第6話「恍惚」

 夏休みの期間。

その始まりの日に、私は彼の病室に訪れると、彼は病室から消えていた。

名前も無く、ベッド周りには荷物が綺麗さっぱり消えていた。

実はここ2週間、別の用事があって来れないでいた。

 その間に彼は、退院してしまったのだろう。

それはそれで嬉しい事だけど、少し寂しかった……。


「君は……廻里さんかな?」


 ふと後ろから、病院の先生に声を掛けられた。

暁月くんの担当医で、時々顔は見た事があった。


「あ、はい。暁月くん退院したんですか…?」

「あれ、聞いてなかったのかい?彼なら西の病棟の4階に居るよ。君が来なくて寂しそうにしてたね」

「ほっ……」


 病室を移っただけなら、良かった。

もう会えないかと思ったら、まだチャンスはあるみたい。


「廻里さん。いつもありがとうね」

「いえ…私が会いたくて来てるだけなので……むしろ、もう少し静かに接してあげないといけないのに…」

「いや、それでいいんだよ。これからも彼に会いに来てあげて。彼、君にベタ惚れみたいだ」

「えっ…!?」

「まぁ、僕の推察だよ。気になるなら彼に聞いてもいいかもね?」



 先生はもう一度、暁月くんの病室の場所を教えてくれると、別の病室に足を運んで行った。

『彼、君にベタ惚れみたいだ』

 その言葉と暁月くんの顔がずっと頭の中に映り続けて、顔が熱くなる。

 顔の熱さを誤魔化すように、うちわで仰ぎながら病室へ向かった。




 個室の病室。

そこに暁月くんは居た。


「あ……久しぶり!廻里さん!」

「久しぶり…じゃない!病室移ること知らなかったから、びっくりしたんだよ!」

「あはは!ごめんね。来ない間に病室移っちゃったからさ…」

「もう~」


 個室の病室は何処と無く、嬉しかった。

2人きりの空間というのを嬉しいと思った私も、とっくに暁月くんにベタ惚れみたいだった。






 * * *





「廻里 伊愛です。よろしくお願いします」


 自身の名前を口にする。

やっている事は、テレビや取材、ライブ前の挨拶と変わらない。

 でも、それだけで、この歓声は少し気恥ずかしかった。

先生が私の事に関しては軽く説明してくれるらしいので、静かに佇みながら聞く。


「大半が歓声を上げる程に、君達は彼女の事を知っているな。彼女は歌手として有名人だが、ここでは普通の学生だ。だから、あまり困らせては行けないぞ。何か、彼女に対して全員が知りたがる質問がある奴は挙手しなさい。4人までだ」


 ───バッ!!

……目の前で30人もの人が手を挙げた。

そのうち男の子が6割、女の子が4割に分かれいた。


「あー…じゃあ灰原」

「よっしゃぁぁ!」


 いかにも不良な生徒な『灰原くん』

学校に居るヤンチャな男の子の枠な気がする。


「廻里さんを口説いてもいいんですか!」


 溢れる笑い声。

先生も笑い声に負けないように、声を張って先生が質問に返した。


「あぁ、構わないさ。口説けるならな!」

「よーし!」

「次、茶川!何が気になる?」

「はい!趣味はなんですか!!」


 先生から目配せが見える。

答えてくれという意味のよう。


「歌うことと甘い物を食べたりする事が好きです。あまり目立った趣味は少ないですね……」

「「おおおー!」」

「──次は小谷。いいぞ」

「どこに住んでるんですか!」

「あー……それはもっと親密な関係になったら教えてもらいなさい。一応歩いて来れる距離ではあるぞ」

「探そ探そ!」


 沢山の人が食いつくように、挙手をする。

そこへ、1人が遅れて手を挙げた。

それは1番奥の窓側端の席。

そこに……………彼はいた。


「暁月、答えていいぞ」

「……はい。───どうしてこの学校に来たんですか?」


 あまりに真面目な質問に、周りからは残念そうな声が飛ぶ。

解答権は先生から私へ。

 私はただただ目的を告げた。





「会いたい人が居たからです。その為にこの地域に、学校に、やってきました」





 それが誰であるかは、あえて言わなかった。

視線の先に居ておきながら、あえて隠した。

言ってしまうと、周りの人が彼をどう思うか分からなかったからだ。

その事情を知らない周りの人は、独り言や解釈し始めた。


『会いたい人?誰だろう』

『何それ、めちゃくちゃ感慨深いな』

『まるで恋愛漫画のような理由……』


「はい。質問タイム終了。あとは個人的に聞いたりしなさい。廻里さんは後ろの席、暁月の隣の席だ」

「わかりました」


 教壇を降りて、席の合間を抜けながら、後ろの席まで歩いていく。


「うわぉ…めっちゃいい匂いした…」

「香水?それにしてはキツくない……」

「やっべぇー!興奮する!」

「お前は口を閉じてろ。口臭が混ざる」

「おおん!?」


 通り過ぎる席の人達から私の匂いの感想を呟かれる。

いまいち自分の匂いは分からないのと、匂いの感想を述べられたのは初めてなので、何かと貴重なことを聞けた。

 良い匂いはするらしい。


「………」

「───」


 視線が合う。

眼鏡をかけているから、より昔の思い出も相まって知的な印象が増していた。


「よろしくね。暁月くん」

「う…うん。よろしく」


 目に見えて、顔と耳が赤くなっている。

前はこんな反応もしなかったのに、今はすごく反応がいい。



 改めてよろしくね。暁月くん。


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