第3話 第58回東京優駿(G1)
俺と中岡は皐月賞の帰り道、中山競馬場からJR武蔵野線「船橋法典」駅への裏道をトボトボと歩いていた。通称「オケラ街道」と呼ばれる道だ。中岡も皐月賞は盛大に外したらしい。
「そこはアサキチじゃなくて、シャコーグレイドだろ!!」
俺のパドックでの話を聞いた中岡が声を荒げる。
「アサキチなんて若葉ステークスの前に弥生賞も使ってるんだから。買うならシャコーグレイドの方だよ」
いやいや、お前だって買ってねえじゃん。
「他人の見つけた穴馬には乗っかっておくの!これが鉄則!!」
中岡が熱かった。まあ中岡の言うこともわかる。今のオッサンの俺なら間違いなく買っていただろう。理由は簡単だ。乗っかって買って外した場合と、乗っからずに買わないで来た場合。どちらがより悔しいか。リスク管理の観点から、間違いなく前者を取る。
競馬とは人生の縮図、失敗の連続だ。自分の思う通りに行かないことの方が多いのだ。今回の皐月賞は教訓として心に刻んでおこう。
ダービーが目前に迫っていた。世間の話題はトウカイテイオーが父シンボリルドルフと同じように三冠を獲れるか、となっていた。まだ二冠目のダービーすら獲ってはいないというのに。既にダービーはトウカイテイオーが勝つと決まっているようだった。
いやいや、そんな訳にはいかないだろ?俺の中のひねくれ者が顔を出す。しかし俺の中の厨二病は、ドラマとしての「トウカイテイオー三冠」を夢見ていた。やはり競馬にはロマンを求めてしまうのだよ。ロマンの欠片が欲しいのさ。ラララ、真っ赤なスカーフ。
悩んだ俺は、結局トウカイテイオーを軸にすることに決めた。好きな馬を買って負けるなら、そこはあきらめがつく。そもそも無敗の皐月賞馬なのだから、負けるポイントを探す方が無謀だ。それに馬券は連勝複式。つまり1着馬と2着馬を当てるのだが、順番はどちらでも構わない。現在は馬番連勝単式が主流で三連単まであるが、当時はまだ枠番連勝複式が主流。馬連ですらまだなかったのだ。何かに出し抜かれて2着はあっても、連対を外すことは考えられなかった。
となると2着は何か、ということになる。皐月賞組はトウカイテイオーとの勝負付けは済んだとされ、別路線組に注目が集まった。筆頭はダービーと同じ舞台、青葉賞2400mを勝ってダービーに臨む「レオダーバン」だ。しかもジョッキーは岡部幸雄氏。トウカイテイオーの父のシンボリルドルフの主戦ジョッキーだった名手。トウカイテイオーの前に、父をよく知るライバルが立ちはだかるなんてドラマだよなぁ。
レオダーバンを買うなら1点勝負しかない。何しろ配当が4倍を切りそうだからだ。5点買ったらガミるのは必然。
しかぁし!!
俺は穴から買うことにする。中岡がいいことを言っていた。曰く「強い馬は穴馬を連れてくる」と。
理由も教えてもらった。相手が強い場合、勝負を賭ける馬は早めに「負かそう」と仕掛けてくる。相手が本当に強い場合、抜かせないまま仕掛けた方が根負けして失速してしまうのだという。すると勝負よりもベストを尽くそうとしていた穴馬が、失速した馬を躱して飛び込んでくるということだった。なるほど、説得力がある。
となれば俺の好きなもう1頭、イブキマイカグラの出番だろ?…と思ったのだが、骨折が判明してダービー回避。
ならば二匹目のどじょう、シャコーグレイド!!…と思ったのだが。え~っ!3番人気?そりゃないよ!中岡曰く「穴馬というのは人気でコケて人気を落としてから来るから穴馬なんだ」だと。今回のシャコーグレイドはコケるパターンじゃん。参ったな…
どこをどう捻って予想してみても、トウカイテイオー・レオダーバンの予想一択しか出てこなかった。20頭立てと頭数は多いのに、俺の中では2頭立てだ。普通ならこう考える。「1点買いの鉄板レース」だと。
それでも当時の俺にはトウカイテイオー・レオダーバンの馬券が買えなかった。オッサンとなった今では考えられない。
単純に若かったから?性格?おそらく当時の若い俺は、平凡や退屈が嫌いだったのだろう。奇をてらうことを狙っていた。何かこう劇的なもの、刺激的なもの、ドラマチックなものを求めていた。固いレースを「つまらないレース」と捉えてしまっていた。「俺は俺だけの予想で、穴を仕留めてやる」という野望を抱えていた。…厨二病全開だ。
散々悩んだ結果、俺はトウカイテイオーを軸に穴馬へ幅広く10点買いをした。今となっては何を買ったか覚えていない。
前回の皐月賞で懲りた俺は、東京競馬場に行くこともなくテレビの前に座った。中岡は競馬場に行ったらしい。「一緒に行かないか?」中岡に誘われたが、丁重に断った。中岡よ、お前がきれいなお姉ちゃんだったら一緒に行ったかもしれないが。テレビには大観衆が映っている。観客20万人だとか。人間の塊を見ているだけで辟易してくる。…行かなくて正解だ。
皐月賞は生観戦したから馬券を外したのだ。今回はテレビ観戦だから当たる…はず。根拠のないジンクスを捻りだし、テレビからはG1ファンファーレが聞こえてきた。
第58回東京優駿(G1) 1991年5月26日 3回東京4日目9R 4歳オープン 20頭(芝左2400m / 天候 : 晴 / 芝 : 良)結果
1着 8枠 20番 トウカイテイオー 安田隆行騎手 2:25.9 ━ 1人気
2着 5枠 11番 レオダーバン 岡部幸雄騎手 2:26.4 3馬身 2人気
3着 5枠 13番 イイデセゾン 田島良保騎手 2:26.6 1.1/4馬身 4人気
払い戻し
単勝 20番 160円 1人気
複勝 20番 110円 1人気
11番 170円 2人気
13番 280円 5人気
枠番 5‐8 350円 1人気
何も起きなかった。
2番人気レオダーバンを3馬身差につける圧勝。見事に俺の予想通りだった。…凹む。何か大きな波に逆らってはみたもののあっさり流された、そんな気分だった。自分の無力さを思い知らされたような。「何で俺は自分の予想通りに馬券を買わなかったんだろう?」自問自答する。
…答えは出なかった。
しかし一方で夢が広がった。親子二代の「無敗の三冠馬」への夢。考えるだけでワクワクした。競馬を始めて、過去の資料からシンボリルドルフを好きになって、息子のトウカイテイオーを追う。俺のような競馬ファンも多いだろう。夢を愛馬に乗せて。
後日「トウカイテイオー、左第3足根骨骨折・全治6か月、菊花賞断念」という新聞記事が出た。
夢は夢のまま、叶うことは無くなった。
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