俺のトウカイテイオー物語

高戸 賢二

第1話 プロローグ

 最近、巷では「ウマ娘」とやらがかなり流行っているようだ。コンビニに登り旗まで立っているし。ウマ娘の存在は何年も前から知っていたが、こんなに流行るとは思ってもみなかった。競走馬を美少女にね~。まあ神様も英雄も武将もモンスターも美少女になる時代だから、あり得なくはないんだろうけど。

 残念ながらプレイはしたことがない。サラブレッドが美少女になることに、それほど抵抗があるわけではないけど何となくやっていない。暇が無いのは事実だが、ただの食わず嫌いだと自分でも思う。

 でもやっぱり競走馬は馬なのだよ。特にトウカイテイオーは思い入れの強い馬だけに、なおさら美少女とは思えないんだよな。

 よくよく考えてみたら、俺にとっての一番の馬はやはりトウカイテイオーなのだ。儲けさせてくれた馬はそれなりにいたけれど「一番好きな馬は?」と聞かれればトウカイテイオーの一択だ。競馬ビギナーの俺に競馬の全てを教えてくれたと言っても、過言ではあるまい。…いや過言だな。

 とりあえず俺とトウカイテイオーとの思い出の話をすることにする。思い出と言っても俺は馬主でも厩務員でも牧場の人でもなく、一般人が馬券を通してトウカイテイオーを見てただけの話だ。「あなたの知らないトウカイテイオーの素顔」とか「実はトウカイテイオーには知られざる、こんなエピソードがありました」なんていうのは一つもなく、トウカイテイオーについては調べれば誰にでもわかる競争成績だけ。完全に俺個人の馬券にまつわるエピソードだということを、前もって宣言しておく。



 時は1990年。バブルという好景気の絶頂にあった日本は、史上空前の競馬ブームが沸き起こっていた。主役はオグリキャップと言っていいだろう。地方競馬から中央競馬へ転籍し、地味な血統ながらも並み居る強豪をねじ伏せてきたスーパーホースである。32戦22勝という現在では考えられない出走ペース。1989年の5歳時には、秋から冬の4か月に重賞6連戦。マイルCSからジャパンカップへの連闘という過酷なローテーションでも優れたパフォーマンスを発揮し、一般人を含む人々を熱狂させ競馬人気を牽引していた。

 当時まだまだ競馬ビギナーだった俺は、特にオグリキャップに対する思いは強くない。高校時代の友人が競馬に嵌っており、影響で何となく馬券を買っていたに過ぎなかった。買い方に根拠もなく、独自の予想概念もなく、かと言って他人の予想に乗っかるわけでもなく、まるで宝くじのように当たった外れたを繰り返しているだけの素人。競馬ファンにすらなれていなかった。

 1990年暮れの有馬記念でようやく自分自身の予想でメジロライアンを軸に馬券を買い、テレビ解説者の大川慶次郎氏といっしょになって「ライアン!ライアン!」と叫んだのはいい思い出だ。オグリキャップが有終の美を飾ったにもかかわらず、馬券がガミったことに「なんでオグリが来るんだよ!」と嘆いた不届きものが俺である。高校時代の友人からは散々窘められた。曰く「勝った馬、負けた馬を非難するのは競馬ファンじゃない。馬券の買い方が下手な自分を責めろ」と。


 高校時代の友人である「中岡」は変わり者で有名だった。高1から白髪交じりのぼさぼさの髪で、ぎょろりとした目。休み時間は違うクラスの人物と賭け花札に嵩じている。花札をしていない時は机に噛り付いて、ひたすらノートに何かを書いていた。姿勢が悪くノートに接近しながら書いているのだが、何故かメガネはしていない。あのギョロ目は、一体何で出来ていたのだろうか?あいつは人間じゃなかったのだろうか?

 3年になり同じクラスになって数か月、俺は中岡と仲良くなっていた。中岡が書いていたのは小説。「将来は小説家になる」と堂々と宣言していた。元々漫画家志望の俺と息が合ったのは必然だったのかもしれない。

 中岡は推薦で大学行きが決まり、俺は家庭の事情で大学はハナから諦めていた。進学校なのに受験シーズンと無縁な俺たちは、二人で遊ぶことが増えた。遊ぶと言っても中岡の家に行き、お互いのストーリーを読み合ったり、お互いの設定を煮詰めたり、と創作活動に終始していただけだ。お互い女に興味はあったが、如何せん趣味が趣味なだけに女とは無縁だった。今でいう「腐女子」でも近くにいれば別だったのだろうが。

 中岡は賭け事が好きだった。学校で賭け花札をしていたのは知っていたが、麻雀に競馬も高校から詳しかった。パチンコだけは「時間がもったいない」との理由でやらなかったようだ。休日になると中岡の親父、弟と4人で麻雀をやるようになった。午後3時からはみんなで競馬観戦。必然的に俺も競馬を齧るようになった。

 中岡は大学生になってからは、堂々とWINSに馬券を買いに行くようになっていた。当時は「学生、生徒、及び未成年は馬券を買うことが出来ません」だったはずなのだが、白髪交じりの中岡は咎められることが無かったと言っていた。俺は流石にWINSまでは行かなかったが、中岡に馬券をたまに頼んでいた。

 中岡からは競馬のイロハを教わった。馬柱の見方、脚質、競馬用語もいろいろ知った。秋口の中山競馬場にも連れて行ってもらったこともある。馬の大きさに圧倒され、走る蹄の音と振動の迫力を感じ、芝の長さとゴール前の坂が急だったことに驚いた。どれもテレビではわからなかったことだった。


 1990年第35回有馬記念を有終の美で飾り、引退したオグリキャップ。時代は次のアイドルホースを求めていた。

 同じ年の1990年12月1日4回中京3日目4R 3歳新馬戦でデビューしたのがトウカイテイオーである。「皇帝」と呼ばれたシンボリルドルフの初年度産駒。無敗の三冠馬にして有馬記念2回、天皇賞(春)、宝塚記念、のG1を制した、当時の日本競馬史上最強の「七冠馬」でもあるルドルフの息子。スターになる要素は十分すぎるほど持ち合わせていた。


 トウカイテイオーと俺が初めて会ったのは、1991年4月14日の中山競馬場。第51回皐月賞(G1) のパドックだった。

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