第48話

 委員長の説得は失敗に終わったが、それを責めるものは誰もおらず、2人以外に足の速い人が選抜され、そこでやっと落ち着く。

 瑛斗もレイドリックもことごとく種目出場の誘いを断り、2人は恵と同じく全員参加が義務付けられている100メートル走のみの出場権を勝ち取ったのだ。

 

 しかし、ここで思わぬ伏兵が現れる。

 それは今まで息をひそめて教室の後ろで控えていた副担任の秋元教師だ。

 彼は種目が決まったというタイミングで口を開く。楽しげに。


「僕から提案なのですが、先ほどの後夜祭ファーストダンスを踊る権利を指定の相手ではなく、優勝した人が相手、では2人はどうですか?異性の好みはバラバラなのが当たり前ですし、賞品を用意する側で決めるのは良くないと思うんです。ちなみに、後夜祭でファーストダンスを踊ったカップルはうまくいくっていう言い伝えがあるそうですよ。実際にそんなカップルが結婚するケースがこの学校では多いそうです。」


 その提案は2人どころかクラス全体に有効だったようだ。

 何しろ、先ほどまでの生徒たちの勝負事に本気ではない目がギラギラと輝きだしたから。

 その最たる反応を見せたのが瑛斗とレイドリックだ。

 瑛斗はすぐに手を挙げる。


、先ほどのお誘いを受けます。リレーは得点が高かったですよね?それ全て1位を取れば優勝は可能でしょうか?ほかに得点が高い種目は見直すべきだと思います。」

「いいや、。僕はあの人より足が速い自信がありますから、その役目は僕に任せてください。」


 急にやる気になった2人に委員長はがくがくと体を震わせる。すでに、委員長呼びが板についてしまい、クラスの誰からも名前を呼ばれなくなった彼だが、そんなことは全く気にせず、いや気にしていられないほどに究極の2択を迫られている。


「2人のうちどちらかが出場してくれるなら1位はとれるかと・・・。ただ、優勝は他の学年のみが出る種目もありますから、出て見ないことにはなんとも言えないと思います。ちなみに、先ほどのファーストダンスを踊る権利はリレーに出て1位を獲ったリレーメンバーのみに与えられています。」


 緊張のせいで自分が爆弾を放ったことに委員長は気づかないが、他の生徒たちには聞き捨てならない言葉だ。瑛斗とレイドリックを含めたクラスの生徒がやる気になったのは秋元教師が提案が効果的だったからだ。それが、色の優勝ではなくリレーの優勝したリレーメンバーのみだとは、まさに寝耳に水だろう。

 しかし、考えてみればたった1人の女子相手に踊る権利がつけられているぐらいだからさすがに5名以上は厳しいだろう。


 それじゃあ、ファーストダンスじゃなくない?


 恵は矛盾に首をかしげたのだが、周囲から聞こえる話をまとめると、モデルをしている彼女と踊ることは男子生徒に夢を提供する目的らしい。


 趣味が悪いな。


 それを聞いた瞬間、恵は胸が悪くなる。嗚咽をしなかったのはエチケットを心得ていたから。


 そんな話を知ってか知らずか、まだ、あの2人は争いを続けている。


「委員長、では、あなたが最初に選んだ私にください。絶対に結果を出します。」

「いいや、最終的に僕に話を振りましたよね?委員長、僕にください。」


 委員長はもはや選択できずに目を回しそうになっており、このままだと話がいつまで経っても終着点につかない。彼らに呆れていると、視界の端だったが秋元教師と視線が交わった気がした恵は即座に窓側に顔を背ける。それが大げさすぎたせいか、秋元教師にはバレているらしく、彼はいつの間にか恵の背後から耳もとに囁く。


「このままではいつまでも帰れませんね。」


 そのせいで恵は耳に手を当ててこそばゆいのを何とか避けつつ、振り向いて秋元教師の方へ顔を向ける。思ったよりも近い距離に一瞬心臓が跳ねるがすぐに落ち着く。なんといっても、いつも見ている顔と似通った顔なので美形と周囲から評されようと恵にとっては見慣れている。


「大丈夫ですよ。私は決着がつかなくても途中で帰宅しますから。私には関係ない話ですし。」

「西寺さんはどうして100メートル走のみなのですか?」

「体育測定がクラスの中間の位置だからですね。私はそんなに運動神経はいい方ではありませんからね。運動部に所属していたり、元々運動神経に優れている人しかこういうイベントは楽しめないですよ。」

「なるほど。では、もっと西寺さんは楽しみたいと?」

「え?いやいや、そんなことは言っていません。私は今のままで満足していますよ。楽しむは人それぞれです。私の場合は100メートル走以外はテントの下にいて涼みながら暑い中頑張っているみんなに心の中から声援を送ることが楽しみですよ。」


 秋元教師に流されれば、またこの雰囲気に火に油を注ぐがごとく余計なことを言われかねない。恵はそんな引き金になるような真似はしたくないのだ。


「そうですか。残念ですが、僕は一教師であるのであなたような一生徒の意見は聞かなくてはなりませんね。ああ、本当に残念です。」


 口ではそう言っているが、口元がニヤついているうえに目を細めているので彼がこの状況を楽しんでいることは間違いないだろう。


 油断できないな。そういえば、この人、保健室で人が寝ているベッドの上に平然と乗って来たんだった。


 紹介以外で初対面の状況を思い出した恵は椅子とともに横にずれて秋元教師からできる限りの距離をとる。彼女は窓際の一番後ろというこの教室の中で最も恵まれている場所がここで悪手に働くとは考えもしない。


「フフッ、そんなに離れなくてもいいではないですか。」


 奇妙に笑いながら狩る獲物を見つけたように恵に向かってゆっくりと歩き出そうとする秋元教師だったが、それを察知して彼の踏み出した足を思いっきり踏んで歩みを止めたのは瑛斗だ。彼は器用にもレイドリックと張り合いながら長い脚を伸ばして秋元教師の足めがけて踏みつけたようだ。主犯である瑛斗の顔は恵たちを見た様子がない。まるで、後頭部に目があるようだ。

 秋元教師はさすがにそのダメージが大きいのか足を手で押さえながら文字通りの腰を地面につけんばかりに低くしてまた後ろに下がる。


 途中、そんなやり取りがあり話を聞いていなかったが、答えを出せなかった周囲もあり、最終的に鳴海教師の


「このままじゃ埒が明かない。全員、今一度2人のうちどちらに走ってほしいかを考えてきて、明日投票できめよう。それであれば公平だろう。ちなみに、ずるはするなよ。だからな。」


 という一声で結果は保留となる。


 鳴海教師は荒いが生徒のことを人一倍考えてくれる良い教師だと思う。恵はこういう場面の対応をする彼に毎回感心するのだ。


 解散となり帰宅して瑛斗にムキになった理由を恵は珍しく自分から尋ねてみる。その珍しい出来事に瑛斗も驚いているのか一瞬言葉が遅れる。

 そして、ぼそりと彼は言う。


「あなたと踊りたいから。」


と。


 そして、彼の顔が赤くなっていく。その反応に恵は驚く。こんな初心な彼は見たことがない。

 恵は彼が本心なんだと思うが、それに正直なことを言う。


「私、後夜祭は欠席だけど。」


 と。

 彼が落ち込むことはわかっているが、言わないわけにはいかない。

 だが、なぜ恵は欠席なのかというと、その後夜祭は夜6時から実施される。この学校では基本的に部活動に所属している者でない限り夜6時以降に学校に残ることは許されない。そして、2つ目は恵が1年だからだ。後夜祭は基本的に3年は自由、1・2年は体育祭で活躍した者、もしくは体育祭で何かしら役割が与えられていた者のみが原則なので、恵には出席する義務も権利もない。

 それを懇切丁寧に説明すると、予想通り、瑛斗は項垂れる。


 あーあ、やっちゃった。


 恵は肩をすくめる。

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