虹を食む

ねこもち

第1話

 私は今、虹の欠片を食んでいる。

 甘い甘い、夢のお菓子の宝石箱。

 エメラルドにカーネリアン、ダイヤモンドにインペリアルトパーズ。

 ころりと転がる宝石の中からモルガナイトの欠片を選ぶと、カロンと口の中へ転がした。


 隣の席に居る友人二人が、四時間目の支度をしながら話をしているのが聞こえてくる。

 そう言えば、次は教室移動だった。

 何だか自分が仲間外れのように思えるが、決してそういう訳ではなく、席で微睡んでいる事が多い為、必要以上に構わないでいてくれている。


 今日は特によく晴れているお陰で、席まで心地よい空気が漂っていた。机へ投げ出していた腕に、横を向いて顔を乗せた。

 カロコロと口の中で遊ばれていた、桃色の宝石をカシャリと崩す。目を閉じて澄んだ甘さに沈んでいると、いつか見ていた遠い景色の中に浮いていた。

 

 私が今よりも、ずっと我儘だった頃。

 遊んでいた友達のお母さんが、美しくて甘い宝石をくれた。

 初めて見た虹の欠片は、空からそのまま零れ落ちたようにキラキラしていて、これを食べたら虹がある場所へ自分も行けるんだと信じていた。

 でも沢山の欠片を溶かしてみたのに、あちらへ向かうことの出来る気配は無い。

 それどころか欠片を口に運ぶ度に、甘い実感がそれを否定する。

 そうして消えていった欠片の先には、只の宝石みたいなお菓子を食むだけの、今の私が残っていた。

 

 クリームソーダみたいな風が一筋、大きな窓から流れ込んだ。

ぱちぱちと光を撒き散らしながら、うつ伏せになる私の髪を撫でていく。

 薄目を開け、机の上で艶やかに存在意義を主張していた宝石達から、空に近いマリンブルーの欠片を拾い上げた。

 あの時と同じように額へとかざすと、青い仄灯りが静かに落ちる。

 

 甘い宝石。虹の欠片。

 あの時から、同じでない物は何もない。

 向かう事を見ないようにしたのは、たった一人の自分だけ。

 

 目を一瞑りすると、席を立ち上がる。

 次の授業は移動教室だ。そろそろ移動しなければ。


 しかしその時、私を静止する声があった。


 何事かと戸惑う内に、後ろから写真を一枚、ぱしゃりと撮られた。

 まだ不思議な顔をしている私へ、クラスメイトが非礼を謝りながら写真を見せた。

 撮られた理由を認識した時、重く沈んでいた瞼がやにわに開く。

 

 それは陽の光とカーテンの影が織りなし、羽ばたくように揺らいでいる。

 背中に、光の羽根を携えていた。

 

 目に映る物から視線を逸らせずにいると、室内の誰かが声を上げて外を指差す。

 はっとその方向を見上げると、太陽の下には七つの帯が煌めいていた。

 

 ──私には分かっている。

 そう。全て、只の偶然なんだと分かっている。だってどんなに思っても、今までの一度も無かったから。

 

 ああ、でも、それでも。

 

 一際輝く、トパーズを口に取る。

滑らかな表面をぱりんと砕くと甘い充実感がじわりと駆け抜け、意識を覚醒させていく。

 只の欠片を食んでいた人間は、虹が生まれた場所へと舞い戻った。


 たった一つ、そんなもので何もかもが変わってしまう事があるのなら、それを受け取られる存在は何なのだろう?

 でもどうして私は、そう思いがけて留まった。

 ただ、幸運ラッキーが落ちてきた、それだけの事でしか無かったのだから。私はずっと感じていたから。

 生きている事そのものに

 

 私は知らなかった。

 ただ知らなかっただけで、きっとこんな風にマイナスとプラスの繰り返しが続いている。

 でも、何でも無かった今日この日に素晴らしいギフトを享受できた理由があるならば——あの時から今日までの、虹を食む自分を残しておきたかった、捨てきれなかった自分のお陰なのかもしれない。

 

 すっかり背筋を伸ばして立ち上がった私に、次の教室へ行こうと声が掛かる。

 太陽の下を見ると、さっき見た虹はもう無くなっていた。


 この生の刹那の瞬きに、私の中に映し出されていた遠景は、誰にも見える事は無い。

 初めて見るような表情をした私に、何かがあったという事は分かるかもしれない。

 でもそれは、私だけが見ている景色では無い。いつも誰もが、何か遠い場所を宿している。

 それを知る事は無いだけなのだ。


 教室の扉の向こうで二人の友人が待っている。

 私は、机の上できらきらと瞬く虹の欠片たち、それに教科書とペンケースを手にする。


 「今行く!」


 泡立つ陽光の中をかき分けながら、皆が待つ場所へと歩き出した。

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虹を食む ねこもち @nekomothi

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