第6話 第37回有馬記念(G1)

 俺と中岡は土曜日のWINS後楽園の券売機周辺にいた。

 有馬記念は翌日なのだが、有馬記念の前日発売の馬券を買いに来ていたのだ。有馬記念当日は場外馬券売り場もかなり混雑する。前日発売で馬券を買うのは初めてだった。いつもは買い目が絞れずに直前まで悩むので、馬券を買うのは早くても日曜日の午後一。彼女が寝た後、ラブホの小さなテーブルで予想をしたこともある。人混みが嫌いな俺としては、空いている土曜日に馬券を買うのは気分がいい。加えてトウカイテイオーの単勝1点勝負するには、決意が揺るがないうちに前日発売にて馬券を買ってしまいたかった。

 実はトウカイテイオーにはアクシデントが発生している。主戦ジョッキーの岡部騎手が騎乗停止で有馬記念の手綱を握れなくなってしまい、田原成貴騎手への乗り替りとなっていた。安田隆行騎手に戻るかと思ったのだが、「元祖天才・田原成貴」なら問題ない。

 中岡はトウカイテイオーをヒモにするらしいが、俺はむしろ田原騎手への乗り替りを歓迎していた。乗り替りを嫌って少しでも単勝オッズが下がればいいと思ったからだ。案の定、トウカイテイオーの単勝オッズは2.4倍の1番人気。前走のジャパンカップの勝ちっぷりから考えると、1.5倍ぐらいにまで下がると思っていたから上出来だった。当たれば7万越え。捕らぬ狸の皮算用。

 単勝1点買いというのは予想が楽でいい。相手を考えなくていいのだから。今回は競馬新聞すら買っていない。俺にとって新聞はトウカイテイオーの馬番さえわかればいいだけのものだった。

  暮れのグランプリ「有馬記念」の舞台は中山競馬場芝2,500m。小回りの中山競馬場のターフを一周半するためか、2500mという距離にしてはマイル向きの馬でも勝てるレース。オグリキャップのラストランは有名だ。今年になってトウカイテイオーは2敗しているが、理由ははっきりしていた。春の天皇賞は距離と相手。秋の天皇賞は殺人的ハイペースを先行してついて行ってしまったのが敗因だ。一時は「終わってしまった早熟馬」だの「トウカイテイオーの世代は弱かった」だの、散々叩かれたものだがジャパンカップの勝ちっぷりでみんな黙ってしまった。中山競馬場なら紛れはないだろう。初めて見た皐月賞を思い出す。


 俺はマークシートに記入して、誰も並んでいない券売機で馬券を買う。「中山9R単勝5番」何故か「トウカイテイオー」の馬名は無かったが、買った馬券はすぐに財布に仕舞った。

 「いくら買ったの?」

 中岡の問いに俺は財布から馬券を取り出し、水戸黄門の印籠の様に馬券を見せつける。

 「控えおろう!」

 トウカイテイオーの単勝1点30,000円。彼女へのクリスマスプレゼントよりも高い。もちろん彼女には内緒だった。

 「あれ?」

 中岡が俺の馬券をしげしげと見つめる。何かあった?

 「…有馬の馬券じゃないよ」

 「ななな、何~ぃ!?」

 俺は自分で買った馬券を慌てて見直す。「’91年5回中山7日9R5番30,000円」と書かれている。…7日?

 「ああああああ!!!!」

 俺はマークシートの「前日発売」にチェックを入れるのを忘れたのだ。やっちまった。

 「どどどど、どうしよう?」

 完全にうろたえている。中岡はゲラゲラ笑っていた。笑いこっちゃないわ!!俺のなけなしの3万円だぞ。

 「そのまま、持ってればいいじゃん。間違えた馬券は当たるって言うし」

 確かによく聞く話だが、俺は今まで間違い馬券で当たったことは無い。競馬場のチェックを間違えて、当たっているはずの馬券を外したことならあるが。根本的に金運がないのだ。

 「バカ言うな!!俺の3万円はトウカイテイオーのためにあるんだ!!」

 今更トウカイテイオーの単勝を買い足す資金なんてないぞ。これから彼女とデートなのだ。デート資金ならあるが、こいつまで競馬に突っ込んだら人として終わりだろう。彼女に「競馬に使ったから金がない」なんて口が裂けても言えるわけがない。

 「そう怒るなよ。窓口で払い戻ししてくれるから」

 「へ?そうなの?」

 中岡の話によると、券売機で買った馬券なら間違って買った馬券も払い戻しをしてくれるのだそうだ。もちろんレースがスタートする前の締め切り前でないといけないのだが。マークシート方式で自動券売機から馬券を売るようになってから、年配の方がよく間違えるらしい。そういえば親父もよくマークシートの書き間違いをしていたな。親父は舟券だったけど。

 俺は急いで人のいる券売所へと走った。


 無事に有馬記念のトウカイテイオーの単勝へと買い替えた俺は、昼前に中岡と別れて彼女の元へ向かう。

 競馬に興味がない彼女とは、ほぼ毎週土曜日から日曜の午前までデートをする。毎週日曜の午後は、競馬をしたい俺の時間とさせてもらっていた。興味がないながらも俺の趣味を否定しない、できた彼女だった。彼女の誕生日は1月1日。トウカイテイオーに勝ってもらって、豪華な誕生日プレゼントを用意しよう。クリスマスイブには会えなかったので、プレゼントを持って地下鉄に乗った。少し遅れたクリスマスデート。「トウカイテイオー」の名が印字された馬券を、時折財布から取り出しては一人でニヤニヤしていた。

 日曜の午後2時まで彼女としっぽりした俺は、急いで家に帰り自分の部屋でスポーツ紙を片手にテレビの前に座る。付き合って最初の頃は、彼女といっしょに競馬を見ていた。しかしいつの間にかいっしょに見なくなっていた。馬券が外れたときの俺は、相当機嫌が悪かったようだ。当たってもその場で何かをプレゼントするわけでもないし。馬券は換金しなければ現金にならないのだから、仕方がないっちゃあ仕方がないのだが。

 今回は日曜の競馬新聞を買っていない。有馬記念しか馬券を買う気がなかったし、そもそも軍資金がないのだ。スポーツ紙の競馬欄を広げ、ふと前日のレース結果に目を通す。


クリスマスステークス 1992年12月26日 5回中山7日目9R 4歳以上オープン 13頭(芝右 外1600m / 天候 : 晴 / 芝 : 良)結果

1着 4枠 5番 ニホンピロラック 柴田政人騎手 1:33.8    ━   6人気

2着 7枠 11番 エーピージェット 的場均 騎手 1:34.0  1.1/4馬身 2人気

3着 8枠 12番 ノーモアスピーディ坂井千明騎手 1:34.4  2.1/2馬身 4人気


払い戻し

単勝  5番 1,150円 6人気

複勝  5番  350円 7人気

    7番  270円 3人気

    8番  250円 2人気

枠連 4‐7 1,610円 6人気

馬連 5‐11 3,890円 14人気


 「え…?」

 ひょっとして間違えたままだったら当たってた?単勝1,150円?…30万?

 呆然としているうちに有馬記念はスタートし、いつの間にかゴールしていた。


第37回有馬記念(G1)  1992年12月27日 5回中山8日目9R 4歳以上オープン 16頭(芝右2500m / 天候 : 晴 / 芝 : 良)結果

1着 2枠 3番 メジロパーマー  山田泰誠騎手 2:33.5   ━   15人気

2着 3枠 6番 レガシーワールド 小谷内秀騎手 2:33.5  ハナ  5人気

3着 1枠 1番 ナイスネイチャ  松永昌博騎手 2:33.7  1.1/4馬身 4人気

 …

11着 3枠 5番 トウカイテイオー 田原成貴騎手 2:34.8  ━   1人気

払い戻し

単勝  3番 4,940円 15人気

複勝  3番 1,590円 15人気

    6番  350円  5人気

    1番  310円  4人気

枠連 2‐3 3,300円 12人気

馬連 3‐6 31,550円  66人気



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