頂を許されし男

 変異体のロックスコーピオンが現れたのは、窪地の中心部。

 キースは下に着地するや否や、驚異的な足の速さで一直線にそいつの元へ駆け出し、行く手を阻む通常体をトンファーの一撃を叩き込むだけで岩石のような甲殻もろとも粉砕し押し退けていた。


「おい……あれでAランクって何かの冗談だろ?」


 スキルも術式も使うことなく、ただ基礎的な魔力操作と体術だけでロックスコーピオンを瞬殺している。

 強いて言うのであれば、身体強化の他にトンファーにも魔力を纏わせているくらいだ。


 身体から溢れ出る魔力量はギルドにいたAランク冒険者と大して変わりはない。

 ただ、魔力操作の精度が高過ぎて身体強化の効果が異様なまでに引き上げられているのだ。


 ニコはキースがその気になればSランクの冒険者にも匹敵すると言っていたが、もう既にSランク冒険者の領域に踏み込んでいる。


 国内にいるSランク冒険者は数えられる程度しかいないので、漏れなく全員の名前が広く知れ渡っているし、それに近しい実力の冒険者の情報も王都にいれば嫌でも耳に入ってくる。

 だが、その中にキース・バーランドという名前が出てきたことは一度たりともなかった。


「――あのさ、キースって一体何者なんだ?」


 キースの戦う光景を見据えたまま、俺はシェリに訊ねる。

 こうしている間にもキースはというと、変異体の元へと到達しようとしている。


「えっと……その、ごめんなさい。私もよく知らないんです。私が幼い頃にジェイクさんみたく、他の街からエルシャナにやって来てきたということくらいしか」

「……そうか」

「でも、悪い人ではないのは確かですよ。何せお父さんが信用も信頼も置いている人ですから」


 ふふっ、とシェリが柔らかく声を立てた時だ。


 連続で繰り出される尻尾の刺突、触肢の薙ぎ払いを掻い潜ったキースは変異体の頭上高くへ跳躍すると、両腕のトンファーを一瞬だけ光らせてから勢いよく振り下ろす。

 刹那――周囲にいた通常体を巻き込み、まとめて吹き飛ばすほどの強烈な衝撃波が発生し、変異体の胴体を地面に叩き落とした。


「……は、何が起きた!?」


 今、キースが放ったのは、高密度に圧縮された魔力……違う、魔力によく似た何かだ。


 魔術、スキルを発動すると痕跡として使用者の魔力が残穢となって大気中に滞留し、純粋に魔力を放出すればより濃密に残るようになる。

 加えてあれほど絶大な威力の魔力を飛ばしたのであれば、感知能力に長けていなくてもはっきりと認識できるはず。


 だというのに、その残穢が全く感じ取れない。

 となると考えられるのは、あの衝撃波は魔力の放出によるものではなく――


「あれがキースさんのスキル――『虚空操作』。普段、私たちが認識している現実空間と重なるようにして存在している仮想空間――虚空を接続するスキル、だそうです」

「虚空操作……。じゃあ、あの攻撃の正体は……?」

「虚空から一時的に持ってきた不可視の質量が現実空間を圧迫した結果、引き起こされた現象……そうキースさんは表現してました」

「なるほど……さっぱり分からない」


 とりあえず術式系や特殊属性系のスキルとは全くの別物だということはどうにか理解できたが、逆に言えばそれだけだ。


「あはは、ですよね。私も初めて聞かされた時はもうちんぷんかんぷんで……今もあんまり理解しきれていないんですけど」


 そう言いながらシェリが苦笑する傍ら、遠くではキースが変異体の左の触肢をぶっ飛ばしていた。

 これもスキルによるものだが、さっきと違うのはトンファーを打ち込むと同時に衝撃波が放たれていた。


 ここから更にキースの猛攻は続く。


 変異体の尻尾に狙いを定めると、一瞬姿を消してから尻尾へと飛びかかり、またもスキルによる攻撃で針を根元からへし折る。

 折られた針は空高く弧を描き、そのことに気づいた変異体が頭上を確認しようとするも、それより先にキースの一撃が脳天を打ち砕いた。


 そして、これがとどめとなり、ドンと音を響かせながら変異体が地面に伏すと、生き残っていたロックスコーピオンはキースから逃げるように地中へと潜って行った。


「……やっぱりあれでAランクとか嘘だろ。力の差が歴然過ぎる」

「お父さんは何度かSランクへの昇格推薦を持ちかけてたみたいですよ。全部断れちゃったらしいですけど」

「そう、だよな」


 やはり自分の認識はおかしくなかったようだ。

 となると……これまでキースの情報が出回らなかったのは、アッシュが一枚噛んでいたからかもしれないな。


「――参考までに、ロックスコーピオンの推奨討伐ランクはDと言いましたけど、大群化するとB、変異体になるとA+になります。普通、街の近くにこんな魔物が出没したらどうなるか、ジェイクさんなら分かりますよね?」

「ああ、Sランクの冒険者に派遣要請がかかって、問題が解決するまで街は厳重警戒を敷くことになって、街道は封鎖、流通は完全に止まるだろうな」


 それにSランク冒険者が派遣されることが決定したとしても、エルシャナに到着するまでにかなりの時間を要するはず。


 ただでさえ辺境で物資に乏しいというのに、この環境下では自分たちの食糧を生産することもままならない。

 そうなれば魔物が襲ってくる脅威よりも先に食糧不足に見舞われる可能性の方が圧倒的に高くなる。


 もし俺が言ったことが現実になったのなら、交易に多くを頼っているエルシャナが大打撃を受けるのは避けられないだろう。


「けどそうならずに済んでいるのは、キースが全部倒してくれるから、か」

「はい! だから、皆んなキースさんにはとても感謝しているんですよ」


 こっちに戻ってくるキースを見つめながら、シェリはにこりと笑みを浮かべる。

 細めた瞳には憧憬の念がこもっていた。


 ――俺の中にも同じような感情が芽生え始めていた。

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