第6話 顔に触れる少女

「挙句の果てには、皮膚科医に頼んで、瞼を切ったらいいのではなどと言われる始末で……。そんなことを娘にはさせられませんし」


 シェスカはアンナの顔から手を離し、再び手を洗いながら頷いた。


「それはお断りして正解でしょうね」

「と言いますと?」


 伯爵は興味がある様子で問う。


「腕のいい医者なら分かりませんけど、瞼を切った際、眼球に傷がつかないことは保証できません。それにお嬢さんは元々目が見えていたようですから、瞼が開かれるようになれば再び物を見ることができる可能性があります。そうなったとき、眼球に傷が出来てしまったら元も子もありません」


「では、今後娘の瞼は開く可能性があると?」

「ええ、もちろん」

「それはどういう治療をすればいいのですか?」


 ぱっと表情を明るくする伯爵を、シェスカは静かに見つめた。

 この男は、本当に娘の目が回復することをに望んでいるのだろうか。


「……」

「シェスカ殿?」


 答えぬシェスカに、彼は呼びかけた。

 一件心配そうな声だったが、僅かに苛立たしさや焦燥のようなものが、彼女には見て取れた。シェスカは表情を変えずに、静かに応えた。


「私ができることは、来るべき日に備え今の状況を保つことだけです」

「それは結局のところ、治療法がないということですか? まじない師の、その術のようなもので何とかすることはできないのですか?」


(簡単に言ってくれる……)


 シェスカは心の中で嘆息した。

 確かにまじない師の術をもってすれば、アンナの瞼をこじ開けることは出来るだろう。だが、それによる代償は大きい。


(この子の瞼が何故閉じなければいけなかったのか。その理由をこの親に話したところで理解できるとは思えない……)


 シェスカは少し考えたのち、あることを提案した。


「そうですね。今のところはどうにもできません。ですが、心持を変えることで変化はあるかもしれません」

「こ、心持?」

「ええ。申し訳ありませんが、少しだけ私とお嬢さんだけにしてもらえます?」

「え?」

「今後の治療について、どうするのかこの子と話したいのです。しかし、それにはまじない師に関わる秘密も話すことになるので、お嬢さん以外のベルゼクト家の皆さんはこの部屋から出て下さい」

「いや、そこまでする必要はあるか? 私だって、あなたの秘密を誰かに話したりはしない」


 シェスカは内心「面倒な奴だな」と思いつつも、丁寧に応対した。


「それは勿論です。分かっております。ですが、治療に関してはお嬢さんにしか伝えることができないのです。私たちだけにして下さい」

「……それは怪しい術だからか」


 伯爵はぼそりと、しかし嫌悪を含んだ声でそう言った。

 だが、シェスカは全く気にする様子もなく頷く。


「ええ、そうですね。もしこれが叶わぬのなら、私は退散いたします。これ以上私が何か出来ることはありませんから」

「……」


 伯爵は納得していない様子だったが、アンナが何かを察して父を呼んだ。


「父上」

「何だ」

「シェスカさんたちだけになっても、私は大丈夫です。私、お話をお聞きしたいです」

「だが、伯爵家の人間を誰も置かないというのは……」

「何かあれば合図します。でも、私は大丈夫だと信じております」


 暫く沈黙があったが、伯爵は根負けして人払いをすることを許可した。


「……分かった。だが、くれぐれも妙なことはするなよ」


(自分で依頼しておいて、失礼な態度だな)


 シェスカは心で呟きつつ、笑って返事をした。


「もちろんです」





「さて、アンナちゃん。おばさんと、おばさんの子ども以外いなくなったから、自由に話していいよ」


 部屋にはアンナ、シェスカ、ティス、ルルしかいない。もしかするとドアの外で誰かが張り付いて話を聞いているかもしれないが、普通の会話くらいの声量ならば、何か話しているのは聞こえても内容が分かることはないだろう。

 アンナは少し戸惑うように聞き返した。


「自由に……?」

「そう。何でも話して。聞きたいことでもいい。答えられないものもあるかもしれないけれど、あなたにならできる限り、ちゃんと答えるから」

「何でもいいのですか?」

「うん。まずは言いたいこと言ってみて」


 すると、アンナはおずおずとしながらも、シェスカにこんなことを頼んだ。


「お顔を触らせてもらませんか。どういうお顔なのか知りたいです……。よいですか?」

「もちろん」


 シェスカははっきりと頷くと、アンナが座っている椅子の傍に近寄り、彼女の手を取って自分の頬に触れさせた。


「はい、どうぞ」

「ありがとうございます……!」


 アンナは嬉しそうにお礼を言うと、ゆっくりとシェスカの顔を手で触れて確認していく。頬、おでこ、瞼、鼻、唇、顎……。シェスカはくすぐったいのを我慢しながら、アンナの好きなように触らせた。


「きりりとしたお顔立ちなのですね」


「そう? ありがとう」

 そして彼女は、顔にかかった髪にもそっと触れる。


「髪もやわらかいです」

「ふふっ。そうだ。私の息子たちの顔もどう?」

「息子さんなのですか?」


 シェスカは大人しく座っていたティスに事情を話し、アンナに顔を触らせていいかを確認する。すると彼はこくりと頷いた。

 シェスカはティスの許可を取り付けたので、アンナの前に彼を座らせる。


「そう。じゃあ、まずは長男から」


 彼女はアンナの手を取ると、そっとティスの頬に添えさせた。


「わぁ……ふわふわした頬をしていますね。とても温かい」


 アンナの触り方がとても優しいのか、ティスは気持ちよさそうな顔をして、されるがままになっている。その間に、シェスカはアンナに質問をした。


「アンナちゃんっていくつ?」

「私は今年で10歳になります」

「じゃあ、ティスよりも2歳年上なんだ」

「ティス?」

「今触ってもらっているあたしの息子の名前だよ。こっちはルル」


 そう言うと、シェスカは再びアンナの手を取ると、ルルの頬へ触れさせた。アンナはとても優しくルルに触れると、すぐに手を引っ込めた。


「とても小さい気がするのですが……生まれたばかりですか?」

「ううん。もう3歳だよ。小さい子に触ったことない?」


 シェスカの問いに、アンナは気まずそうに答えた。


「そうですね。小さい子はあまり……。それに、このように人の顔に触れて顔立ちを知ること自体、貴族としてあるまじき行為ですから……」

「そうか……」


 シェスカは何も言えなかった。

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