第14話 思惑

 ハント・ベルゼクト伯爵は、執務室の中を行ったり来たりしながら、ブツブツと文句を言っていた。


似非えせまじない師め……。アンナの目はいつになったら開くんだ!」


 ハントはアンナの嫁入り先が決まらないことを気にしていた。

「ベルゼクト伯爵の令嬢」と言うと、最初は誰もが身を乗り出して話を聞くのだが、ハントが慎重にタイミングを見計らって、瞼が開かない娘であることを伝えると、全員が「検討する」と言ってその先の話につながらない。


「くそっ! どうしたらいいんだ!」

「でもあの子、楽しそうよ。幼い頃に比べると、ずっと明るくなったし」


 苛立つ夫の様子を、扇を優雅にはためかせながらみていた妻のサラは、気にした風もなく言った。

 すると、ハントは怒りの表情で振り返る。


「サラ、お前は何とも思わないのか⁉」

 冷静を欠いた顔は滑稽だ。

 彼女は冷たい目で、夫を見つめる。

「私は娘が笑っていてくれたらそれで十分よ。家のことなんて二の次でいいわ」

「なんだと!」


「良いじゃない。フーナは我が家の跡取りとなる、素晴らしい婿を迎える予定だし、レイナだって婚約が決まったわ。アンナはまだ19歳だし、もう少し先だって――」

「もう、19だ!」

 ハントはテーブルを拳で叩いた。

「急がなくては。もっと我が家の力を付けなければ……!」


 体をぶるぶると震わせ、怒りを抑えた様子の彼を見て、サラは思った。このままでは、娘が権力の道具に使われる。

「……」

 彼女はあることを思いつき、立ち上がると部屋を出ようとする。

「どこへ行く?」

 ハントが苛立たしげに尋ねたが、サラは振り返って「散歩です」と笑みを見せて出て行くのだった。




 サラは執務室を出た後、すぐに末娘の部屋へ向かった。

「アンナ」

 部屋に入り声を掛けると、瞼が開かない娘は笑みを浮かべて振り返った。

「お母様。お仕事は終わったのですか?」

「まだだけれど、少し休憩をしようと思って」

「では、何かお茶やお菓子などご用意いたしましょうか」

「いいえ、大丈夫。それよりも、あなたと話すことのほうが重要です。少し二人でお話しましょう」

 アンナは疑問符を浮かべながらも頷いた。

「はい」


 二人が席に着き、メイドが手早くお茶などを用意すると、サラは人払いをした。

「お母様、お話とは?」

 メイドが出た音が聞こえた後、アンナはすぐに母に尋ねる。するとサラは隠す様子もなく、娘に今の状況をはっきりとそしていつもよりも固い口調で話し始めた。


「あなたの父上が、あなたの婚約者を探しています」

「えっ!」

「でも、あなたの目のことがあるから、そう簡単には決まらないみたい」

「そうですか……」


 アンナは安堵したように、ほうっと息をついた。

「アンナ」

「はい」

「このままだと、いずれあなたの婚約者が決まります。あなたと同じくらいの青年だったらいいのですが、あなたの父上を見ていると、権力の為にあなたを利用しそうです」

「……それは仕方のないことだと思います」


 アンナは俯きながら答えた。

 父の指示に従って結婚することは、幼いころから覚悟してきた。伯爵令嬢として生まれたからには、そうなることは致し方ないことであると。しかし、そうではない生き方が選べるのであれば、好きな人と共に人生を歩めたらいいのに、くらいには思っていた。

 すると、母が意外なことを口にした。


「母はそれは断じて許しません。権力の為に娘を結婚させるなど、我が家では必要のないことです」

「お母様?」

「私はあなたに幸せになってほしいの」

 サラはそう言って、アンナを抱きしめた。

「……」


「あなたには、心に秘めた人がおりますね?」

 サラは娘の耳元で、そう尋ねた。

「えっ!」

 アンナは驚いて顔を赤らめる。


「見ていれば分かります。多分、アニーも勘づいているでしょう」

「そ、それは……」

 サラはアンナから離れ、じっと彼女の顔を見つめた。

「近年、貴族が力を持とうとしています。その理由が何なのか、母にはよく分かりません」


 すると、アンナの表情が硬くなる。

「貴族が軍を持ち始めたせいでしょうか」

「アンナは聡明ね」


 サラは再びアンナを抱きしめた。

「我が家にはもう権力はいりません。これ以上力を求めれば、逆に力に飲まれて滅びてしまう……」

「お母様……」


 サラは愛しい娘から体を離し、その顔を手で覆った。

「だからあなたは、好きなように生きなさい」

「……」

「まぁ、ティスがアンナを好いていたら、という話ですけど」

「お母様!」


 ほほほと笑って出て行くサラの声を聞きながら、アンナは体がじんわりと温まっていくのを感じた。恥ずかしいような、照れ臭いような。しかし、心はとても穏やかで満たされたような気分なのであった。

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