【3】君は天然色

 「ふわぁ~~あ、今日から新学期かぁ……」


 気を抜くと口から漏れそうになる生アクビを、清彦は口の中で噛み殺す。

 カッコつけるワケではないが、周囲には新入生らしき人影も多い。新学期早々、上級生としてあまり間抜け面さらすのもナンだろう。

 幸い、今日は始業式とHRだけで授業はない。外食するのも金がもったいないし、早く家に帰って昼飯でも食べるべきだろう。


 (ん、そう言えば、今何時なんだ?)


 ポケットから時計代りのケータイを取り出そうとしたところ手が滑る。


 「ありゃ……ハッ! とととと、ふぅ」


 地面に落としかけたケータイをかろうじて膝で跳ね上げ、空中でバシッとカッコよく掴むつもりが、結局失敗してお手玉のような形で何とか捕まえる。


 (うー、誰も見てないといいんだけどな)


 心なしか顔が赤くなるのを感じながら素早く周囲を見回す。

 幸い、彼の奇行に注目していた人間はいない……。


 「クスクス……」


 ──訂正。約1名いたようだ。


 彼の背後の少し離れた位置にある塀際の桜の樹。その幹にもたれるようにして立っている少女が、彼の方を見て上品な微笑を浮かべていた。

 タイの色からすると新入生だろうか。


 (うわっ、恥ずかしーぜ。よりにもよってあんな可愛い後輩に見られてたとは)


 色恋関連にはやや鈍感な傾向のある清彦だが、そんな彼をしても注目させるだけの魅力を持った美少女だった。


 ボブカットにしたサラサラの髪と、天使のように中性的な印象を受ける整った顔立ち。

 グラマーと言うほどではないが、女らしく柔らかい曲線で構成された綺麗な身体のライン。

 おっとり優しそうで、それでいてどこか悪戯っぽさも感じさせる瞳。

 そして、頭頂部付近で愛らしく揺れている犬耳。


 (……って犬耳ィ!?)


 「ふふっ、相変わらずですね」

 「も、もしかして──いや、もしかしなくても、あかり、か?」

 「え? ええ、そうですけど。どうかしましたか、巽先輩? まさか、15年来の幼馴染の顔を忘れたわけじゃないでしょう?」

 「いや、さすがにそりゃないが……」


 確かに、顔と言い髪型と言い、よく見れば彼の幼馴染にして妹分たる桜守姫あかりに他ならない。それは間違いない。しかし……。


 (ふ、雰囲気変わり過ぎだろーが!)


 ほんの1年半ほど前、彼の部屋でおヘソ放り出して昼寝していたチビっ子と、今彼の目の前にいる美少女がとっさに重ならない。それくらい印象が異なった。


 中二の頃のあかりは、小学生と間違われるほど背が低く、よく言えばスレンダー、率直に言えばズン胴ツルペタな体型。そして、少しずつマシになっているとは言え、まだまだ少年っぽさの抜けないボーイッシュな元気少女だった。


 しかし、清彦の目に映るあかりは、髪型こそ以前とあまり変わりないものの、身長は160センチほどに伸び、体つきも年相応、いや平均以上に整った見事なプロポーションをしている。

 そして何より、その身に纏う雰囲気が以前とはまるで別物だった。


 決して悪い意味ではない。しっとりと落ち着いた、一言で言うならまさに「淑やかな大和撫子」といった趣きを感じさせるのだ。


 考えてみれば、女性の15歳前後と言えば、もっとも変貌と成長の著しい時期だ。

 中学と高校に別れ、顔を合わせる機会がめっきり減った(最後に会ったのは、正月の年始挨拶をした時だったろうか?)ため、妹分の成長に気づいていなかったのは、清彦らしい鈍感さと言えよう。


 しかしながら、その分、この“出会い”の印象は鮮烈だった。


 「あの、巽先輩、もしよかったら、久しぶりに一緒に帰りませんか?」


 上目使いに彼の顔を見上げながら、そう遠慮がちに聞いてくる様子も、たまらなく愛おしい。


 「あ、ああ、もちろん。それと、俺の事は、そんな他人行儀じゃなく、以前みたく「清にぃちゃん」て呼んでくれてもいいんだぜ?」

 「そ、それじゃあ……「おにぃちゃん」」


 ポッとほのかに頬を染めたあかりに、そう呼ばれた清彦は、身悶えしたくなる衝動を抑えつけるのに精神力の大半を注力せねばならなかった。


 (うぉおおーーーっ、お、俺は今猛烈に感動しているッ!)


 これほど(萌的な意味で)破壊力の高い呼びかけをされたのは、生まれて初めてだった。


 ──ちなみに、清彦の実妹である双葉は、彼のことを数年前から「兄貴」としか呼ばない。さらには頭に「バカ」の二文字をつけることすらある。

 決して兄妹仲が悪いわけではない(むしろ他人の話と比較する限りでは結構いい)が、「妹萌え~」とかそういう心境になったことは、これまで一度もなかった。


 「や、やっぱり、ちょっと恥ずかしいですね」


 頬の赤みを増して俯く目の前の少女を、つい抱き寄せそうになるのを懸命に自制した自分を褒めてやりたい清彦だった。


 「ま、まぁ、俺達ももう高校生だし、な。しかし、さすがに苗字+先輩だと、兄貴分として、ちと寂しいんだが」

 「えっと、じゃあ──「清彦兄さん」でどうでしょう?」

 「ん~、悪くはないけど、ちょっと長くて言いづらくないか?」

 「それなら、「清兄きよにぃ」とか?」


 そんな会話をしながら、ふたりは寄り添うようにして、帰路を共にするのだった。


 それ以来、清彦は何かにつけてあかりのことを気にかけるようになっていた。

 いや、中学さらに遡って小学校時代から、“彼女”の兄貴分として世話を焼いていたつもりではあるが、今の彼の心情は、かつてのように単なる保護欲とは言い切れない部分が多々ある。


 ブッちゃけて言うなら、あかりを「とても好ましい異性」として意識しているのだ。


 朝は、いつも迎えに来てもらい、双葉も交えて3人で談笑しながら登校する。

 昼休みは、学食で待ち合わせて一緒にお昼を食べる。時には、あかりが作ったお弁当を受け取ることもある。

 放課後も、部活の関係で大幅に時間がズレる時以外は、大抵一緒に帰るようにしている。


 「そ、それなのに、兄貴、まだあかりと付き合ってないって言うの!?」


 「アンタって人はーッ!」と吠える双葉の剣幕に、思わず身を縮める清彦。


 「いや、その、何て言うか、告白するタイミングが、な」


 それに今更な感じもするし──とゴニョゴニョ言っている兄に、双葉は冷たい視線を向ける。


 「やれやれ、我が兄ながら、ここまでヘタレだったとはねー」


 「失望した。帰れ!」と息子に吐き捨てる某髭眼鏡ばりの、軽侮のまなざしだった。


 「わかってると思うけど、あの娘、男子の間ではかなりの注目株よ?」

 「う……」


 気にしていることをズバリと言われて、ギクリと身を強張らせる清彦。


 成績優秀、容姿端麗、控えめながら人柄もよく、弓道部の期待のホープ──ともなれば、そりゃモテない方が嘘だろう。たまにちょっと無防備でドジっ子な所も、男からしたら「助けてあげたい」と思うはずだ。


 今のところ、清彦が傍にいるせいか、直接行動こくはくに出るような猛者はいないが、このまま“幼馴染以上、恋人未満”な関係を続けていれば、その限りではないだろう。


 「いや、でも、アイツ、元男だし……」

 「そんなの今更カンケーないわよ! それとも、兄貴、まさかそれが理由でコクってないんじゃないでしょうね?」

 「馬鹿、そんなワケあるか。問題は俺の気持ちじゃなくてだな……」

 「あかりの気持ちだって言うんならお門違いよ。あのコ、もうすっかり女の子してるし」


 下手したら、わたしなんかより女らしいんじゃないかしら? と首をヒネる双葉。

 「それはそれで生粋の女としてどーよ?」と思う清彦だったが、この際、妹の女らしさについては脇に置いておこう。


 「いや、そうじゃなくて、周囲の男共の反応についてだよ」


 あかりは、小学校卒業時に女性へと変じ、中学高校と女生徒として過ごしている。普通なら、それだけ時間が経てば、進学時の環境の変化とあいまって、元男性だったということは、よほど親しい者でない限り周囲に知られることはほとんどなくなる。


 ところが、あかり=利明の場合、犬耳が生えるという稀な症例から、どれだけ時間が経っても“TS病経験者”であることがひとめで分かってしまうのだ。


 「うーん、でも、わたしの周りに関して言えば、誰もそんなの気にしてないみたいよ? まぁ、偏った嗜好のヤツが「元・男の娘なんて、むしろ御褒美です!」とか抜かしてたから殲滅しといたけど」


 確かに、男の子時代の「利明」を知らない人間にとっては、今の「あかり」こそが自然なのだろう。となれば、恋人にしたいと本気で願う人間がいても、まったくおかしくない。


 その事に思い至った清彦が、ようやく焦った表情になるのを見て、双葉は溜め息をついた。


 「やっと分かったみたいね。そろそろ気合い入れないと、トンビに油揚げさらわれても知らないわよ、バカ兄貴」


 さて、そんなこんなで遅まきながら、自分の想いを改めて自覚し、告白しようと決意した清彦ではあったが、彼女いない歴17年の悲しさ、どういう風に告白に最適のシチュエーションに持ち込めばいいのか、どうもよくわからない。


 幸い、焚きつけた責任を感じたのか、あるいは親友であるあかりの身を案じたのか──たぶん後者だろう──彼の妹・双葉が、「3人で映画を見に行く」という絶好の口実を作って、あかりを誘ってくれた。


 そして、当日……。


 「えっ、双葉ちゃん、来られないんですか?」

 「あ、ああ。どうやら予定を忘れてダブルブッキングしてたらしくてな。「向こうの用事の方が先約だからゴメン」と謝っていたぞ」


 もちろん、言うまでもなく嘘である。

 当初は3人一緒に行動して、折を見はからって双葉だけ姿を消すという案もあったのだが、このヘタレ兄に緊張感を持たせるためには、最初からふたりきりで“デート”させたほうがよい、と双葉は考えたのだ。


 「いえ、それなら仕方ないですよ。別段気にしてないって言っておいてくださいね、清兄」


 そう言ってホニャッと笑うあかりを見て、つくづくよくデキた娘だと感心する清彦。

 優しい、というだけなら昔から──それこそ男の子の頃の利明も優しい子だったが、こんな風にフォローを入れる一言を付け加えられるようになったのは、間違いなく、ここ最近──高校に入ったくらいからだろうか。


 あるいは、中三の時は弓道部の部長を務めていたというから、その時の経験に基づくのかもしれないが、残念ながら清彦は卒業していたので詳しいことは知らない。

 それは社交辞令だけの話ではない。あかりは今日映画を見られなかった双葉の分までパンフレットを買い込み、それを渡してくれと清彦に頼んできたのだ。


 双葉推薦の映画は、最新CGを駆使したSFアクション物だったが、管理された未来社会に反旗を翻すメインストーリーを縦軸に、主人公とヒロインの困難を伴うラブストーリーを横軸に織りなされた物語は、デートで見る作品としも、なかなかポイントが高かった。


 映画のあと、ふたりで喫茶店(こちらも双葉推薦のカップル向けオープンテラスのある店)に入り、先ほど観た映画について、あそこCGがすごかった、こちらの話が納得いかない、ヒロインがけなげで可哀想──といった感想を話し合う。


 改めてこうやってふたりで向き合うことで、清彦はあかりが女の子として、そしてひとりの人間として予想以上に成長していることに気付いた。


 (昔は、俺のあとをカルガモの雛みたくくっついて回っていたのになぁ)


 その成長に一抹の寂しさを感じないと言えば嘘になるが、それ以上に“妹分”が立派になったことへの兄貴分としての感慨と、ひとりの男としての魅力的な女性への“好意”のほうが強い。


 (こりゃ、俺の方も、うかうかしてらんねーぞ)


 「目の前の少女の恋人として相応しい男か?」と問われて「当然!」と胸を張れる自信は、今の清彦にはなかった。


 思わず、「きょ、今日のところは、とりあえずデートだけして、告白は後日改めて……」と日和かけた清彦だが、あかりの言葉にハッとする。


 「でも、双葉ちゃん残念でしたね、あの映画、すごく面白かったのに」


 そうだ。自分は、わざわざあかりに嘘をついてまでふたりきりになったのではなかったか?

 それなのに、ここでヘタレてしまっては、妹にも、そして目の前のあかりにも申し訳がなさすぎる。


 「──あかり、すまん」


 テーブルに両手をついて頭を深々と下げる清彦。


 「ふぇっ!? い、いきなりどうしたんですか、清兄?」


 突然謝られて、あかりは目を白黒させる。


 「実はな、双葉がダブルブッキングで来れないっての、アレ、嘘だ。

 俺が、あかりとふたりになりたくて、双葉に今回の件を頼んだんだ」


 首謀者はどちらかと言うと双葉であることは、この際関係ない。妹は情けない自分のことを心配してケツを叩いてくれたのだから。


 「えと……どうしてわざわざ? あたし、清兄に誘われたなら、別に断らないと思うんですけど」


 戸惑うような、何かを期待するような視線で、あかりは清彦を見る。

 それに対する答えは清彦の中にあった。

 しかし、彼はあえて自分から背水の陣を敷くことにする。


 「大きな声ではちょっと言いづらいな。あかり、ちょっと耳貸してくれ」

 「は、ハイ!」


 まさにドキドキワクワクと言った表情で、中腰になりテーブルの上に乗り出すあかり。

 清彦は、その耳元に口を寄せる……と見せかけて。


──chu!


 ほんの一瞬、触れるだけに近い状態だが、確かにあかりの唇に、清彦のそれが重なった。


 「これが、俺の気持ちだからだ」

 「え? え!? えぇーーーーっ!?」


 徐々に自分に何が起こったのかを理解したのだろう。

 あかりは、耳まで真っ赤になり、中腰の姿勢から力が抜けてポテチンと椅子に倒れこんだ。


 「ささささ…先刻のって、ききき…KISS、ですよね? てことは、清兄の気持ちって……そのぅ、あ、あたしを、すすすす…好き……」


 先程までの淑やかさはどこへやら、あかりは狼狽してドモりまくっている。

 その様子に「昔と変わらんトコロもちゃんと残ってるんだなぁ」と微笑ましい気持ちになる清彦。まぁ、目の前の懸案から一時逃避しているだけとも言うが。


 「ほら、落ち着けって。そもそも、まったく予想してなかったワケじゃないんだろ?」

 「えーーっと……まぁ、ハイ。薄々は……」


 多少心の整理ができたのか、椅子の上に座り直し、背筋をしゃんと伸ばすあかり。


 「て言うか、どっちかって言うと、あたしのほうがアプローチかけてるのに、それを清兄がスルーしてたんだと思うんですけど」


 ちょっと恨めし気な視線になる。


 「そ、そりゃ、まぁ、な」


 思い当たるフシが無いわけではないので、口ごもる清彦。

 それでは、思いすごし、自分に都合のいい妄想だと切って捨てていたアレやソレやは、やはりあかりなりのアピールだったということだろう。


 「えっと、それじゃあ、お前の答えは……」

 「うーーん、多分ご想像の通りですけど……でも、明確な答えが欲しいなら、清兄の方もキチンと言葉にして下さいね」


 悪戯っぽい流し目で、そう言われてしまっては、清彦としても素直に白旗を上げるしかない。


 「オッケー、降参降参。

 ──明利、お前が好きだ。俺と付き合ってくれ」


 この上なくストレートな清彦の言葉に、あかりも満面の笑顔で答える。


 「はい、喜んで」


 かくして、年若いカップルの誕生と共に物語はハッピーエンドを迎える……というワケには当然いかなかった。


 「うわーーーーっ」と言う歓声が周囲から巻き起こり、「ヒューヒュー!」という口笛や、「よかったな、お嬢ちゃん!」という激励の言葉が聞こえてきたからだ。


 ──ふたりとも互いの言葉に集中するあまり、オープンテラスとは言え、ここが喫茶店の中だと言うことを忘れていたようだ。

 どうやら周囲の客は、ふたりのやりとりに耳を澄ませつつ、固唾を飲んで見守っていたらしい。空気を読めると言うか、出葉亀と言うか……。


 状況を飲み込んで真っ赤になったふたりの元に、ニヤニヤ笑いを浮かべたウェイトレスが近づいてくる。


 「おめでとうございます! コチラはマスターからおふたりへの奢りだそうです」


 テーブルに置かれたレインボーカラーのドリンクがなみなみと讃えられた特大グラスに突き刺された、クネクネと絡み合ってハートマークを描く2本のストロー。そして、ふたりを取り囲み、再びシーンと静まり返って(しかし「ニヤニヤ」という擬音が聞こえてきそうな生暖かい目つきで見つめて)いる周囲の客。

 この時、清彦とあかりの脳裏には、期せずして同一の単語が浮かんでいた。


 「人類に逃げ場なし」

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