邂逅

 王都を出発してからどれくらいの時間が経ったのだろうか。

 陽はとっくに沈み、代わりに上空には二つの月が浮かんでいる。


 俺は魔除けの結界が施された”拠標よりしるべ”と呼ばれる野営地を目指して、東の国境へと続く街道を進んでいた。


「確かもう少しすれば到着できるはずだけど……まだ気は抜けないよな」


 夜になると魔物の活動が活発化しやすくなる上に、俺の手には負えない凶暴なのも出没するようになる。

 王都や主要な都市の近辺であれば冒険者や警備隊によって討伐されているので見かけることはあまりないが、人里から離れた今なら魔物にいつ遭遇してもおかしくはない。


 いつでも戦闘態勢に入れるように周囲を警戒しながらも俺は、主人から聞いた話の内容を思い出していた。


「……それにしてもエルシャナ、か」


 エルシャナは東の大国との国境付近に位置している街の名だ。

 現在、俺が向かっている目的地でもある。


 今まで一度も訪れたことはないが、地名なら何度か耳にしたことはあった。

 元から痩せた土地であり農耕には一苦労しているらしく、その上近年は日照りの影響で更に悪化の一途を辿っているなんて話を聞いたことがある。


 そして、そこが俺の生まれ故郷……らしい。


 両親はエルシャナの行商人だったが、商品の仕入れの為に王都へ向かう道中で魔物に襲われてしまい、当時まだ赤ん坊だった俺を残して命を落としまったという。


 なぜ俺だけが生き残ることができたかというと、母が身を挺して俺を守ってくれたのと、任務を終えて王都に帰還中だった先代の首領が偶然にも魔物が襲っているところを発見してくれたからだ。


 その時には父は既に事切れており、母も俺を託して間も無く息を引き取ったそうだ。

 以来、俺は先代の養子として迎え入れられて育ってきた。


 先代との間に血が繋がっていないことは知っていたが、実の両親についてはあまり関心がなかったこともあって、拾われた経緯については聞いてこなかった。

 それでも本当だったら俺が十五歳になった時にその事を伝えるつもりだったらしいが、その前に先代が亡くなってしまった為に話が有耶無耶になってしまい今に至るとのことだ。


「――まあでも、今更知ったところでな気もするけど」


 エルシャナで暮らしていた頃の記憶など一切ないし、そもそも両親の顔すらも覚えてないので、故郷という実感が微塵も湧いてこない。

 宿屋の主人から話を聞いた今でも俺の認識は、未だに自然に乏しい辺境の地のままだ。


 任務であればともかく、自ら好んで赴くような環境の場所ではないだろう。

 だけど、自分が生まれた場所がどんなのか、この目で見てみたいという興味はある。


 俺がエルシャナを訪れることを決断したのは、ただそれだけの理由だった。


「――ほんと、我ながら馬鹿だよな。行って何かが変わるわけでもないのに……っ!?」


 数十メートル先の街道上に何かが横たわっているのが視界に入った。

 シルエットからして人ではないのは確かで、そうなるとほぼほぼ魔物の類で間違いないだろう。


 俺は即座に剣を引き抜くと同時に全身に魔力を巡らせた。

 こうすることで肉体が強化され、本来よりも高い身体能力が発揮することが可能になる。


 俺の魔力量と練度では相手にできる魔物はそう多くはないのだが、身体強化を施すだけでも生存率に大きく変化を及ぼす。

 仮にあの影の正体が俺よりもずっと格上の奴だったとしても、全力で走れば”拠標”まで逃げ切れる可能性も生まれてくるはずだ。


 淡い期待を抱きつつも、慎重に影へと距離を詰めていく。

 数歩、また数歩と近づくに連れて、剣を握り締める力が強くなっていく。


 奴との距離があと十数メートルとなり、緊張が最高潮に達しようとした時、ようやく横たわっていたのが何なのかその正体が分かった。


「ドラゴン――いや、スライム……なのか?」


 強靭な四肢と尻尾を持ち、身体を包み込めるほどの巨大な一対の翼を有するそいつは、体長がおよそ二、三メートルと小柄ながらも容姿は完全に竜種のそれだ。

 しかし、よく見てみると鋭利そうな爪や牙から体表を覆う鱗と何から何までゲル状となっており、スライムの一種のように思えなくもなかった。


 スライムがドラゴンに擬態しているのか、それともスライムの特徴を併せ持ったドラゴンなのか。

 どちらせよ見たことがなければ聞いたこともないのだけは間違いない。


 どうする……戦う選択肢はまずないにしても、どうやってこの魔物をやり過ごす。

 いや、そもそもやり過ごせるなのか?


 もしあいつがドラゴンに擬態しただけのスライムであれば、大した問題にはならない。

 スライム種は駆け出しの冒険者であっても倒せるほど弱く、冒険者組合が提示する討伐推奨ランクもどんなに高くてもDに達するかどうかというレベルなので、戦闘になったとしてもどうにかなる可能性が高い。


 問題なのは逆のパターンだった場合だ。

 竜種――それも四肢と翼が別になっているドラゴン種は、魔物の中でも最強種と呼ばれるほどに強大な力を有している。


 例え体格が人と大して変わらなかったとしても、体内に秘めている魔力量は桁外れに多く、その強さはというと街に一匹現れただけで街中のギルドが総出になって討伐に臨まなければならなくなるほどだった。


 もしかしたら次の瞬間には、俺の命が消えたとしても何もおかしくはない。

 そう覚悟しながら魔物の様子を窺っているうちに、ふとあることに気がついた。


 ――魔物から漏れ出している魔力が消えかかっている。


 このままだと恐らくもって十五分――いや、十分もせずに勝手に力尽きるだろう。


 それほどまでに弱々しくなっており、この状態にまでなると最早ドラゴンでもスライムでも大して変わりは無かった。


 とはいえ警戒を解くにはまだ早いので、俺は剣を構えたまま魔物の元へ歩み寄る。


 すぐ傍まで近づいたところで、ようやく魔物が俺の存在に気付いたものの、首をこちらに向けるだけで動く気配は一切ない。

 やはりもう虫の息のようだ。


 今なら簡単にとどめを刺せるはず。

 魔物の首を断とうと剣を振り上げて、ゆっくりと構えを解いた。


 襲われてももないのにわざわざ殺す理由はないし、別に好き好んで殺したいわけでもない。

 かといって見て見ぬふりで先に進むのもなんだか憚られる。


「……だったら、せめて最期を看取るくらいはしてもいいよな」


 改めて周囲を見渡し、他に魔物がいないことを確認してから俺は、魔物の隣に腰を下ろすことにした。

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