第7話
選ばれし祝福の姫としての名誉と誰もが羨む麗しい美貌を持っているのに目の前の姫は哀しみの色で染まっている。
慎み深く純真であるのは美徳だが、フォンテーヌは少々辛気臭い女だとリクは思っていた。
皇太子妃に選ばれたからには身辺調査は必須。調査を担当したリクはフォンテーヌが自国でどんな扱いを受けているかを知っている。
以前は国や民から神聖化され、慈しまれた祝福の姫は今や泉に捧げられる人柱だ。
良い事も悪い出来事も全て姫の所為にされ本来なら王が背負う責任の一切をこの少女が負わされる。
今期の姫…つまり、フォンテーヌになってから国の業績が傾いている。
いや、実の所十数年前から少しずつ傾き始めていたものがここへ来て国民に露見したのが良くなかった。
国の運営は少女の祈りだけで潤うような生優しいものではない。
たまたま運良く見つかった金鉱もただ掘り起こして財を成すだけで投資も貿易もしていなければ枯渇するのは当然。
しかし、リノアヴェール国は湯水の如く金が湧くのだと本気で思っているのだから滑稽だ。
外から見れば、リノアヴェールは王や国民の頭に花が咲いているマヌケな国。
その中心にいるフォンテーヌも同じだ。
鎖国同然の小さな国で一喜一憂し他力本願も甚だしい愚かで哀れな国リノアヴェール。
自身を無力だと嘆いているうちはフォンテーヌに幸せはやって来ない。
リクはフォンテーヌに対して同情を抱いている。
今日此処へお茶をしに来たのはそんな気持ちからだった。
しかし、思い掛けずフォンテーヌの本心を聞く事ができた。
ルースとエリザベートへの気遣いだ。
「エリザベート様は私の妹なので、正直妃殿下のお気持ちは兄として嬉しい限りです。」
「え?
エリザベート様がリク様の?
ああ…そう、だったのですね…それなら初日のリク様の態度も納得できます。
…そうですか…ふふっ…」
「なんです?」
思わず吹き出したフォンテーヌにリクはムスッとした口調で聞いた。
「いぇ…、なんでもないんです。
ただ、良いお兄様がいてエリザベート様が羨ましいと思ったもので…」
妹を思えば兄であるリクがフォンテーヌに敵意を向けるのは当たり前のこと。
飄々としているリクの人間らしい一面が見えて微笑ましくなり、つい笑ってしまったのだ。
妃殿下は嘘が吐けない質だな。
笑うだけで頬に淡く赤みがさす肌を見てリクは思った。
普段は無機質な水色の瞳も水面が揺れるように潤んで見える。
フォンテーヌがクスクスと微笑むのをリクは息を呑んで見つめた。
目が離せなかった。
「妃殿下も兄が欲しいのですか?」
やっと声に出せたのがこんな突拍子もない下らない質問で、しかしフォンテーヌは笑いながら「いいぇ」と答えた。
「私は友が欲しいです。
1日の終わりにその日にあった事を報告し合えるような友です。
かつて、そんな方が幼い頃にほんの少しの間だけいましたが、今はいません…だから、」
カップに入った紅茶の水面に映る寂しそうな自分の顔を見てフォンテーヌは気を取り直して前を向こうと顔を上げたが、その瞬間…
「分かりました!
では、私が妃殿下の友人になりましょう!」
「え…?
ええっと…リク様が、ですか?」
唐突の名乗り出にフォンテーヌは困惑したが、勢いよく出された右手を振ってしまうのは忍びなくて恐る恐る取ってしまった。
ギュッと握られた手は温かい大きな手に包まれて心臓がドキッと跳ねた。
「はい、これで私達は友人ですね。
これからは私をリクと呼んでください。」
いつもの喰えないリクの満面の笑みに戸惑いつつ、フォンテーヌも微笑みを返す。
「では、私の事も妃殿下ではなく名前で呼んでください。」
「はい、フォンテーヌ様。」
リクは満足そうにフォンテーヌの名前を呼ぶと彼女の髪を一房取ってキスを落とした。
(手にキスをする挨拶は知っているけど、友人は髪にもキスをするのかしら…?)
まだまだアーチドウェルズ国のマナーを学ぶ必要があるとフォンテーヌは思った。
ーその夜、珍しく上機嫌なリクに皇太子ルースは冷ややかな視線を送った。
(こいつが小言も言わずに進んで仕事を片付けていくなんて、絶対に何かある。)
仕事を溜めがちなルースにガミガミと五月蝿いリクは鬱陶しいが、こんな風に大人しく言われた通りに書類の整理をするリクも不気味だ。
それにずっとニタニタしているから気色悪い。
そういえば、昼間にリクを呼びつけた時に代わりに来た近衞騎士のシアンがリクは別邸に行っていると告げたのを思い出した。
その後からリクはずっとこんな調子だ。
(フォンテーヌと何かあったのか?)
ルースは側に控えさせたシアンに「今日はもういい」と退室を促す。
一礼して執務室を後にしたシアンを見届け、ルースはリクに声をかけた。
「別邸に何の用があって出向いたのだ。」
ルースの咎める様な口調に、リクの肩が一瞬ピクリと動いたが振り向いたリクは澄まし顔で「御存知でしたか」とニッコリと笑った。
「殿下があまりにも妃殿下に無関心放置ですので、私が代わりに妃殿下の様子を伺いに行っていたのです。」
「それで?」
「お元気でしたよ。」
ルースとリクは赤ん坊の頃からの付き合いだ。今でこそ皇太子と側役という立場だが、互いの性格は熟知している。
リクが本音を隠す時はこうして笑顔の能面を被る。側から見たら人畜無害の穏やかな好青年に見えるだろう。
だが、リクは外見の爽やかさとは裏腹に腹黒く策略家なのだ。
敵に回ったら相当厄介な男だが、ルースはリクの忠誠心を信じている。
リクもまたルースに己の命すら差し出す覚悟で側に仕えている。
互いの信頼関係は揺るぎ無いのに、リクは時々こうしてルースに本音を隠す時がある。
だからルースはリクの笑顔が大嫌いだ。
特にそれが自身に向けられるのはより一層不愉快だった。
眉を顰めるルースに、リクはやれやれと彼に近づいてフォンテーヌの考えをそのままルースに伝えた。
「妃殿下はお二人の仲に入り込むような真似はしないと仰られました。
殿下の寵愛はもちろん、皇太子妃としての権限も無に帰してひっそりと別邸で暮らして行くと…ー」
「それで上機嫌なのか?
ふん、自分の妹が安泰だと分かったくらいで、鼻歌混じりで仕事するお前ではないだろう。」
「…まったく、私の話を最後まで聞いてくださいよ。
ですから、ひっそりと別邸で暮らしていくと言った妃殿下と友人になる事にしました。」
「はぁぁぁ?!
いったい全体、何でそうなる!お前、正気か?!」
まったく話が見えないと頭を抱えたルースを尻目に、リクは平然とした態度を崩さない。
「妃殿下に我々に対する敵意は無いですし、アーチドウェルズでは権力もありません。
人畜無害な唯の少女です。
それなのにずっと別邸に軟禁状態で気の毒じゃ無いですか、私くらい気兼ねなく接してやりたいと思ったんですよ。ダメですか?」
「いや…ダメというか、そういった概念にないというか…まぁ、なんだろな…お前のそんな悪びれた感の無い顔を見たら毒気を抜かれた。」
はは…っ、とルースは乾いた苦笑いを浮かべる。リクはそんなルースに満足気に笑って見せた。
「ご心配には及びませんよ。
どうせ、いつもの気紛れですから。」
「…尚更、心配だよ。」
フォンテーヌにささやかな興味を持ったとして、リクには単なる気紛れで時が過ぎればまた興味も無くなるだろうとルースは考えている。
誠実そうに見えて誠実のカケラもない飽き性な側役をルースは幼馴染として彼の将来を憂いていた。
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