に、人から笑ってと言われると途端に自分が今どんな顔をしているのだかわからなくなってしまう。
「笑って!」
「楽しくないの?」
「どうしてそんな顔をするの?」
「嫌なことあった?」
「俺が何かした?」
「なんだよ」
「つまんねえやつ」
「気味が悪い」
「ねえ、ほっとこうよ」
「大丈夫?お腹痛い?」
「あっちいけよ」
「気にしなくていいんじゃない?」
人々は実に様々な顔をして話しかけてきた。
猿が威嚇をするみたいに、白く輝く歯を見せつけながら「私は楽しんでいますよ、だから笑っているんですよ」なんて言われても到底信じられない。
きっと奴らは敵なのだ。
僕とは違う感情表現方法でコミュニケーションを図っているに違いない。そう思うこと幾星霜。
詰まるところ、人の表情が理解できないのだ。
なぜこんなにも人々は顔を変化させないと、誰かと関わることができないのだろう。そんなことをいつも同じ「にゃんだり顔」(これは小学生の頃に僕に付けられたあだ名だ。なんとも言えないニヤケ顔を揶揄したものだ)をしながら考えていた。
表情の変化とは詰まるところ筋肉のあり方の問題である。さっきまではここにいた筋肉が、筋に引っ張られ薄く伸びたり厚く腫れぼったくなったりして、皮膚の上に波の起伏を作り上げる。半月型に型取られた目は目尻に深い皺を寄せあげ、それに付随して唇は裂けんばかりに引き上げられ、固く閉じていた扉がぎぎぎっと開き、白い歯が顔を出す。人によっては口角の両サイドが落ち窪み、笑窪なんぞと呼ばれるものまで作り上げる始末だ。馬鹿馬鹿しい。実に腹立たしい。これらは全て表面上の問題だ。机に置いたリンゴに肘が当たって下に落ちて凹んでしまうのとなんら違いはない。どれも表面的で、客観的観測可能な一現象に過ぎない。なのに、人々は笑顔がないとその人は楽しんでいない!と内面の判断を下してしまう。どうしてだ。ただ表面に現れずとも内面では満開の楽しさを享受しているかもしれないではないか。浮き足立つような心のわくわく感を抱えているかもしれないではないか!なぜ、人々は見かけで判断をするのか。してしまうのか。なぜ内面をハナから見えないものと切り捨てて諦めてしまうのか。僕にはわからない。理解もできない。顔は笑っていない。
「あなたも人々を表面的に切り捨てているわ」
違う。僕は笑わない。
あの浅薄な笑みを貼り付けた仮面のような奴らとは違う。
「仮面だって表面に浮かんだ一瞬を固定化させたものに違いないわ」
その固定化をしているのは奴らじゃないか。どいつもこいつも紋切り型の同じ笑み。同じ感情。同じ思考。反吐が出る。
「あなたは彼らが憎いの?」
ああ憎いさ、心の底から呪ってやりたいくらいだね。奴らがしてきたこれまで全てと、今も振りまくあれらの全て。そうしてこれからも止むことなく続く奴らの全てが憎い。そこに入れぬ自分も憎い。全てが憎い。
「でもあなた、笑っているわよ」
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