第5話 側役リクの苦悩

皇太子妃の部屋から出ると、そこには不満顔の執事がリクを待っていた。

「そんな顔で見ないでください、エスト。」

エストは元々、城に務めて50年の経歴を持つ腕利きの高位官僚だった。

3年前に引退して地方の領地で隠居生活をしていたのを皇太子妃の執事として呼び戻したのは皇太子ルース本人だ。元々はリクやルースの教育係としての師でもある為、リクはエストの鋭い眼光が苦手である。


「国の喧騒から逃れて漸く地方で穏やかな余生を送っていた私を引っ張り出して行う事が可憐で哀れな隣国の姫様いびりですか?」

「うっ…」っとリクは肩をすくめた。


「やっぱり聞こえていましたか。」

「あの姫君は充分にご自身の立場を知っておられたはずです。

それですのに更にあんな追い討ちをかけるような言い方で挙句、エリザベート様の事までお話しに出されるなんて…なんと酷い。」


(耳が痛いな…)

リクは言い返す言葉もなく甘んじてかつての師の叱責を飲み込んだ。

いくら敬愛する皇太子の命令だとしても、リクの胸が痛まない訳ではない。

そう、馬車から降りたフォンテーヌ姫の震える手を取った瞬間から今の今までずっと胸が痛かった。


邪魔だろうからと花嫁のヴェールを自らの手で上げさせようとした事も、(まぁ…コレはせめてもと姫様付きの侍女が上げてはくれたのが救いだ。)人目に付かないようひっそりと別邸まで案内した事、しかも重たいドレスで何十分も歩かせてしまった。

美しい真っ白なドレスの裾が黒くなり、苦しそうな息づかいでも時折こちらが振り向けば「ありがとう、大丈夫。」と柔らかく微笑んで逆に気遣ってくれたフォンテーヌ姫。

祝福の姫は、自身を見た者の心を奪い呪いをかける魔女だとこの国では言われている。

そもそも魔法なんてリノアヴェール以外存在しないのだから忌み嫌って当然だ。

しかし、いくらそう正当化したくとも邪気のない真っ白で純真なフォンテーヌを見ているとリクは罪悪感に何度も押し潰されそうになった。


「私はルース殿下の命に従うまでです。

ですが、邸宅の中だけでも妃殿下が心穏やかに過ごせる様に尽力してください。

エストを連れて来たのは姫様いびりではありません。

頼みます。

どうか、私や殿下、エリザベート様の悪意からフォンテーヌ姫を守ってあげてください。」


チクリと痛む胸を押さえてリクはエストに頭を下げた。

今にも泣き出しそうなリクに、流石のエストも吊り上げた目尻を下げて「畏まりました。」と深々と一礼をして返した。


別邸を後にしたリクは一息つく暇もなく主人である皇太子ルースの元へと急いだ。

執務室のドアをノックすると、中から無機質な声で「入れ」とだけ返される。

中では皇太子が一人で机に向かって書類と睨み合っていた。

「お前がいないと書類の山が片付かない。」

貴方の命を受けて花嫁のフォローをした私に対する第一声がコレか…とリクは呆れた。


「フォンテーヌ様を筒が無く別邸へと送り届けました。かの件もお伝えして来ましたのでフォンテーヌ様に関して陛下の手を煩わせる事は今後、無いかと存じます。」

すると、今まで書類に向けていた深く青い瞳が冷たさを増してリクに移された。


「ほぅ、もう名前で呼んでいるのか。

さすがは一目で人の心を奪うと評判の魔女だ。

なぁ…お前、もうあの魔女の顔を見たのか?」

口の端を吊り上げてルースはリクを皮肉った。

フォンテーヌが大陸一の美女ならルースは大陸一の美男子だろう。

漆黒の黒髪に深く青い瞳。

背が高く、無駄な贅肉のない鍛えあげられた引き締まった身体。

中性的な顔立ちは冷たく滅多に笑顔は見せない。

その冷酷さも相まって美しさを引き立てるのだから厄介だ。

ルースと共に大陸を渡って戦地に赴いたリクだからこそ、そう思う。

この性格の悪さも大陸一だろうな、と。

しかし、乳兄弟として共に成長してきたリクにルースの皮肉は効かない。

ましてや、ミアと名乗った侍女の嫌味や皮肉などルースに比べたら可愛いものだ。


「見ましたよ?

ヴェールをしたまま、あの足場の悪い道は歩けませんからね。

そう言えば花嫁のヴェールを上げて最初に見た男性が寵愛を授けるとリノアヴェールでは言い伝えられているとか?

だとしたら、魔女の呪いも相まって私はフォンテーヌ姫をより一層愛してしまうかもしれませんね。」

皮肉返しをしたつもりだが、リクはほんの少しルースに苛立ちも込めて言い放ってしまった。


「ふんっ、両国の言い伝えも下らないな。

俺はどちらにしろリノアの姫に興味はない、ただ仮にも隣国の姫だ。

此方での生活は何不自由のない様に気を配れ。」


「はい。」


リクに残りの仕事を押し付けて、ルースは自室のベッドに腰掛けた。

リノアヴェールから祝福の姫君の嫁入りが決まると短時間で色々な準備に追われた。

漸くこの日を迎えて安堵したのか、急に疲れがドッと押し寄せた。

ベッド横の引き出しから写真立てを取り出し、中に映る笑みを浮かべた人物を優しく指先で撫でる。


「すまない、アリス。

自身の私欲で君を利用したくせに結局俺は…っ」

グッと枠を握ると同時にルースは唇を噛んだ。アリスはルースが初めて父である王に頼んで結婚した最初の皇太子妃だ。

元々病弱だったアリスはルースの申し出を拒んだし、周りもその結婚には反対だった。

しかし、どうしても結婚するならばアリスで無ければ嫌だと頑なに引かない王子に遂に王は根負けした。

仕方なくアリスとの結婚は許したが、世継ぎが期待できない以上は側室を取らなければならない。

アリスとの婚姻の条件として、宰相の娘であるエリザベートの宮内入りは必須となった。


しかし、その後数年は他国との戦争に出陣しルースは滅多に城へと戻れなかった。

戦争とはいえ、その殆どがリノアヴェールへ攻め入る他国の撃墜だった。

唯一魔法が存在するリノアヴェールは常に他国からの侵略危機にある。

そんな日々の後、アリスは肺炎を患ってルースの留守中に亡くなった。


戦地に送られたアリスからの最後の手紙は風邪をひいたアリスを心配するルースの手紙への返事だった。

「ご心配ありがとうございます、陛下。

ただの風邪ですから、どうか気にしないでください。陛下のご無事とご帰還を心から祈っております。アリス」


(ただの風邪を拗らせて肺炎をおこしてしまうなんてとんだ間抜けだ。)

アリスの訃報を聞いて慌てて帰還したルースは冷たく棺に横たわるアリスにそう呟いて遺体を抱き寄せた。

皇太子妃の1周忌が過ぎた頃だろうか、ルースがそれまで一度も相手にしていなかったエリザベートに寵愛を授ける様になったのは。


ずっと考えない様にしていたアリスや過去の事が突如として頭に浮かんだのはフォンテーヌが嫁いできたからだと思った。

リクの態度にも些か腹が立った。

チッと舌打ちして、ベッドに寝そべると開けた窓からそよそよと心地よい風がルースの髪を撫でた。

心地よさに目を閉じて写真立てを胸に抱きながらルースは眠りに落ちた。


「ルース様にコレをさしあげます!」

陽の光を浴び、輝く髪を靡かせて少女は作った花冠をルースの頭に乗せる。

前歯の乳歯が抜けたばかりなのだろう、ニカっと笑った少女の顔が可笑しくてルースは笑った。

滅多に笑わないルースは自分の笑い声に驚きながらも抑えることは出来なかった。

釣られて少女も笑うから余計に可笑しくて遂に腹を抱えて悶える。


そんないつかの記憶に、ルースは夢だと知りながらも幸せだと思った。

夢だと分かっているから覚めないで欲しいと願うほどに。


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