第1話「光」

 夕暮れの眩しい光と輝かしい栄光から逃げるように、1人の青年は競技場の影に身を消した。




 選手専用の控え室では無く、備品置き場の場所に向かうと、そこで彼女は帰りを待ってくれていた。

彼女の手には、出場前に散乱させていた服が綺麗に折りたたんである。


「おかえり、お疲れ様。暁月あかつきくん」


 ショートヘアの黒髪、所々くせっ毛がある女の子。

彼女の名前はひいらぎ 心緑ここみ

もう一人の陸上部員、種目は100mと200mがメイン。


「ありがとう、ひいらぎさん。服も畳んでくれて」

「どういたしまして!暁月くんのマネージャーですからね!」

「何を誇らしげに言ってるのさ。互いに選手であり、マネージャーなのに」

「えへへ。でも、もう普通の選手無くなっちゃったけどね」

「─そうだね」


 隙間から見える電光掲示板。

そこに記された大会新記録、高校生新記録、世界新記録、同時の更新。

俺の名前と俺のタイム。

片目だけでも、それははっきりと見えた。


「暁月くん、眼鏡眼鏡!」


 そう、柊さんに言われると同時に、それを思い出した。


「あぁ……ありがとう。忘れてたよ」


 渡された眼鏡をかけて、閉じていた右眼の瞼を開ける。

見えていた電光掲示板の文字は、すっかりボヤけて読み取れなくなってしまった。


「片目閉じて帰ってくるなんて、まるで戦いにでも行った感じだったよ?主人公がボロボロになりながらもボスを倒してきたみたいな感じ!」

「そんな大層な事はしてないけど、戦いという意味では、合ってるかな」

「えへへ。とりあえず……着替えるよね?わたし、先に車に戻っておくよ?」

「うん。わかった、すぐに行くよ」


 柊さんは今の俺に不必要なものが詰まっている鞄を背負い、足早に駆けて行く。

ビニール袋の中に折り畳まれた服、スパイクの袋と靴と携帯電話の最低限、荷物が少なくなるように計らってくれていた。

スパイクから靴を履き替え、ユニフォームからTシャツと半ズボンに着替え、ポケットに携帯電話を入れて、手にはビニール袋に詰めたユニフォームとスパイク袋を持ち、歩いて行く。

競技場内では、ずっとずっと俺を呼び出していたが、無視して柊さんの待つ車へと向かった。




 夕陽の光に目が眩みながら、競技場外の広場にやって来た。

競技場から駐車場へ向かうまばらな人々の中に、ひっそりと交じる。

視線の先には、1つの車が待っていて、その中には柊さんと顧問の先生がこちらを見つめて待っていた。

手で影を作りつつ、目を細めてそこへ向かう。

 そんな時だった。

後ろから肩を2回、ポンポンと叩かれる。

力加減的には女性の気配、記者だろうか。

振り返って見た瞬間に判明すれば、逃げ去ればいい。

 俺は後ろを振り返った。




 ────。

耳鳴りに似たものが頭に響く。

そこにいたのは、同い歳くらいの女の子。

それも浮世離れした雰囲気と見た目だった。

金色の長い髪、白い肌、青い目、服装はラフだけれど、本人自身のルックスがあまりに良すぎて、びっくりする。

 それに加えて、夕焼けの光が白い光の化身のような女の子を更に美しく際立たせていた。


「…………」


 女の子は静かに見つめてくる。

あまりにもじっと見られると恥ずかしいのだが……。

女の子は微笑んで、ゆっくりと透き通るような声で言葉を紡いだ。











「暁月夜花くん。貴方が好きです。付き合ってください」

「───え!?」
















 あまりに唐突すぎて、頭がバグってしまう。

ほんの一瞬で顔全体が熱くなるが、目を逸らして気持ちをほんの数秒で落ち着かせる。

 とりあえず、嬉しいには嬉しいけれど、答えは決まっている。


「─ごめんなさい。嬉しいけど、今は急いでいるから…!」


 その女の子を振り切るように走り去る。

正確には、明らかにカメラを持った男がこちらに駆けてくるのが見えたから、逃げる。

 正直、素性が分からない人からの誘いには乗れない。

ほんの十数秒で車に到着し、ドアを開けて、車の中へ滑り込んだ。




「ふぎゅっ!」

「あぁ…!ごめん柊さん!」


 乗り込む勢いが強すぎて、俺の体と向かいのドアで柊さんが押し潰されてしまった。


「こら、暁月。駆け込み乗車は感心しないな、ただでさえ小さい柊が、もっと小さくなってしまう」

「小さいは余計です、たちばな先生!」

「ごめんね、柊さん…」

「あわわ…大丈夫だよ、大丈夫…!」


 姿勢を戻して、柊さんから離れる。

一息ついて、バックミラー越しに俺を見ている、運転席で飴を咥えた女の先生。

陸上競技部顧問兼生物と化学担当の教師、橘 香織先生。

 あと、俺のクラスの担任。

26歳独身、趣味は実験と賭博。

なぜ体育教師じゃない人が顧問なのかというのは、元々うちには陸上競技部というのが無かったのと、先生が学生時代元陸上選手だったというのが理由だ。


「それで、何を突然立ち止まって走ってきたのかね?」

「あぁ、女の子に呼び止められたんです。あと走ってきたのはカメラマンが見えたからですね」

「ほう、女の子と何を話したんだ?」

「あ~……告白されました……」


 ガリッ。

飴が噛み砕かれた音。

 その後、ニヤニヤしながら、振り向いてくる橘先生と横で凝視している柊さん。

2人とも興味津々だった。


「ほほう、まぁ世界最速で有名人だ。実力行使でモテ期が来たな。それで?答えはどうしたんだ?」

「断りましたよ。何も知らない女の子の誘いには乗れません」

「ほっ…」


 もう一度、窓の外を見る。

広場の真ん中で、こちらを見つめている女の子と彼女に話しかけるカメラマンの姿があった。


「まだ、その女の子が居るの?」


 柊さんは俺のいる方の窓にへばりついて、外を眺めた。


「……え…!待って!『閃光の歌姫』だ!なんでこんなところに!?」

「なにそれ?」

「今、もの凄く有名な歌手だよ!先生!会いに行っていいですか!」

「構わんよ。ただし、手短にな」

「やった!」


 柊さんはドアをもの凄い勢いで開けて、颯爽とその『閃光の歌姫』に会いに行った。

けれども、カメラマンと話しているのを見て、勢いが落ち、遠慮しているのは実に柊さんらしい。

 でも、それに『閃光の歌姫』は気付いてくれたようで、握手を交わしていた。

写真を撮って、お礼をして、スキップで帰ってきては、勢い良くドアを閉めて中に乗り込んできた。


「……君達は人の車をなんだと思ってるんだね」

「あぁ…!ごめんなさい!」

「まぁいい…さぁ、出発するぞ」


 橘先生がエンジンをかけて、ゆっくりと前進し始める。


 夕陽の光が世界を照らす中、俺は視界から消えるまで『閃光の歌姫』を眺めていた。

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