第8話
翌日から、日が暮れ夕陽が差す時間になるとリクはフォンテーヌの部屋を訪れた。
最初こそ警戒していたフォンテーヌも数日も過ぎると流石に敵意のないリクに気を許しはじめていた。
昼間に邸宅の侍女達と共に焼いたマドレーヌをお皿に取り分けてリクに手渡すと、
「今日はどんな事をして過ごしていたのですか?」とリクがフォンテーヌに問うた。
「午前中は読書をして、午後には侍女達と一緒にお菓子を焼きました。
リク様のお口に合うかは分かりませんが、良かったら召し上がってみてください。」
「へぇ、これをフォンテーヌ様が…」
リクは苺が描かれた可愛らしい皿の上に乗るマドレーヌを目を細めて眺めている。
「甘い物はお嫌いでしたか?」
なかなか手を付けないリクにフォンテーヌは首を傾げたが、直様リクは首を横に振って否定する。
「いえ、上手に焼けているなと思って。
普通、王女様がキッチンに立つなどあり得ない事ですから…フォンテーヌ様はお菓子作りがお好きなんですか?」
「ああ…そうですよね、普通の王女なら…」
フォンテーヌは何から話そうかと暫く考えた。
なるべく誤解のない様に言葉を選ぼうとしたが上手く説明出来る自信もないし、リクに取り繕った言い方をしても全て見透かされそうだと諦めて素直に身の上を話そうと決めた。
「実はリノアヴェールでも、私は王宮内ではなく泉がある森の中にある別邸で生活していたんです。
そこには使用人はいませんでした。
毎日届く食材を使って自炊していたので、お料理などは一通りできます。」
フォンテーヌの告白はリクにとって衝撃だった。まさか、自国でも此処と同じ様な扱いを受けていたとは思いもしなかった。
いいや、一国の姫に使用人すら付けないなんてアーチドウェルズより酷い扱いじゃないか。
事前にフォンテーヌの事は調査していたにも関わらず、まさかの報告漏れがあったとは。
「なぜ、リノアヴェールの象徴となる祝福の姫がそこまで冷遇されているのです?
貴女はそんな扱いを容認していたのですか?
どうして…」
バツが悪そうに苦笑いを浮かべるフォンテーヌに思わず伸ばそうとした手をリクは慌てて引っ込める。
そして底知れぬ悔しさが湧き上がると、テーブルの下に隠した拳をギュッと握りしめた。
「私は父王の愛する皇后陛下の命と引き換えに生まれた祝福の姫です。
憎まれても仕方ないと思っています。
それに、リノアヴェールで呪いの姫と呼ばれる私とは周りも極力関わりたくないのでしょう。
アーチドウェルズの方々同様、私の顔を見ると呪われるなんて言うジンクスもあって恐れられてますし…ああ、でも輿入れの時はあんなに群衆が集まってましたね!
意外とアーチドウェルズの民はリノアヴェールと違って怖い物知らずな方が多いのかも…っ」
卑下する姿を見られたくなくて下を向いていたフォンテーヌの頬に、リクの指がそっと触れるとフォンテーヌは驚いて顔を上げた。
そこには少し怒った表情のリクの顔があった。
リノアヴェールの話しにアーチドウェルズを引き合いに出したのが不味かったのだろうか。
「私は常々思っていたのですが…」
「はい…?」
「リノアヴェールで一番の愚か者はフォンテーヌ様、貴女だと思うのです。」
強い眼差しのリクに睨まれてフォンテーヌの身体は怯えたウサギの様にピクリとも動かない。
「本気で貴女にそんな大それた力があると思うのですか?
貴女に人を呪う力があるならリノアヴェールはとっくに滅び、貴女の顔を見ている私は魔法にかけられ皇太子殿下を殺し貴女を手篭めにしているでしょう。
ですがどうです?
まったく何も起こっていない、貴女若きが憂いるほどの力なんて貴女には持ち合わせていないんです!
人々の作り上げた恐ろしい呪いにかかっているのはフォンテーヌ様、貴女自身なんですよ!」
テーブルに身を乗り出していたリクは目を見開いているフォンテーヌの瞳に激昂している自分の姿を見つけて「あ…っ」と我に返り顔を覆う。
(なんて…らしく無い事をしてしまったのだろう。
時折抱いていたフォンテーヌに対しての苛立ちを本人にぶつけてしまうなど、どうかしている。)
「そう…ですね。
確かに、リクの言う通りです。
呪いにかかっているのは私…本当に、どうして今まで気づかなかったのかしら。
自分で自分を卑下して憐れんで…バカみたい。」
(リクの言葉に目から鱗が出た。
そうね…誰に蔑れても私だけは自分を認めて肯定すれば良かったのよ。
リクに言われるまで気付けなかったんて…)
そう言ってフォンテーヌはリクの手を取り困った様に笑った。
***************
部屋を出たリクはフォンテーヌの笑みを思い浮かべていた。
目尻が微かに濡れて光っていた様に見えた。
気のせいだといいと思いながら、階段に向かう長い廊下を歩く。
すると、誰の気配もない静かだった背後に鋭い殺気を感じリクは咄嗟に身を翻して[殺気]の正体である者の身体を壁側に押さえ付けて両腕を拘束する。
右手一本で両腕を拘束された彼女の細い手からカシャンと音を立ててナイフが床に落ちた。
「女性からの熱烈なアプローチは大歓迎ですが、できれば背後より正面から来て頂きたいですね。」
リクはナイフを持って襲って来た女の耳元で吐息を吐くようにそう囁いた。
「離せ…っ!!」
身を悶えながら拘束から逃れようとするも、びくともしない。
この細い優男のどこにそんな力があるのかと驚いていると、今度はスカートの裾からスルッとしなやかな指先が入り込んだ。
「やめ…っ」
「いけない子だなぁ、こんなところにナイフを忍ばせていたなんて…狙いは私ですか?
それとも皇太子殿下?
もしかするとフォンテーヌ様だったりして?
ねぇ、ミアさん。」
「あ…っ、」
給仕服のスカートの中、太腿を人差し指が這うくすぐったさと羞恥でミアの耳が真っ赤に染まる。
指はゆっくりと進んでガーターホルスターに収納されたナイフまで辿り着くと一気に抜いて床にそれを投げ捨てる。
これでミアは丸腰になってしまった。
しかし、リクからの拘束はまだ解かれず壁とリクの身体に挟まれて身動きが取れない。
「あまり大きな音を出さないでください。
こんな場面、フォンテーヌ様に見られたくないでしょう?
自分の侍女が自国のスパイで裏切り者だと知ったら、あの姫君はどう思うのでしょう?」
「離せっ…!
この…っ、皇太子の犬が!!」
今にも噛み付きそうな勢いで睨みを効かせるミアに、リクは犬はどっちだと呆れた。
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