第12話 ティスの手
部屋の外で母と姉が聞き耳を立てていたことも知らずに、アンナはいつも通りティスとの会話を楽しんでいた。
だが、今日は少しだけ彼の様子がおかしい。声がどこか緊張しているのである。話し始めたころは気づかなかったが、時が経つにつれてアンナはそれが気になってしまった。
「――ティス?」
アンナは意を決して、彼に問うことにした。
「はい、お嬢様」
「どこか痛いの?」
「え?」
ティスはとても驚いていたようだった。
表情は分からないが、空間に張り巡らされた糸がさらに引っ張られたように、ティスから緊張が伝わってくる。
アンナは心配そうな声で彼に話した。
「何だか、あなたの声がいつもと違って聞こえるの。どこか痛みを堪えているような、そんな風に聞こえるの……」
暫くすると糸は緩み、ティスが肩の力を抜いたのが伺えた。
「お嬢様は何でもお見通しですね」
「?」
ティスは自分の手を見て、苦笑する。
「実は裁縫をしている際に、指を針で指してしまったんです。それで、ちょっと痛くて……」
自嘲するように言うと、アンナが彼に手を差し出した。
「お嬢様?」
これは何を意味しているのか。ティスが疑問に思っていると、
「私にその手を触らせていただけませんか?」
と、彼女は言った。
「えっ!」
ティスは動揺した。
「手を触る」と彼女は言ったのか。そしてもしそうだとしたら、どうしてそんなことを言ったのだろう。いや、その前に「手を触れる」ということがどういうことなのか、彼女は分かっているのだろうか。
「どうしてですか!」
思わずティスは大きな声を出していた。びっくりしたアンナは、両手を胸の前で組み、申し訳なさそうに言った。
「気になって……。どういう状態なのか知りたいのです」
ティスは益々動揺した。
「し、しかし、あまりにも身分が違いますし、そんな恐れ多いです!」
伯爵令嬢のアンナに何かあっては困る。変な噂でも立ったら大変なことだと思った。
だが、彼女は意に介するそぶりも見せない。
「そんなことは気にしません! 私はそんなことで人を判断するつもりはありません。それとも屋敷の者に誤解させるようなことを、私がすると思っているのですか!」
アンナの勢いに、ティスは思わずたじろいだ。
「いや、ええっと……そういうことでは……」
「それにあなたはその手で、私の瞼に触れているじゃありませんか」
鋭い指摘に、ティスは「うっ!」と声を詰まらせる。
「それでもダメと仰るのですかっ!」
畳みかけるように懇願するアンナに、彼は小さくなって謝った。
「……申し訳ございません。お嬢様、ご勘弁を」
「……」
アンナは荒くなった息を整えるように、深呼吸をした。
「ごめんなさい、ティス」
「いいえ……責めているわけではございません」
「そうではなくて、無理を言いました。ティスが嫌なら、それを無理矢理なんとかしたいとも思いません。ただ……」
「ただ?」
「ただ、痛みを和らげることが出来たならと思っただけです。私は幸いなことにほとんど怪我をしたことはありません。ですが、前にシェスカさんが教えて下さったのです。もし、怪我などをしている人がいたら、手を当ててごらんなさい、と。きっとそれで痛みが和らぐことでしょう、と言われたのです。私は、いつも与えてもらってばかりで何もすることができませんでしたから、ティスに対して何かをして差し上げたかっただけなのです。でも……無理を言いました。ごめんなさい」
ティスはまるで怒られた子どものように小さくなっているアンナを見て、申し訳なく思った。
自分の間には、「伯爵令嬢」と「どこの者とも分からぬまじない師」という身分の差がある。シェスカはそんなことは気にしないが、ティスに見えているこの世界は、身分が重要のように思えた。そして、それを重んじることが自分を守ることであり、相手のことを守ることだと思っていたのである。
だが、アンナがティスに求めている関係はそうではない。
ただ単純に、関わり合う人として、もしくは友に近い存在として、何かしてあげたいと思っただけなのだ。
「……」
ティスは恐る恐る傷ついた手で、そっとアンナの手に触れた。
「やっぱり、ダメでしょうか……?」
どういう答えがくるだろうか。緊張していると、アンナはにこっと笑みをこぼした。
「いいえ、喜んで」
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