第10話

「何処へ行くの…?」


泉姫に手を引かれミアは森の中へと導かれる。

木漏れ日に反射して煌めく銀髪に目を奪われながら辿り着いたそこは泉だった。

普段は王族とその側近しか立ち入れない秘匿とされた場所だ。

木々の中に、さほど大きくない泉がある。泉は澄んだ水色で木の合間から一筋の光を受けてキラキラと煌めいている。

姫の瞳と同じ色の輝きを放つ水面は神秘的だが、どこか恐ろしくもあった。

あまりにも美しく、どこまでも透き通った底の見えない泉の中へと吸い込まれそうだ。


「こっちへ」


姫は泉の側へミアを導くと膝を着き隣にミアを座らせた。そして徐にワンピースのポケットの中から小型のナイフを取り出し自身の掌を傷つけた。


「え…?ちょっと、何して…」


姫の小さな手からポタポタと鮮血が流れて水面に赤い波紋が広がる。

すると、姫はミアの手首を掴んで水の中へとその手を浸した。

ミアが戸惑い言葉を探すうちに泉がパァァァーッと眩い光を放つ。

思わず目を瞑ってしまうほどに眩しい光は一瞬のうちに消え去り辺りにまた静けさが漂った。

一体何が起こったのだろう…ミアが驚愕していると、姫は儚い笑みを浮かべて彼女に「もう、痛いところはない?」と問いかけてきた。

ミアはハッとして自身の体を確認してみるとあちこちにあった傷が全て痛みと共に消えていた。


「あ…っ、あぁ…」

馬鹿な、そんな事あるわけない!あり得ない状況に手が震え、ミアは姫の顔を見て恐怖した。


「ば、化け物が…っ!」

怯えたミアの瞳に映る姫の悲しげな顔。

初めて体験した魔法に混乱し口から吐いて出た酷い言葉を残してミアは堪らなくなり駆け逃げた。

どうやって森を抜けたのか、無傷になって兵舎へ戻って来たミアを兵士達がどのように見たのか覚えてもいない。

ただミアは震える体を薄汚れた毛布に包ませて無理矢理に目を閉じる。

コレは全て夢なのだとー…


夢物語なら奇跡と呼べる力も、

実際に体験して知った。


(アレは何だった?

姫が泉に捧げていたものは『祈り』でなく、『鮮血』だった。)


あの少女の生き血を吸って泉の力が引き出されるのなら、それは祝福ではなく呪いではないのか。

それでは、まるで姫は泉の生け贄だ。

子ども達に言い伝えた都合の良い絵本の内容は大人達が作った紛い物か。

そう、ミアは知った。

この国の大人達が姫を敬愛しない理由を。

王族であり、祝福の姫として国民に披露しない本当の理由を。


「あの子は生け贄…」


口に出すと何とも言えない苦い感情が込み上げた。

『加護の国』『奇跡の国』他国からそう呼ばれ一目置かれるリノアヴェールに産まれた事が唯一の救いだと思って生きてきた。

その想いが崩れていく音を聞き涙を流しながらミアは眠りに落ちた。


-----


翌朝、ミアはあの泉にいた。

まだ足は震えていたけど、姫に会いたかったのだ。

酷いことを言ってしまった姫の哀しげな瞳が忘れられない。

泉の近くにポツリと建つ小さな木屋の窓を覗くと中はベッドと机があり、こじんまりとしたキッチンがあるだけで人の気配は感じられない。

兵舎にある自分の部屋と変わらぬ殺風景さだが、さすが女の子と言うべきか部屋のあちこちに野花がレース編みの作品と共に飾られている。


「私に何か用?」

「うひゃゃぁぁぁっ!!」


覗き見する背後から声がしてミアは肩を大きくびくつかせ奇声を上げながら振り向いた。


「あら、あなた昨日の子ね。」

「あ…っ、あの…昨日は、どうも…」


考え足らずで来たせいで何の会話の切り出しも上手く出て来ないミアに、姫はクスッと微笑む。

その表情は最初の印象とは打って変わって大人挽いて見える。


「配給以外で私を訪ねて来たお客さんは、あなたが初めてよ。

悪いのだけど、ドアを開けてくれる?」


よく見れば姫はエプロン一杯に薬草やらキノコやらを乗せて両手で支えていた。

ミアが施錠もされていないドアを開けると、姫はお礼を言ってキッチンの傍に置いた籠の中へと荷物を放り入れた。


「どうぞ入って」

「はい、失礼します…」


外の窓から見るより中はほんの少し広く机やベッド以外にも2人掛けのテーブルもあったが、王族らしい金ピカ装飾は一つたりとも無かった。

しばらくするとお茶とクッキーをもてなされた。

(姫の言う通り、私はどうやら彼女にとってのお客様らしい。)


「怪我の状態はどう?

まだ何処か痛む?」


「いいぇ…、あの…昨日はお礼も言わずに姫に失礼な態度を…その、ごめんなさいっ」


姫の顔を直視出来なかった。

気まずいのはもちろん、彼女があまりにも眩しいから。

傷付けたはずなのに、こんなにも優しく迎え入れてくれる。

小さな事だが、ミアにお茶やお菓子をもてなし怪我の具合を心配してくれた人は姫が初めてだった。


「…私のこと、知っていたの?

その、私が姫だって…って、こんな髪だし実際に泉の力を見せたんだもん、気付かない方が可笑しいよね!」


「い、いえ…まぁ、はい…」

「そうよね。

それで、あなたの名前は?」


ミアは腰掛けた椅子から立ち上がり姫の側の床に立膝をついた。


「私は兵士見習いのミアと申します。

昨日は助けて下さりありがとうございました。」


「ミア…?えっ、あなた女の子なの?」

「はい…いちおう」


短く切った赤髪に日に焼け砂埃で汚れた肌と筋張った身体つきでは少年にか見えないだろう。おまけに細目のキツイ目付きときたもんだ。

お陰で男の中で生活しても暴力は振るわれても幸い性的な嫌がらせはされてない。


「女の子なのに兵士になりたいの?

毎回、訓練であんな怪我を負うの?」


「いぇ…、あの、私は孤児で施設にいた頃に陛下の家臣である宰相ルピン様に拾われ将来は姫様の護衛にと育てられています。

それに、怪我も毎回という訳ではありません。あ、因みに姫様とは-…」


「分かってる、それは妹の事でしょう?」

「…はい。」


ミアはなぜか胸がチクリと痛んだ。

余計なこと言わなければ良かった。

この国の真のお姫様はたった一人なのだと目の前で微笑みを浮かべる彼女が一番よく知っている様だ。

同じ父親から生まれた姉妹なのに、姉は宝石の一つ、ドレスの一着も与えられず生きていくのに必要な物資を与えられるだけ。

それを彼女は『配給』と呼んだ。

きっと、届けに来る使いの者がそう言って渡すのだろうと容易く想像できた。


(あぁ…なんだろう、この苛立ちや悔しさは…


もし、私なら全身の血を捧げても泉に願うのだろう。

この国の王族を呪い、全て消え去れと)


なのに姫は王族の繁栄と国の平穏を願う。

虐げられ蔑まれながら国民の為に血を流すのだろう。

本来ならその役目は騎士や兵士の仕事だ。

それなのに外国に守ってもらい、毎晩の様に酒を飲みただ飯を食い暇潰しに弱い者イジメに勤しむ腐ったこの国の兵達。


私はそんな腐った輩にはなりたく無い。

今まで何の目的もなく、ただ生きる為だけに訓練に勤しんだ。

一度は痛みに負け死を望んだが、今日初めて二度と負けたくないと強く思った。


自分の為じゃない。


「姫様、もしよろしければお名前を教えてください。」


「えぇっ!?名前を聞かれたのは貴女で二人目だわ…。

えっと、、私はフォンテーヌよ、ミア!」


久しぶりに名前を聞かれたれたフォンテーヌは緊張しつつも恥ずかし気にはにかんで応えた。

(跪いたままで良かった。

此れは私の騎士道に基づく誓いだから。)


「フォンテーヌ様」

名前を告げたフォンテーヌは後光が差しこの世のものとは思えないほどに美しかった。

彼女を見上げたミアはその姿に満足気に笑み、その名前を呼んだ。


(私が忠誠を誓い、生涯護ると誓うのは貴女ですフォンテーヌ様。

まだ兵士にすらなれていない未熟者でも、必ず貴女を守れるくらい強くなります。)


ミアは頭を下げて心の中でフォンテーヌへの忠誠を誓った。


その日からミアは訓練に励み国では誰よりも強くなった。建前では王の懐刀として忠誠を誓い第二王女の護身をしつつ密偵などの仕事を受け持った。

フォンテーヌの動向を探る名目で配給係にもなり、共に成長を見届ける事にも成功した。

フォンテーヌは成長する度に女性らしくなるミアに羨望し時に可愛らしい嫉妬すらした。

本心を隠しながら一線を引いてフォンテーヌに接するミアに、フォンテーヌは変わらぬ親愛の情を見せた。

その情に苦しむことも多いにあった、いっそ本音をぶつけたら楽にもなりそうだったが王の思惑を知っているからこそ、フォンテーヌと親しく馴れ合えなかったのだ。

ミアはあくまで王の密偵でいなければならなかった。

それは、フォンテーヌの為。

ミアにはフォンテーヌ以外の大切な者など他に無かったのだ。

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