第13話 裁縫
それから数か月間、アンナはティスの手に触れて、状態が悪化していないかを確認し続けた。ティスはその間、気が気ではない。そんな中、彼女はこんなことを提案した。
「裁縫なら、私がいたしましょうか?」
「えっ!」
ティスは思わず首を横に振った。
「それはダメですっ! 伯爵家の御令嬢であるあなたに、そんなことはさせられません!」
「ですが、ティスの手は一層怪我が増しているように思うのですが……」
アンナはティスの手に触れて確認した。
あちこちに傷を手当てしたことが伺える。最初の頃は、アンナに気づかれないように布も巻かないでいたが、それはあっさりとバレてしまい、さらに怒られた。「私に気づかないようにしようとしても、ダメですからね」と言われ、その後は怪我をするたびに布を当てたりしているのだが、それは次第に多くなってきている。
「うっ……」
指摘されて、彼はぐうの音も出ない。
「私、これでも裁縫は出来るんですよ。目を閉じていても、手の感触を頼りにどこを縫っているのか分かるのです」
アンナは縫っているようなしぐさをする。
「……」
「疑っているのでしょう?」
ティスの反応がなかったので、アンナはそう聞いた。だが、それを彼は必至で否定する。
「いえいえ! 疑ってなんていません!」
しかし、彼女はティスに見せた方が早いと思ったのだろう。
「アニー、私の裁縫道具を持って来てくださる?」
「はい、只今」
傍使いのアニーに、自分で縫ったという刺繍を持ってこさせ、それをティスに見せる。それはアンナらしい、派手さのない、可愛らしいデザインの刺繍だった。
「すごくきれいですね……」
ティスは心から感嘆の意を込めて呟いた。
「本当? じゃあ、アニーのお陰ね」
「というと?」
「裁縫はこのアニーが教えてくれているの。私には色とか分からないから、彼女に教えてもらいながら、絵柄も縫っているのよ」
「それはお嬢様の筋が良いからでございます」
アニーが瞼の開かぬ主人に微笑み、柔らかい声で言った。
「アニーの教え方が上手いのよ」
「勿体ないお言葉です」
二人がふふっと微笑み合うと、アニーは自分の出番は終わったとばかりに、頭を垂れ、また一歩後ろへ下がって待機する。
彼女の謙虚な態度に、アンナはちょっと困ったように笑う。傍で使える使用人が喜んでくれるのは嬉しいが、そんなにへりくだられてもいいのに、という気持ちが表情に滲み出ていた。
「ね? これで私の腕前が分かったでしょう?」
アンナはティスに言った。
盲目でありながら、この刺繍が出来るのだから、縫物が得意であることが分かっただろう、と。
ティスは降参といったように両手を上げて苦笑する。
「それは勿論分かりましたが……でも、私の裁縫を代わりしていただくわけにはいきません」
「どうして?」
ティスは困ったように笑う。
「申し訳ありません。それはお答えできません」
「……」
「申し訳ありません」
アンナは腑に落ちない様子だったが、今はアニーや他のメイドが傍にいるので、自分が縫っている手袋の話をすることはできない。それに、誰が触っても問題ないものだが、右手の異能を封じるものであるため、何か強い力があるとティスは思っていた。まじないは掛けてあり、他の人に影響がないようになっているが、それでもアンナに触らせてはいけないと思った。
「分かりました。私も無理に聞きすぎましたね。ティスにだって、言いたくないことがあるでしょうに……」
アンナは自分でそう言っておきながら、自分が傷ついていることに気づいた。
同じ世界に生きているはずなのに、見えぬ壁のようなもので自分たちは知らぬ間に仕切られ、別の生き方を強要される。
それに対して疑問を持たぬことの方が幸せなのかもしれない。
だが、アンナは知ってしまった。見えぬ壁の外にいる人の生き方や考え方を。そして自分はティスやシェスカの世界に入りたいと望んでいることに気づいてしまった。
だが、ティスはアンナをここから出さないように、気を付けているように思えた。
(私はそんなこと望んでないのよ、ティス……。私が望むのは――)
アンナは、彼が話題を変えて努めて明るい声で話すのを聞きながら思った。
(あなたと同じ世界で生きたい)
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