第4話

リクに案内されてからだいぶ城内を歩いた。不思議なのは、通ってきた道が裏道というか彼のいう通り足場の悪い隠し通路みたいな狭い場所をひたすら抜けたこと。

城内の煌びやかな装飾も見事な庭園も立派な王座の間が横目に映る事もなく、暗い迷路の様な通路を通り、所々欠けた階段を昇り降りした。城に勤める何千人ともいる人間とも一人もすれ違わない。


フォンテーヌはリクにエスコートはされていたものの、重たくて足捌きの悪いウェディングドレスのおかげで息が上がっていた。


「さぁ、もうじき妃殿下の住まいに着きます。

もう少しの辛抱ですよ。」

もう、どれほど歩いただろう。

30分か40分?

あのミアですら薄っすらと額に汗を滲ませて言葉少なくなっていた。


「あの…私の住処って、宮内ではないのですか?も、もしや、やはり牢獄か…はては塔に幽閉とか…ですか?」


「ハッ、まさか!

大事な妃殿下を幽閉、まして投獄なんてもっての外で御座いますよ。」

リクはフォンテーヌの問いを有り得ないと許りに否定したが、(まぁ…監禁くらい?)はするのではと非情な皇太子の顔が浮かび薄っすらと乾いた笑みを浮かべる。

力を込めれば容易く砕けてしまいそうなフォンテーヌの細く小さな白い手を掴んでリクは息を荒く必死に付いてくるこの姫君を気の毒に思った。


隣国の防衛を担っていた友国とは聞こえは良いが金の上納が少なくなれば話は別だ。

リノアヴェールごとき我が国の軍事力に罹ればいつでも侵略できる。

金がなくとも、穀物を育てる恵まれた土壌は奪う価値がある。

神の恩恵頼みの無知な国民が知らないだけで、如何様にも人の力で豊かになるであろうリノアヴェール。

愚かな王も国民も哀れな妃君に一切の責任を押し付け、こうして容易く他国に売り捌いた。

我が王子にどの様な扱いを受けるかなど考えてもおらず、儀式の為に月に一度は返せと条件を付ける非情な国家だ。


(こんなに小さく今にも消えそうなくらい儚い少女1人に全て担わせるなんて、哀れだ。)


苦虫を噛み潰したようなリクの表情はきっと後者にいる二人には見えていないだろう。

息を切らす姫と、まだ20歳にもなっていないであろう若いがしっかりとした侍女を案内したのは、広い城内の端にある別邸だ。

ここは滅多に…というか、普段人が立ち入らない城の隅にある一角だった。

すぐ側に小さな門の勝手口があるから常に警備兵2人くらいはいるが、広い王城の中でも特に寂しい場所だ。

新しい妃が来るからと急遽建てられた別宅だが、この場所になったのは皇太子ルースが寵愛する側室のエリザベートの希望だった。

エリザベートは新しい皇太子妃が来る事にひどく悲しみ、それを見たルースが胸を痛めて自分達の生活圏から遠く離れた場に別邸を造らせたのだ。

元々、有事用の王族の避難ルートを通って行ける場所でもあるから人目を避ける事も出来る。

絶世の美女であるというフォンテーヌを城の者達に見られて満に一つでもエリザベートと比べられ傷付かない様にというルースの配慮とエリザベートとフォンテーヌが鉢あわないようにする為でもあった。


別邸に入ると、10人ほどの使用人達がフォンテーヌとミアを出迎えた。

外の雰囲気は殺伐とした寂しい場所ではあったが、中は薄いブルーを基調とした清潔感の漂う内装で色とりどりの花が生けられいる。


「ようこそフォンテーヌ妃殿下、私が別邸執事を務めますエストでございます。

足場の悪い中、よくいらっしゃいました。」


パリッとした燕尾服を着た品の良い白髪の男性が綺麗に腰を折ってフォンテーヌの手を取り、キスを落とした。

一連の仕草がスマートでフォンテーヌは呆気に取られたが、今度は狼狽える事なく優しい笑みで挨拶を受け入れた。

その控え目な微笑みでさえ眩い光を放つフォンテーヌに、ベテラン執事ですら思わず目を奪われた。


「ほぅ…これは、これは、いえ、大変失礼致しました。どうか気を負わず此方の邸宅ではゆるりとお過ごしくださいませ。」


これまでの待遇に歓迎やもてなしを期待して無かったフォンテーヌだが、物腰の柔らかそうな執事の温かな言葉と態度にホッと胸を撫で下ろした。


「ありがとう」

優しそうな執事の気遣いにお礼を言った後に案内された部屋には、馬車に置いてきた荷物が既に届けられていた。

いつの間に?と首を傾げたが、一緒に室内に入ったミアは「やっぱり。」と目を吊り上げた。


「どういうこと?」

「姫様は鈍いから気付いて無かったかもしれませんが、私達が来た通路は表通路ではありませんでした。

最初から姫様を群衆に出す事も、ましてや城の者達に知らしめる事も拒んでいるのです。

リノアの祝福の姫君に対して何という無礼を…!」

「ーということは、荷物だけ堂々と城内を通って来たのね…ふふっ、こんなトランク3つ程度では誰も皇太子妃の荷物だなんて思わないわね。」

「笑い事ではございませんよ。

リノアヴェールが馬鹿にされているのですから!」

普段あれだけ冷静沈着なミアがこうして鼻息荒く憤慨しているなんて…と、フォンテーヌは益々可笑しくなった。


しかし、改めて部屋を見渡すとミアが怒るほどぞんざいに扱われていない気もした。

冷遇するつもりの姫1人なら何処の空き部屋に放り入れれば良いのだし態々真新しい別邸を構える事などしないだろう。

家具や寝具も大層立派なものだ。

部屋のあちこちは別邸の使用人達が用意したのかリノアベール国花のネモフィラが飾られている。

白を基調とした部屋に映える淡いブルーにフォンテーヌの心が和んだ。

(大丈夫、割と大事にされているわ。)


大きな窓からは城を囲む城壁しか見えないが強い眼差しでギュッと胸元を掴むと、隣国から嫁いだ姫は広い空を見上げた。


コンコンとドアをノックする音に反応したミアがドアを開けると、そこにはリクが立っている。

彼は今後の予定を伝えに来たと言ってフォンテーヌの許可を得ると初めてドアの内側に入って来た。

手の甲にキスをする挨拶も必ず手を取り女性をエスコートする様も、どうやら大変紳士的な国であるのだなとフォンテーヌは感心した。武力国家だから無骨な男が多いのだろうと勝手に思っていたが、どうやら違うようだ。


「さて、今日はこのまま休息して頂いて構いません。皇太子殿下も当面いらっしゃるご予定はございませんし。」


淡々と告げるリクにフォンテーヌとミアは呆然とする。

しかし、ミアの眉間に深い皺が寄ったのをフォンテーヌは見逃さなかった。

彼女がリクに噛み付く前にフォンテーヌは慌てて口を開く。


「あの…っ、では挙式は?

それに今夜は…その、何というか…つまり」

フォンテーヌが顔を赤らめて口籠ると、リクは「あぁ、」と皇太子妃の言わんとする事を察して続けた。


「挙式はございません。

既にお二人は書面上夫婦として司祭様に認められていますし今更神に誓い合う必要はございません。

それから、初夜もありません。

殿下にはエリザベート様がおります。

あの方は陛下が他の女性とご一緒されるのを何よりも嫌っておられます。

陛下もエリザベート様の嫌がる事はなさいませんから。」


「そ、そう…ですか。」


あまりにもリクが平然と話すものだから、幾つも疑問が浮かぶのに上手く聞けない。

ミアに関しては空いた口が塞がらず金魚みたいに口をパクパクとさせている。


「それから、王と皇后陛下のご挨拶も不要でございます。皇太子妃殿下に於かれましては、此方の別邸でつつがなく御過ごし頂ければ宜しいので決してご勝手に宮内にご参上されません様に。

皇太子殿下がいらっしゃる日をどうぞお待ちください、では。」


此方の返事も聞かずに用件だけ伝えると、リクは一礼して部屋を出て行ってしまった。

その場に静寂が漂ってどのくらい時間が経ったのか、フォンテーヌはペタリと力無く座り込み己の立場を理解した。


花嫁になったのではない。

私は隣国へ人質として連れてこられたのだと。

捕虜や人質は教会が認めない大陸全体の掟だから、「妻」として迎えるほか無かっただけで本来の目的はリノアヴェールが差し出した人質なのだ。

いや、そんな事は最初から分かっていた。

フォンテーヌがショックだったのは、嫁いだ国に少しでも貢献したかった、皇太子ルースに跡継ぎくらいは残せれば大義もあると考えていたから、そうして本当の意味で2つの国の架け橋となってくれればという淡い期待があったのだ。

その想いが絶たれて、ただ此処で息をしていれば良いと言い放たれた事に絶望した。

ましてや、皇太子本人ではなくその片腕に言伝に言われたのだから僅かなプライドは粉々に散った。


「姫様、とりあえずドレスを脱いで着替えましょう…邸宅の侍女に湯浴みの準備も頼んで来ますから終えたらお茶にしましょうね。」


落ち着いた声でミアがウェディングドレスの背後のジッパーを下ろすと、漸く呼吸をしてフォンテーヌの胸が大きく上下した。

着替えのワンピースを取り出すミアはさっきまで怒っていたのに急にしょんぼりして見えて、フォンテーヌは心配になった。

思えば今日は色々な表情をするミアが見れた。

こんなにも表情豊かな子だったかしらね、と虚な瞳に不安そうな侍女が映る。


「…元気、出してミア。

きっと大丈夫よ。」


そう、彼女に声を掛けてから先の事をあまり覚えていないが、どうやらあの後言われるまま湯浴みをして夕食を部屋で食べて眠ってしまったようだ。

翌朝ミアにベッドの天蓋を容赦なく開けられると痛いほどの朝日が目に飛び込んだ。

フォンテーヌは思わず羽毛布団を頭からかぶって朝日から逃げるが、無情にもミアによって布団は剥ぎ取られた。


「いつまで寝ているんです?!

もう、とっくに陽はてっぺんまで登りましたよ!」

「も〜!

いいじゃない、私は何もしないでいいんだから好きなだけ眠らせてよ〜!」

布団を引っ張りあっているうちになんだか悩んで落ち込んでいるのも馬鹿馬鹿しくなってフォンテーヌは声を出して笑った。


「さすがは姫様、一晩眠ったら悩みなんて吹き飛んじゃったんですね。

昨夜はこの世の終わりみたいな死にそうなご様子でしたのに、本当に馬鹿で助かりました。」

「…失礼ね」


ミアもいつも通りの無表情な皮肉屋に戻ってフォンテーヌは心底安心した。

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