第6話
頬杖をつきながらフォンテーヌは今日も見晴らしの悪い窓の外を見上げていた。
2匹の小さな黄色い蝶がヒラヒラと舞っている。
仲が良さそうに舞っている様を見て、フォンテーヌは皇太子とエリザベートもこんな感じで仲睦まじいのだろうなぁ、と2人が並ぶ姿を思い描いた。
フォンテーヌが此処へ来てから数週間が経ったが、初日にリクが告げた通りに皇太子のルースは一度も別邸にいるフォンテーヌを訪ねはしなかった。
最初こそ寂しいと感じていたが、よくよく考えるとそれが至極真っ当で当たり前の事なのだと納得できた。
エリザベートからしたらフォンテーヌの存在ほど嫌なものは無いだろう。
愛する人に新しい妻ができるなんて、いくら政治的な問題だからといって容易に受け入れられるものでは無いない。
そして、皇太子も一途にエリザベートを想えばこそ彼女を傷つけるような真似をしないのだろう、と。
「いいなぁ…」
「何がです?」
ポツリと呟いた独り言を真後ろにいたミアがいつも通りの無感情で拾いあげる。
ミアって地獄耳よね、とフォンテーヌは内心呆れながらも外に舞う蝶を指差した。
「蝶ですか?」
そんなものが良いのかと言いたげな表情を浮かべたミアにフォンテーヌは少しだけ物悲しいげに俯く。
「仲が良さそうで羨ましいわ。
私は恋をした事がないから分からないけど、愛し合う二人はあんな風に寄り添うのかしらね。」
「姫様。
蝶は人ではありませんから二人とは言いません、2匹です。」
「えぇ…そう、だったわね。」
蝶に重ねて見ていた人物を見抜かれないようにフォンテーヌはミアの指摘に頷いた。
そうしてまた窓の外に視線を向け鼻歌を歌って蝶のダンスに音を付け加える。
別邸の外に出る事を禁じられているフォンテーヌは一日の大半を自室で過ごしている。
邸宅内には立派な書庫もあり数年分の書物があるから退屈はしないし、趣味でやっているレース編みをしていればあっという間に日が暮れる。
邸宅に勤めている執事やメイド達も皆優しく、心からフォンテーヌを気遣ってくれているので不便や不満はまったくない。
一つだけ我儘が言えるのなら、たまにで良いから外の空気が吸いたい。
リノアヴェールでは森に住み、自由にネモフィラの花畑に出向いていた。
唯一その場所だけが、フォンテーヌの心安まる大切な場だった。
故郷の花畑に想いを寄せて、ふと、飾られたネモフィラに目をやる。(この自室にもネモフィラがあるけど、そう言えば全然枯れないわね)
自分が来てからずっと飾られている花。
自室以外の部屋に飾られている花は2、3日毎に種類やデザインも変わるのに不思議だ。
(もしかしたら故郷の花だから気を使ってネモフィラを置いてくれてるのかしら?
土から離してしまうと直ぐに枯れてしまうはずだから、頻繁に取り替えてくれているのかも…)
ぼんやりと考え事をしていると、部屋のドアからコンコンと叩かれた。
毎日このくらいの時間に執事のエストが紅茶と焼きたてのクッキーを持ってきてくれる。
いつもと同じ様にミアがドアを開けると、そこには銀のトレイにティーセットを乗せて持つリクがニッコリ笑顔で立っていた。
「え、リク様?」
驚くミアにリクは「たまには私とお茶などいかがです?」と言って、返事も待たずにテーブルにトレイを乗せると慣れた手付きで紅茶を淹れ始めた。
その飄々としたリクの態度にミアが声を上げようとした瞬間、フォンテーヌは右手を翳してそれを阻止した。
リクがわざわざ訪ねて来るなど、皇太子の指示だろうと無言でミアに目配せする。
そんな姫と侍女のやり取りを気にもしない様子でリクはフォンテーヌに椅子を引いて「どうぞ」と着席を促す。
今度は何を言いに来たのだろうと少し警戒して近づくフォンテーヌの様子に、リクは眉を下げて苦笑いをしながら敵意はありませんよと、両手を上げて隣に腰掛けた。
「ただ、たまには妃殿下とこうしてお茶を楽しもうと立ち寄らせてもらっただけです。
ちょうどエストがお茶を持って行く所だったので私がついでに運んだんですよ。」
「そうだったのですね。
なぜ、急に私とお茶を飲もうと思ったのです?」
甘酸っぱいラズベリーティーを一口含んでフォンテーヌはリクに視線を向けた。
リクはそんなフォンテーヌを輪っか形のクッキーの穴から覗き見ている。
意図の見えない目の前の男が自分に何の用があって来たのだろうと探ってみたが、ずっと言われた通りに大人しくしていたし皇太子の機嫌を損なうような心当たりが見つからない。
「…最初に出会った時はそんな目で私を見なかったのに、この数週間でこんなにも敵意剥き出しで睨んでくるとは…やはり、あの時にお伝えした殿下のお言葉と私の態度がいけなかったのでしょう、すっかり妃殿下に嫌われてしまいましたね。」
そう言ってリクは大袈裟に肩を落として見せる。わざとだと分かっているのに捨てられた子犬の様な目で見られるとフォンテーヌは慌てて首を横に振った。
「私は皇太子殿下やリク様を嫌ってなどおりません。
お二人が私を嫌っていらっしゃるのでしょう?…いいえ違いますわね。
お二人は私の事など無関心でいらっしゃる。それなのに何故、わざわざそんな相手とお茶を飲みたいなどと嘘をつくのですか?
牽制するおつもりなら、それは不要です。」
「…ほぅ?それは、どういう意味です?」
カップをカチャリとソーサに置いてリクは真っ直ぐにフォンテーヌを見る。
その強い眼差しにフォンテーヌは緊張して生唾をのんだが、怯んだら負けだと自らを奮い立てた。
「私自身に経験が無い故に生意気な事を言うようですが、エリザベート様が殿下をお慕いするお気持ちやエリザベート様を想う殿下のお気持ちも尊重したいと考えております。
ですが、私の存在自体がお二人にとって煩わしいものだという事も理解しています。率直に言って、私はお二人の邪魔をするつもりは毛頭ございません。
どうか、お二人には私の意図を汲んで頂き、安心して過ごして頂きたいのです。」
「ふぅん、まぁ…邪魔も何も、妃殿下は正当なルース殿下の妻なのですから、当然彼の方の愛を望む権利だってお有りなんですよ?
それなのに一生別邸に追いやられて死んだ様に暮らすと言うのですか?
それでもいいと?あまりにも物分かりが良すぎて逆に心配です。」
誰も死んだ様に暮らすとは言っていないわ。とフォンテーヌは胸の中で否定したが、リクの質問に怒りも通り越して諦めに近い虚しさを抱いた。
「愛は望んだところで得られないという事は分かっていますから…」
フォンテーヌが力無く放ったこの言葉は皇太子に対してのことではない。
脳裏に浮かんだ父と妹の姿。
幸せそうに微笑み会う二人を幼い頃から物陰に隠れて見ていた。
愛おしそうに妹を見つめる父の優しい瞳にいつか自分も映して欲しいと願っていた。
しかし、いつの頃からそんな願いも望みも薄れ消えていってしまった。
諦めてしまった方が切望するより遥かに楽だったのだ。
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