第2話 始まりはいつだって偶然が呼んでくれる


「ま、真凜ちゃん……?」

「ええ、真凜よ」


 私が名前を呼ぶと真凜ちゃんはその青くて大きな瞳をぱちくりと動かした。


 か、かわいい……。


 見た目はすっごく大人っぽいのにその幼い仕草は本当にずるい。胸がきゅうーってなる。


「職員室ってどこかしら?」

「あ、職員室、ですか……え、えっとぉ……」


 突然尋ねられて私は言葉を詰まらせた。


「こ、こっち……です……」

「ええ、ありがとう」


 うひゃー……あのマリンちゃんが私の直ぐ後ろにいる!


 これは夢なのか!?


 そう思っても仕方ないよな!


「この学校、結構綺麗ね」

「そ、そうですかね……」


 私にとってはそれどころではない!


 って、もしかして私って今あのマリンちゃんと会話してる!?


 自分の推しと会話できるとか……今なら加瀬さんに会っても逆にボコしてやれる自信が、ある!


「貴方、名前はなんていうの?」

「ひゃ、ヒャい!?名前ですか?」

「ええ、名前よ。あと同学年でしょ?敬語じゃなくていいのに」

「ええ!タメ口!?いいの、かな?」

「いいに決まってるでしょ。私から提案したんだから」

「わ、分かった……。えっと、2組の明日野未来だよ……よ、よろしくね?」

「ええ、よろしく」


 握手を求めていいのか迷って手をプラプラさせてたらマリンちゃんの方から私の手を握ってくれた。


 実際に触れたマリンちゃんは当然ながら暖かくて。


 夢にまで思っていなかった推しとの握手がこんなに簡単に手に入ってしまった。


 私の方からも少しだけギュッと手に力をこめてみる。


「っ!?」


 マリンちゃんの手、どうしてこんなに――――


「改めて私も自己紹介しなくてはね」

「いや、知ってるから!」


 思わずツッコミを入れてしまった。


 でもそれくらい私はマリンちゃんに熱中してるってこと。


「それはキャラクターとしての私でしょう?」


 サラリととんでもないことを言うマリンちゃん。


 きゃ、キャラクター……返す言葉が見つからないよ……。


「そ、そうだねー」

「じゃあ改めて。転校生の湊川真凜です。好きなことは……そうね、歌うことかしら」

「おお、流石アイドル……」

「あのアプリでしか活動してないけれど、それってアイドルって言えるのかしら?」

「さぁ……それは見る人次第じゃないかな……レジェドル、なんて呼んでる人もいるし」


 確かそのラインがよく分からないから『Legendary iDOL Project』から生まれたアイドル、略してレジェドルって愛称が生まれたとかなんとか。


「職員室、結構遠いわね?」

「ん?ああ、あとはこの角を曲がればすぐだ――――」


 ちょうどそう言って曲がろうとした瞬間誰かと衝突しその衝撃で私は尻餅をついた。


「いてて……あの、ごめんなさい、前見てなくて……」


 同じように相手も転んでいたようなので、急いで駆け寄って謝罪する。


「オイ、ふざけんなよ」


 私が近づこうとした瞬間にその人は立ち上がった。


 ああ、最悪だ。よりにもよって。


 ぶつかった相手が加瀬さんだったなんて。


「テメェ、ケンカ売ってんのか?」


 胸ぐらを掴まれて勢いよく壁に押される。


 加瀬さんは戸惑う私に一気に顔を近づけ圧をかけてくる。


「いや、別に、わざとじゃなくて……」

「わざとじゃなくてもこっちは痛かったんだよ、オイ」


 また壁に体をぶつけられる。


「お前、本当いい加減にしろよ?何も出来ねぇくせに迷惑ばっかけやがって」

「あ、と……」

「なぁ、金だせよ、カ、ネ。お前みたいなゴミに唯一できることを提示してやってんだよ。とっとと金出せよ」

「……い、あ…………」

「だからなんか言えよ!!!」


 思いっきり壁に叩きつけられる。


 その振動に体の中はジェットコースターのように揺れて私の意思を砕いた。


 ポケットから財布を取り出そうとするもぶつけられた肘が痛くて上手く動かせない。


「ちっ、おっせぇな……ここまできたらこうするしかねぇよなぁ!」


 加瀬さんが右手をおおきく振りかぶる。


 ――――その瞬間。


 バチン!!!


 何かが弾けるような音が聞こえた。


 うっすらと瞼を上げるとそれは私の予想を大きく超える光景だった。


「貴方、さっきから聞いてればどうしようもないほどのクズね」

「ッ!誰だよ、テメェ!」 

「貴方なんかに名乗りたくもないわ」


 頬が赤くはれた加瀬さんはそんなことなど気に留める様子もなく真凛ちゃんに捕まれた右手を振り解くと、猛獣のように睨んだ。


「金、だったかしら。いくら出せばいいのかしら?5000円?10000円?まぁ、貴方程度にそんな価値ないと思うけど」

「チッ、ムカつく野郎が……!」


 2人の視線がぶつかる。


 長い沈黙がこの重たい雰囲気を生み出していた。


 そして、沈黙を破るように加瀬さんが動いた。


 電光石火の勢いで真凛ちゃんの懐に入ろうとしたところで――――。


「加瀬!止めろ!」

「阿良!?」


 息を切らして近づいてくる阿良さんの忠告を聞き動きを止める加瀬さん。


「ソイツに手は出さないほうがいい」

「はぁ?何でだよ……こんなムカつく野郎……」

「ソイツ、ネットでちょっとした有名人でな……騒ぎにされたら不味いんだよ……」

「チッ…………」


 加瀬さんは眉を八の字にして不快感を全面に出し舌打ちをしてくる。


 そんな加瀬さんを阿良さんは手を引きこの場を去っていった。


 阿良さんに手を引かれ撤退することを決めた加瀬さんは最後の抵抗と言わんばかりに私たちを睨んで去っていった。


「立てるかしら?」

「ああ、う、うん……何とか……」


 加瀬さんに手を差し伸べられやっとの思いで立ち上がる。


 体を支える足は情けなく震えていた。


「ああいう人ってどこにでもいるのね……」


 世間話をするように真凛ちゃんは冷たく呟いた。


 その姿からはいつもの凛は感じられず、氷を溶かし尽くしてしまいそうな熱気が声音から伝わってきた。


「真凛ちゃんはさ、怖く、ないの……?」


 震える声で、平然と立ち尽くす彼女に私は質問した。


「そうね……怖くない、訳じゃないわ」

「じゃ、じゃあ何で……」

「私は私で居たいから、かしらね」

「え?」


 予想外の言葉に私は聞き返した。


 それでも真凛ちゃんは微動だにせずに答えた。


「いつかの私が思い描いた自分の背中をずっと追いかけてるのよ」

「…………」

「その私ってカッコ良くて。優しくて、器用で、そして何よりね……」


 髪をかき上げながら最大級の笑顔で真凛ちゃんは私に言った。


「すっごくキラキラしてるんだ!」


 強い風が吹いた気がした。


 もしかしたら時が止まったのかもしれない。


 それぐらいに鮮やかで衝撃的だった。


「ちょ、明日野さん?どうして笑ってるのかしら?」

「いや、笑って、なんか、ないよ……!」

「絶対笑ってるわよね?それ」


 真凛ちゃんは耳まで真っ赤に染めておどおどしてた。


 そんな珍しい姿にまたしても胸がきゅーっと熱くなる。


 ああ、そっか。


 ちっぽけなことに気がついて私は軽く吹き出した。


 私は何を勘違いしていたのだろうか。


 真凛ちゃんもどうしようもないぐらいに女の子なんだ。


 画面越しでは気づかなかった新たな魅力に、私は笑いが止まらなかった。

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