第9話 侍女ミアの苦悩
暗がりの部屋に一本の蝋燭が心許無く小さな灯りをともしている。
ズキっと痛む後頭部に触れようとして、ミアは自分の身体が自由に動かない事に気が付いた。
椅子に座らせられて手足はロープで縛られている。
声を上げようにも、口も猿轡代わりのナフキンで塞がれていた。
(なぜ、こんな事になっているの?
確か私はあのいけ好かない男に奇襲をかけて失敗した…その後は…?)
ぼんやりと霞む視界に、蝋燭の炎に揺らめくその男の顔が入る。
皇太子の忠犬、リクだ。
(そうだ、私はこの男に気絶させられたんだ。
後頭部の痛みはそのせいか…)
まったく忌々しい。と、ミアはベッドの上で先程まで気を失っていた自身を見下ろしているリクを睨みつけた。
暗がりだがベッド周りの家具や装飾を確認するに、どうやらこの部屋は普段ミアが使っている自室だ。
そのベッドに図々しく脚を組んで腰掛けるリクに、ミアは更なる苛立ちを覚えた。
(まったく忌々しい…)
どうにか拘束を取れないか身を捩ってみるものの、逆にロープが食い込んでしまうだけだった。そんな無駄な抵抗を試みるミアに、リクは「はぁ…」と溜息を漏らした。
「女性に手を挙げたり拘束する事は俺の趣味じゃないんだが…ジャジャ馬を大人しくさせるのに必要だった、許してくれ。」
リクの普段とは違う口調に面食らったが成る程、どうやら此方がこの男の本性らしい。
口を塞がれたミアは「フーッ、フーッ!」とリクに声なき反論を向けるが、リクはそれをまるで気を逆立てた猫の様だと冷静に見ていた。
「この部屋がどこだか、君ならもう気づいているだろ?」
リクの指摘に、ミアはぐっと喉を鳴らす。
ミアの部屋はフォンテーヌの隣だ。
姫に何が有れば直ぐに駆け付けられる様にと真隣にしたのだった。この部屋で大きな物音を立てれば眠ってるフォンテーヌが目を覚ましてしまう。
下手したら、様子を見にフォンテーヌが訪ねて来るかもしれない。
それだけは避けなければと、ミアは仕方なく抵抗をやめて大人しくリクを見上げた。
「うん、いい子だ。」
青みのある瞳に炎の揺めきが写り、妖しく光っている。
リクの容姿は皇太子に負けず劣らず美しいが、感情の見えない人形の様でミアには恐ろしく見える。
最初に出会ったあの日からミアはこの不気味な男が嫌いだった。
「さて、本題に入ろうかミア。」
リクはそう言ってベッドから立ち上がりミアに近づくと口元を塞いでいたナフキンを取り解く。
言動が自由になってもミアが声を荒げる事はなかった。
「君はリノアベールのスパイ?それとも姫の嫁入りに便乗して潜り込んだ刺客かな?」
「…どちらでもない。」
「どちらでもない…ね。
それにしては迷いの無い華麗なナイフ捌きだったじゃないか。身のこなしといい、相当な訓練を受けてきたんじゃない?」
ミアはぐっと唇を噛む。
リクの言う通り、ミアは幼い頃から戦いの訓練を受けいた。
だがそれは、他国にスパイや刺客として送り込まれる為ではない。
有事の際に王や姫を守る為だと戦いのイロハを叩き込まれたのだ。
もちろん姫というのはフォンテーヌではなくティアナ姫のことだ。
元々ミアはティアナの侍女兼、護衛だった。
「あんなに血の滲む様な訓練に耐えてきたのに、たかが側役にいとも簡単に負けるなんて…っ」
ミアの脳裏に浮かぶ辛く厳しい訓練の日々。
物心つく頃には大人の兵士と混ざって剣技や格闘術の訓練を受けていた。
(子どもの頃は何度も投げ飛ばされては打ち込まれ身体中、生傷が絶え無かった。
殺される前に逃げようと王都を出るも、行き先もなく彷徨いたものの飢えて結局は兵舎に戻って来た。泥を啜り負ける屈辱にも絶えながらも成長と共に屈強な男の兵士でさえ打ち負かせる様になったというのに…よりによってこんな貧弱そうな男に…ーーー)
「ああ、それは別に君が弱いからじゃない。だって、この国は大陸屈指の武力国家だよ?
殿下を含め陛下の家臣は全員アーチドウェルズの戦士だからね、君らとは強さのレベルが違うだけ。」
(用は格が違うと言いたいのだろうか…所詮は建国以来、一度も戦争をしたことのない小国の兵士など敵ではないって事なのね)
「特に俺はその中でも段違に強いから、君が気に病むことは無い。でもまぁ、抵抗されて余計な怪我を負わせる訳にもいかないからね、拘束はさせてもらった。
悪く思わないでくれ…ってか、まぁ、そもそも襲って来たのはそちらだし、スパイや刺客じゃないって言われても到底信用はできない。」
「…信じられないならそれでもいい、実際に私はアンタを殺してやりたいと思って襲ったんだから。」
ポツリとつぶやいた言葉にリクは面白気に「何故?」と首を傾げる。
まったく敵意の無い相手に、戦意を削がれたミアは身体の力が抜けた。
目を閉じて深く息を吐きフォンテーヌの笑顔を思い浮かべる。
磨かれた剣の如く輝く銀髪を靡かせて振り向きミアを呼ぶ愛らしい姫君の姿。
初めてフォンテーヌに会ったのは10年前、ミアが9歳の頃だった。
暴行を受けて兵舎から逃げ出したミアは気づくと一面の花畑に立っていた。
視界いっぱいに飛び込んだ淡いブルーのネモフィラ。
ーーーきれい…
可憐な花々が風に揺れてそよいで静寂を保っている。
死ぬのなら、こんな場所が良いと思えてミアは花畑の中で横たわった。
全身痣だらけで顔は酷く腫れているし口の中は鉄の味がして不快極まりない。
(死神よ、早く来い)
そう祈りながら瞳を閉じると、影が差した。
雲で太陽が隠れたのかと思ったが、優しく頬に何かが触れたのでミアはうっすらと目を開ける。
そこには死神と呼ぶに相応しくない真っ白な天使の様な容姿の少女が心配そうにミアを覗き込んでいるではないか。
(白い髪、キレイな子…って、ホワイトフロンティーヌ…、泉の姫っ!?)
絵本に出てくる伝説の姫がまさか目の前に現れるなんて、と驚いたミアは痛みも忘れて慌てて起き上がると直ぐ近くにあった泉の姫の額に派手に頭突きしてしまった。
ゴチン…っ!と静かなネモフィラ畑に二人の呻き声が響いた。
「いっっ…たぁ〜〜ぃ…!」
姫は頭を抱えて疼くまり、ぶつかったオデコを何度もさすっている。
ミアも額に手を当てながら慌てて姫の様子伺いをしようとしたが、神話に出てきそうな容姿の女の子の額に立派なたん瘤が浮き上がり妙に人間らしいその姫の振る舞いにギャップを感じて「ふっ…」とつい、小さな笑いをこぼしてしまった。
「なにが面白いのよぅ…!」
目の端に涙を溜めて頬っぺたを膨らませる姫は何てこと無いまるで普通の少女だった。
皆が言う様な神聖化された化け物ではなく、生身の愛らしい少女がそこにいた。
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