【1.猫が綿帽子でやって来た_b】

 さて、もう少し詳しく事情とやらを話そうか──断じて、上機嫌で俺の右腕にヘバリ着いてきた珠希の柔らかくボリューム豊かなナニカの感触に意識がいかないよう、気を逸らそうとしているからじゃないからな!


 事の発端は、3月も残すとこあと数日という時期になった今年の春休み。

 10年来の我が家の愛猫であるタマが、姿をくらませたのだ。


 一日目は、別段とりたてて心配しなかった。これまでも、それくらい家から離れていることは多々あったからな。


 二日目は、少し心配になって夕方から近所の公園や猫の溜まり場を見て回ったりした。


 三日目は、これはただごとではないと確信し、本格的にタマの捜索にとりかかった。幸いにして長期休み中で、かつ高校進学を控えた俺は、とくにやらなければならない急務もなかったからな。


 わざわざ知人の手まで借りてのタマ捜索は、しかしはかばかしい成果を得られず、俺は随分落ち込むハメになった。


 手を借りた知人のひとりが漏らした「そう言えば、猫の寿命って10年くらいらしいな」という言葉も、グサリと俺の心に刺さった(迂闊な発言者は、他の知人ふたりがボコしてくれたが)。


 “象の墓場”じゃないけど、やっぱり動物って自分の死期がわかったりするんだろうか?


 いや、しかしタマに限って言えば、ここ最近だって、とても人間換算で55歳オーバーとは思えぬほど元気だし、あいかわらず機敏に動いてたんだけどなぁ。

 身体能力もそうだけど、タマはとても頭がいい。普通は犬でよくやる「取ってこい」とか「お手」、「伏せ」なんかも簡単に覚えたし、ドア開け、窓開けなんてお手の物。

(「あおずけ」だけは、それに従った時のタマの目があまりに切なそうだったので、二度とやってない)


 俺がテレビゲームしてる横で、飽きもせずかといって邪魔もせず画面を眺め続けてたくらいだから、子猫のような好奇心と、老猫ならではの落ち着きを両立させている稀有な例と言っていいだろう。


 無論、世の中に絶対はない。ないが、およそ交通事故とかのアクシデントに遭うようなイメージは皆無だ。

 事故でなく故意、たとえば誘拐とか?

 うーーむ、確かにアビシニアン系にしてはかなり珍しい銀に近い色合いをしてるが、どのみち純血種じゃないし去勢もされてるから、“商品”としての価値は皆無だと思うんだが。


 余談だが、去勢手術については、俺に無断で親父が受けさせやがったのだ。あとで知った俺と大ゲンカになったが、文字通り後の祭りだ。うぅっ、すまん、タマよ。


──ピンポーン!


 そしてタマ失踪から4日目の朝。くしくも4月1日、すなわちエイプリルフールの日の早朝に、我が大滝家のチャイムを鳴らす存在があった。


 「ふわ~~ぃ」


 今日もタマの行方を捜す気満々で、早起きしてパソコンで尋ね猫のポスターまで作ってた俺は、なにげなくドアを開け(あとで考えれば不用心だ。先に覗き穴から確認するべきだった)て来客を見て、即座に硬直するハメになる。


 なんとなれば。

 そこには白一色の着物──俗に言う白無垢を着て、ご丁寧にも綿帽子まで被った妙齢の女の子が、古風な唐草模様の風呂敷に包んだ大荷物を背負って、玄関のドアの前に立っていたのだから。


 「ただいま、れんたろー」


 無垢なる白に包まれた美少女の第一声は、可憐な見かけから予想したよりは幾分低めのハスキーボイスだったが、十分に涼やかで甘く、聞く者を心地良い気分に……って、待て待て。


 いま、この子、「ただいま」とか言わなかったか? しかも、俺の名前付きで。

 年頃の女の子の顔をジロジロ見るのは少々無作法かとも思ったが、しかしパッと見た感じでは俺にまったく見覚えがないのだ。


 マンガとかでありがちな話だと、彼女は小さい頃に一緒に遊んだ幼馴染で、相手の方がどこかに引っ越して長い間離れ離れになっていたけど、偶然(あるいは意図的に)この町に戻って来た──ってのが、セオリーだ。


 もっとも、俺に関して言えば、同年代の幼馴染は思いつく限り全員近所に住んでるし、そのほとんどと腐れ縁として現在も付き合いがある。


 あるいは小学生の時のクラスメイトで転校していった子とか?

 とは言え、その年代の男の子のご多分にもれず、俺も当時仲良くしていた女友達なんて(ごく少数の例外を除き)いないからなぁ。とうぜん、甘酸っぱくも懐かしい思い出なんてヤツとは無縁だ。

 ──自分で言ってて、無性に悲しくなってきたぞ。


 以上のような論理展開に従って、その時の俺は、極めてオーソドックスかつ芸のない質問を、眼前の少女に投げかけざるを得なかった。


 「えっと……どちらさま?」

 「タマ」


 ……は?


 いや、確かにウチのタマは現在絶賛行方不明中ですがね。


 「だから、タマ。この家で十年間れんたろーと一緒に暮らしてきた、タマ」


 俺の間抜けな反応にいら立ったのか、目の前の少女──自称「タマ」は、荷物を下ろして腰をかがめると、いきなり俺の脇腹に顔をこすりつけて来た。


 「わわっ! なんばしょっとですかい!?」


 思わず父さん譲りの似非方言が出る。

 って、待てよ。このポーズ、もしかしてタマがいつも喉を「撫でれ♪」とおねだりするときの……。


 「ほ、ホントにタマなのか!? いや、しかし……」


 信憑度0から半信半疑、いや3信7疑くらいになった俺は、とりあえず詳しい事情を聞くべく、「タマ」を名乗る女の子を、家にあげることにしたのだった。


 「タマ」は、俺に続いて家に入ると、玄関の脇に目立たないように置かれた雑巾で足を拭こうとしかけて、自分が裸足じゃない(白い草履を履いていた)コトに気づいたらしく、ちょっと戸惑っている。


 (やっぱり、タマなのか?)


 タマは綺麗好きで、猫にしては珍しく風呂にも嫌がらずに入ったし、外から戻って来たときは必ず雑巾で足を拭いてから家の中に上がるのを習慣にしてた。

 それを知ってるのは、ウチの家族を除けば、それこそ本人(本猫?)くらいだろう。


 ちょっと手間取ったものの無事に草履を脱いだ少女は、おっかなびっくり床に足袋を履いた足を載せ、けげんそうな顔をしている。


 「どうした?」

 「これが、人間が床をふむときの感しょく──ちょっとふしぎ」


 ──ヤバい。マジなのかもしれん。


 「あら、廉太郎くん、その娘さんは? もしかして、ガールフレンド?」


 幸か不幸か、お袋はすでに起き、呑気に台所で朝飯の支度をしているところだった。

 いや、朝っぱらから花嫁御寮姿の女の子を目にして、ほとんど動じてないのはある意味スゴいけどさ。ちっとは疑問を抱けよ!


 ところが。


 「にゃあ……ママさ~ん!!」


 これまでおとなしかった少女(自称・タマ)が、台所から現れた母さんの胸に飛び込んだのだ!!


 「あらあら、もしかして、タマちゃん?」


 見知らぬ(はずの)女の子に突然抱きつかれても、慌てることなく「よしよし」と優しく抱きしめるお袋。て言うか、普通に正体見破ってる!?


 「なんで、いきなり分かるんだよ……」

 「うーん、なんとなく、かしら」


 だってタマちゃんはもうひとりの我が子みたいものだし、とニッコリ微笑むお袋には諸手をあげて降参するしかない。

 確かに、生まれて間もなく捨てられていたタマを拾って来たのは、幼稚園の頃の俺だが、そのタマを成人、いや成猫に育てあげたのはお袋にほかならない。

 いっしょに過ごしてきた時間は、学校に通ってた俺よりずっと長いし、勘(霊感?)の鋭いお袋は、まるでタマと会話してるみたいに意思疎通できてたし。


 「しっかし──お袋の目から見ても、やっぱりその娘、タマなのか?」


 跳びついた時に被っていた綿帽子が脱げた少女は、北欧系さながらの見事な銀髪だったが、頭頂部近くの髪が左右にピョコンと尖っていて、猫の耳に見えないこともない。


 「れんたろー、うたがい深い」

 「そうねぇ、廉太郎くん、お兄ちゃんなんだから、弟分を信じなくてどうするの?」


 ──いや、そのりくつはおかしい。


 飼猫がいきなり人間になってたり、そこは百歩譲ったとしても「牡のはずがなんで女の子になってるの?」とか「なんで花嫁衣装なの?」とかツッコミどころ満載だろーが!


 「言われてみれば──確かにそうね」


 ふぅ、万年能天気なおふくろも、ようやっと気づいてくれたか。


 「女の子になったんだから、弟分じゃなくて妹分よね」


 そっちかよ!?


 「なんだ~? 朝っぱらんらエラく騒がしいじゃないか」


 ああ、ただでさえ収拾つかないのに、また厄介な人間が……。


 「あ、パパさん」


 ノソノソと居間に現れた親父の姿を見て、ポツリとタマ(の化けた?娘)が呟いたんだが、当の親父は雷にでも撃たれたみたいに硬直している。


 「パ、パ…………ソコの君、もう一度呼んでみてくれないか!?」

 「?? パパ、さん?」

 「おぉ、なんたる心洗われる響きなんだ! 君のような愛らしい娘さんにパパと呼ばれるとは、もはや我が生涯に一片の悔いなし!!」 


 ──クソ親父、お前もか。いや、期待はしてなかったけどさ。


 「……で、この娘さんは誰なんだ? お前の許婚か、廉太郎?」


 右手を天にかざすあのポーズでしばし浸っていたクソ親父は、我に返った途端、俺に向かってそんなコトを言ってきやがった。


 「あのなぁ。バカ言うなよ。俺はまだ高校生になったばかりだぜ?」

 「ふむ。しかし、江戸時代の男子の元服は普通15歳だ。お前の歳でも立派な一人前だぞ」

 「今は21世紀だっつーの」


 ところが、親父の言葉を聞いたタマが、ピクンと身じろぎして俺の方にジーッと熱い視線を投げかけてきた。


 「いいなずけ──つまり、れんたろーの嫁?」

 「そうね、正確には“近い将来にお嫁さんになる人”かしら」


 お袋がタマの言葉を微修正すると、タマはちょこんと首を傾げた。


 「──だったら、タマは、れんたろーのいいなずけ」


 ハァ!? 一体、どうしてそんな結論に行きつくんだよ??


 「そもそも、今までスルーしてたけど、お前さんが本当にタマだとして、どうしてそんな姿になってるんだ?」

 「そうね、タマちゃん。母さんもソコのところは興味があるわ」


 俺に続いてお袋もそうフォローしてくれたことで、タマはようやく事情を説明してくれる気になったようだ。


 「タマが人間になったのは、猫仙人のおかげ」


 ──さて、またしてもトンデモワードが飛び出しましたよ、奥さん。


 “仙人”なんて言うだけでも十分アヤしいのに、頭に“猫”の一字なんてついたら、怪しささらに倍率ドン! だ。

 とは言え、今はコイツの言葉にしかこのハプニングの手がかりはない。とりあえず、一通りタマの話を聞いてみることにした。


 「はじまりは、タマのしっぽが割れたこと」


 はァ?? 


 「なるほど。「十年生きた猫は尻尾がふたつに分かれて猫又になる」と言う言い伝えがあるからな」


 胡乱な顔つきをしている俺と対照的に、腕組みしてウンウンとうなづいている親父。

 くそぅ、まがりなりにも物書きだけあって、くだらない雑学知識はいっぱい持ってやがるな。


 ──ちなみに、親父の職業は自称“推理作家”だったりする。

 この場合、自称というのは「本がロクに出ないから自称乙w」なのではなく、「ミステリーはもとよりSFや歴史物、ドラマの脚本、さらに最近はラノベに至るまで節操無く書いてるから」だ。


 有名作家というにはほど遠いものの、一応、親子3人+猫一匹が何不自由なく暮らしていける程度の収入は得ているのだから、その点は感謝するべきなのだろう。


 閑話休題。

 親父の話によれば、“化け猫”が生まれた時から“猫の姿をした妖怪”なのに対して、“猫又”は年経た猫が“成る”モノらしい。


 「パパさん、正解。だから、タマ、この近くの親分さんのトコに相談に行ったら、猫仙人を紹介された」


 幾分舌足らず気味なタマの言葉を意訳整理するとこうだ。


・猫仙人は、年齢1000歳を超え、すでに猫又を通り越して神仙の域に達した存在。

・猫仙人には、紹介者のツテがないと会えない。

・猫又化をはじめとする猫のその筋の相談に応じてくれる。ただし、要報酬。

・タマが相談に行くと、いくつかの質問をされたので、タマは正直に答えた。

・その結果、タマは人間の少女に生まれ変わり、この家に戻ってきた。


 ──たいたいこんなトコロだろうか。


 「おおよその経過はわかったけど、どんなこと聞かれたんだ?」

 「えっと……最初に、人間の姿になりたいかどうかをきかれた」


 それにどう答えたのかは、今のタマの姿を見れば一目瞭然だろう。


 「次に、「家族の中で、誰が一番好きか?」ってきかれたから、れんたろーって答えた」


 う! 正体がタマだとわかっていても、これだけの美少女に「好き」とか言われると、結構照れるな。


 「あ~、背後で「あらあら」と微笑んでいるお袋と、「パパはダメなのか~!?」と嘆いているクソ親父は無視していいぞ、タマ」

 「?? わかった。

 そのとき、れんたろーのこともいろいろ教えろと言われた」


 むぅ……タマがどんな風に答えたのか、すごく気になるぞ。


 「そんなにたくさんは話してない。16歳のオスで、やさしくて、あったかくて、頼りになる人間だって答えただけ」


 うわ、タマさん、無表情に近いのにそのセリフの最後に「ニコッ」と微笑むのは反則ですよ!


 「最後に、れんたろーのそばにいるために人間として暮らす修行をするかどうかきかれて、うんって答えた」


 なるほど。この3日間は、その修行とやらに費やしていたのか。

 ようやく合点がいった俺がウンウンと頷いていると、タマは首をフルフルと横に振る。


 「3日じゃない。ひと月」


 ──は?


 「人間の姿には、その日のうちになれたけど、人間としての知識とか習慣はいっちょういっせきでは身につかない」


 そりゃまぁ、そうだろうな。

 いくらタマの頭がよくて、俺ん家の家族として暮らしていたからって、言葉の問題とかもあるだろうし……。


 「? 人間の言葉は前からわかってたよ?」


 いぃッ!? マジですか?


 「マジ。文字も、難しい漢字以外は読めた」


 なんてこった、“足し算ができる犬”どころの騒ぎじゃねーぞ。


 「あら、廉太郎くんは知らなかったの? 母さん、タマちゃんとよくお話ししてたじゃない」


 アレはてっきりデムパなお袋の特技か思いこみだと思ってたぜ。


 「ウンウン、昔話でも猫又の類いは頭がいいってコトになってるからな」


 したり顔で言うなよ、親父! いい歳して、なんでそんなに頭が柔軟なんだよ。

 けど──だから、俺がゲームやってる時に飽きもしないで画面覗きこんでたのか。


 「ん。だから、れんたろーの好みが「おしとやかでオッパイが大きい子」だってのも知ってる」


 ぐわ……なぜソレを!? って、そうかギャルゲーとかやってる時の攻略順でバレたのか。


 「それと本棚の裏の……」


 わーわーわー! それ以上言わんでイイ!


 うぅッ、いくら元愛猫とはいえ、同い年くらいの女の子(にしか見えない存在)に、お宝本の趣味まで把握されてるのは、ちと凹むなぁ。


 「そ、それで、どうして修行日数が1ヵ月なんてコトになるんだ?」


 強引に話題を元に戻す。


 「よくは知らない。猫仙人は“せーしんとなんたらのへや”とか言ってた」


 ──ド●ゴンボ○ルかい!? てか、猫仙人って、もしかしてカ●ン様じゃなくて神様枠かよ!

 要は時間の進み方が普通とは違う空間ってコトだよな。


 「ん。そこでひと月、勉強してた」


 かの猫仙人いわく、ローティーン程度の女の子としての常識と、中学生3年生程度の学力は、なんとか詰め込めたらしい。

 まぁ、そのヘンを1から教えなくて済むのは助かるけどな。


 「ところで、タマ。猫仙人に色々してもらった以上、なにがしかの“代償”が必要になったのだろう?」


 親父の言葉に、俺はハッと目を見開き、タマの目を凝視する。

 そう言えば、確かに「猫仙人は報酬をとる」とか言ってたよな!?


 「ん、パパさんの言うとおり。でも、だいじょぶ。もう支払い済み」


 タマはそう言うものの、俺達としてはやはりその「代償」の中味が気になる。


 「ねぇ、タマちゃん、何を仙人さんに渡したのか、教えてもらえないかしら?」


 お袋が優しく尋ねると、元から隠すつもりもなかったのか、タマはあっさり答えた。


 「猫としてのタマの存在」


 へ?


 「猫又は、ホントは人の姿にも猫の姿にもなれる。でも、タマはその猫になる力を、猫仙人に渡してきた」


 えーっと──ソレって結構重大なコトじゃないか? 


 「別に、いい。タマは、人としてれんたろーの傍にいたかったから」


 う……だから、平静っぽい顔つきながら、微かに頬を染めたその表情は反則だって!

 親父とお袋もニヤニヤしながらコッチ見んな!


 「あ、そーだ」


 俺の葛藤も知らぬげに、タマはパンと掌を胸の前で打ち合わせると、それまでの横座りからキチンと正座し直すと、三つ指つきつつ俺に向かって深々と頭を下げる。


 「──ふつつかものですが、よろしくおねがいします」


 そしてその瞬間、俺の人生に退路がなくなり、両親公認の俺の許婚が誕生したのだった。

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