第15話 アンナの決意

 その日、ティスが伯爵家に来ると、アニーがすぐに部屋を退いた。

「……?」


 最初からティスとアンナだけになることは今までにない。未婚の男女だけになることを避けていたからだ。

 どういうことだろう、とティスが考えているとアンナが部屋の奥で手招きした。


「ティス、こちらに来てくれますか」


 今日は一段ときれいな服……いや、化粧もしているのかな。髪型もいつもよりも気合が入っているような。


「大事な話があります」

 アンナがいつもと違って固い口調で話すので、ティスは急に緊張した。

「……はい」


 彼女からどんな話をされるのだろう。もう、来ないで――と言われるのではないか、と悪い方に考えてしまう。


「ティス、あなたはずっと私のためにここに通って下さいましたね」

「はい」

「初めに会ったときは、あなたは私よりも小さくて、可愛らしかった」

「昔の話です」

「そうですね。それから少しずつあなたと交流するようになって、シェスカが来なくなってから、あなたは代わりに来て下さいました」

「……はい。もう少しで丸2年になるところです」


 昔話をするなんて――。

 ティスはアンナからお別れの話をされるのではないか、と覚悟した。

 伯爵令嬢であるアンナはすでに19歳である。年齢的に結婚をしてもおかしくない。


「ティスの手は、私の手よりも大きくなって、たくましくなりましたね」

「あなたと出会って、もう10年経ちますから」


「私はその間に、あなたから沢山のものを貰いました。瞼が開かず、外の世界を見られない私の代わりに、見たものや触ったもの、聞こえたもの、ティスが感じたものを伝えてもらえて、とても嬉しくて、温かくて……」


「お嬢様……?」

「私は、あなたとずっといたい……」

 ティスははっとする。聞き間違いではないだろうか。

「……いま、何と――」

「あなたが好きです」


 彼はアンナの言葉を理解するのに、数秒要した。

 意味は分かる。しかし彼女が自分にこんな風な気持ちを打ち明けるとは思っていなかった。


 さらに彼女とはあまりにも身分の差がありすぎて、決して結ばれることのない縁であると思っていた。そのためティスは己の感情を押し殺しており、自分の気持ちとアンナの気持ちが同じ方向にあると気づくのにさらに時間を要したため、暫く沈黙が続いた。


「返事は、いただけますか?」


 ほんの短い時間ではあったが、アンナはその沈黙に耐えかねて、ティスに答えを促すように質問した。


「あの……えっと……、お嬢様のお気持ちは光栄です。とても嬉しいです。しかし……あまりにも身分の差が――」

「私はそんなことは気にしません!」

 ティスの語尾に被さるように、勢いよくアンナは言った。


「しかし、私と結ばれるということは、この家を出る、ということですよね……?」

「構いません」

「山奥で暮らすのですよ?」

「あなたと一緒なら、どこへだって行きます」

「しかし、苦労が絶えません」

「苦労……?」


 アンナはオウム返しに呟いてから、はっとした。

「……そ、そうですよね」

 瞼が開かないのであれば、ティスに迷惑が掛かってしまう。


(どうしてそのことについて考えなかったのかしら……)


 アンナはぐっと唇を引き結ぶと、突然右目の瞼を手で上下に引っ張った。


「お嬢様⁉」

「私があなたと共にいったら、あなたの負担が増えてしまいますよね。それを考えていませんでした」

「違います! 私が言いたかったのは――」


「違いません! 私がこのままならあなたに迷惑をかけてしまいます! でも、この瞼が開けば、きっと……きっと見えます……! 見えたら、ティスのお手伝いが出来ます! あなたが不得意な裁縫も、代わって差し上げられる……!」


「おやめください! お嬢様!」

「お願い……開いて!」

 その瞬間ティスはアンナを抱きしめた。

「ティ、ティス……?」

「もういい……僕はそういうことを言いたかったんじゃないんだ」


 抱きしめた腕のなかで、アンナは荒く呼吸をする。その彼女を落ち着かせるように、彼は優しくその背を撫でた。


「山奥で何もないから、君が苦労するだろうと思ったんだ。苦労をさせたくないんだ……。君には笑っていて欲しい……」

「ティス」


 アンナはティスのことを抱きしめかえすと、瞼の隙間から涙が零れ落ちた。この十数年の間、一度たりとも涙など出たことなどなかった。それが、本当に久しぶりに彼女の瞼の隙間から溢れ出したのである。


「大丈夫です。私はあなたがいるところなら、いつでも笑顔でいられます」


 こうして、アンナとティスは結ばれた。

 アンナの父はもちろん反対したが、サラがそれに異を唱え、押し切るような形で結婚をすることになった。ベルゼクト家のなかでハント以外、二人の結婚を心から祝福した。

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