第2話 第51回皐月賞(G1)



 中山競馬場に来たのは2回目だ。人混みが嫌いな俺は指定席を確保したかったのだが、G1レース開催当日の中山競馬場は前回来た時とは大違い。指定席は始発で来ても整理券が貰えるかどうか、というほどの混雑であった。しかも競馬場に来る来場者は、野球などのスポーツ観戦者とは人種が違う。どいつもこいつも愛想無く、殺気が漲っているように感じる。公営とはいえ「ギャンブル場」なのだ。一見して「その筋の人」とわかる人も多数いて、若造の俺は委縮してしまっていた。

 中岡は1レースから張り切っていた。パドックを見て馬の調子を確認する。馬が馬場入りする間に買い目を決めて、券売機に並ぶ。道中は人、人、人で溢れているのだが、中岡は器用に人をかき分けて進んでいった。曰く「ゴルゴ13のように気配を消すことが重要だ」と。お前は殺人スナイパーか?

 中岡は前日発売の競馬専門紙を手にし、ある程度の予想を家でしてきていたようだ。俺はというと駅の売店で買ったスポーツ紙の競馬欄のみ。午前中のレースなんかまともな情報もなく、ほとんど勘だけが勝負。パドックを見ても、馬の調子など何一つわからない。パドックと券売機の往復だけで忙しく、まともなレース検討もできなかった。

 運任せのような馬券が当たるはずもなく、俺の軍資金は午前だけで半分になった。疲労感も半端ない。軍資金をそれほど持ってきていない俺は、中岡に付き合うことを午前で止めることにした。

 二人で飯を食った後「皐月賞だけはいっしょに見よう」と待ち合わせの場所と時間だけ決めて、俺と中岡は午後から別行動を取った。


 とっとと皐月賞の馬券を買おう。パドックを見てからでは買いそびれる恐れがある。どうせパドックを見ても何もわからないのだから、いつものWINSと同じように先に馬券を買うことにした。軍資金にも余裕はないし。トウカイテイオーから5点流し。イブキマイカグラを厚めで、サクラヤマトオーにイイデ軍団ならイイデサターンが面白そう。ダンスダンスダンスとシンホリスキーは消してみた。武豊嫌い。あとはジョッキーでヨシトミとヨコテンと。

 他のレースを買わないとなると、競馬場はヒマを持て余す。無駄にタバコを吸い、目の保養にきれいなお姉ちゃんを探す。しかしいくら競馬ブームとは言え、まだまだきれいなお姉ちゃんどころか女性の姿もまばらだった。現在のようにスマホでもあれば、暇つぶしなどいくらでもできたのに。

 俺は早めにパドックに張り付くことにした。このままでは中山競馬場に来た意味がない。せめて皐月賞に出る馬ぐらい生で見ておこうと思ったのだ。

 パドックに向かうと、後姿がきれいな女性が最前列にいる。黒髪ロングのストレートで、ほっそりとしたシルエットにロングスカートが良く似合っていた。所謂「バックシャン」というやつだ。後姿美人は顔を見るとがっかりすることがあるのだが…

 俺はうまいこと人を躱し、後姿美人の左側に並ぶことが出来た。新聞で顔を半分隠しながら、恐る恐る隣の顔を確認する。色白小顔でちょい猫目の想像以上の美人だった。黒髪ストレートロングの美人は、手には何も持っていない。競馬はやらないのだろうか?何とか声を掛けようと、ヘタレの俺の勇気を探す。すでにまともに馬なんか見ちゃいなかった。

 何度か脳内で妄想を繰り返しているうちに「おおっ」と歓声が上がる。皐月賞出場馬のパドック入りが始まったのだ。俺は慌てて新聞を広げる。まだ馬名と馬番を覚えてはいなかったからだ。

 トウカイテイオーは8枠18番だから最後に出てくる。その前に他の有力馬も見ておかなければ。何かピンとくるものがあるかもしれない。

 イブキマイカグラがきれいだった。栗毛の馬体がつやつやと光って見える。他は…よくわからなかった。だいたい出走全頭の馬名も覚えちゃいない。

 一際歓声が大きくなる。トウカイテイオーが現れたようだ。

 …何だ?あの馬は。歩き方がおかしい。普通の馬はポックリポックリという感じで歩いているのに対し、トウカイテイオーはヒョコヒョコというか跳ねているというか。小さな子供が水たまりの上をつま先立ちで跳ねるように歩いているみたいな。興奮しているようにも落ち着いているようにも見えない。

 シンボリルドルフのことは中岡にビデオを見せてもらったり、雑誌とかで見たりしたことがある。「皇帝」というニックネームがピタリとはまる、威風堂々と言った感じだった。でもトウカイテイオーは「帝王」らしくない。無邪気な天才肌の「王子プリンス」と言ったところか。それでもしなやかさとか柔らかさとかバネのようなものは感じ取ることが出来る。いいか悪いかはわからないが、他の馬とは一味違うことはわかった。

 トウカイテイオーに見とれているうちに、気が付いたら俺の周辺は人で一杯だった。これは簡単には抜け出せそうもない。先に馬券を買っておいてよかった。

「そういえば」と右を見ると黒髪美人は…まだいた。隣の男と笑顔で話している。ちっ、男がいたのか。これだけの美人なのだから、彼氏がいたっておかしくはないのだが。何か悔しいので、どんな男か確かめてやる。

 前髪を庇の様に立てた、短髪ながらも清潔でおしゃれな髪型。高そうな薄茶色のスーツに、首元からは赤いスカーフ。背は高くないが、見るからに金持ちっぽい。畜生、イケメン爆ぜろ。当時はそんな言葉はなかったけど。

「ねえ、トウカイテイオーって子、強いの?」

 黒髪美人がイケメンに話しかけた。俺は思いっきり二人の話を聞き取ろうと耳に全集中だ。

「ああ、三冠馬ルドルフの子だから、強いんじゃないか?」

「サンカンバってそんなに強いの?」

「ああ、これまでにシンザン、ミスターシービー、シンボリルドルフしか三冠馬にはなってないんだ」

 セントライトが抜け取るわ!

「あ、ミスターシービーの子も出てるよ。この子もいいんじゃない?」

 な、何⁈俺は慌てて新聞を見る。…シャコーグレイドか~。

「よし、ユミの言うとおりにミスターシービーの子を買うか。行くぞ」

 イケメンは黒髪美人「ユミ」の手を取り、パドックから離れた。俺も後を追ってパドックを後にする。一人で人混みをかき分けるのは大変なので、二人に先導してもらうのだ。黒髪美人「ユミ」の後ろにべったりと張り付く形になった。いい匂いがした。


 人が少ない建物の片隅で、新聞を広げて考える。それにしてもシャコーグレイドか・・・前走はトウカイテイオーと同じ「若葉ステークス」を使っている。俺はまだ、競馬はメインレースしかやっていなかったので、若葉ステークスは見てもいなかった。


 若葉ステークス 1991年3月17日 2回中山8日目10R 4歳オープン 10頭(芝右2000m / 天候 : 晴 / 芝 : 稍重)結果

 1着 4枠 4番 トウカイテイオー  安田隆行騎手 2:03.6  ━  1人気

 2着 2枠 2番 アサキチ      横山典弘騎手 2:03.9 2馬身 4人気

 3着 6枠 6番 シャコーグレイド  柴田善臣騎手 2:04.1 1馬身 2人気

 払い戻し

 単勝  4番 120円 1人気

 複勝  4番 100円 1人気

     2番 210円 4人気

     6番 130円 2人気

 枠連 2‐4 920円 3人気


 競馬欄の馬柱では、上記のようには載っていない。ただシャコーグレイドが3着だったことはわかった。

 前走3着はないだろう。せめて2着には入っておかんと。消し消し。そういえば中岡が「強い馬は同じ馬を連れてくる」なんて言ってたな。お、「アサキチ」が面白そうだ。人気薄だし、買って損はないな。財布の中身を確認した。電車賃を除いても、あと500円ぐらいは馬券を買える。まだ締め切りまで時間はあるし、空いてそうな券売機を探した。


 少し待ち合わせには遅れたものの無事に中岡と合流し、後ろの方から皐月賞を観戦する。背が低い俺は人垣が邪魔で、ターフがよく見えない。結局、馬場中央のターフビジョンを見ているだけだった。これなら建物の中でモニターを見ている方が見やすかったな。だから人混みは嫌いなんだ。G1当日の競馬場生観戦なんて、二度としないぞ。




 第51回皐月賞(G1) 1991年4月14日 3回中山8日目10R 4歳オープン18頭(芝右2000m / 天候 : 曇 / 芝 : 稍重)結果

 1着 8枠 16番 トウカイテイオー 安田隆行騎手 2:01.8  ━   1人気

 2着 1枠 2番 シャコーグレイド 蛯名正義騎手 2:02.0 1馬身  16人気

 3着 6枠 13番 イイデセゾン   田島良保騎手 2:02.2 1.1/4馬身 5人気

 払い戻し

 単勝  18番  210円 1人気

 複勝  18番  130円 1人気

     2番  910円  11人気

     13番  290円 5人気

 枠連  1‐8 5,440円 17人気


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