第46話

 良い気分転換になったことで恵はPCでネットサーフィンのみならず、依頼されていた仕事の進捗状況を見ている。スケジュール管理も会計もすべて自分で管理しているので彼女は意外と暇があるようでない。

 運動したことで集中力が高まったおかげか、気づいた時にはすでに外は夕日になっており、ランチを食べていないことに恵は気づき、実感したとたん鳴ったお腹を押える。

 そのタイミングでドアがノックされたので返事をすると、入って来たのは4人だ。こんな複数で、というか、今まで瑛斗ぐらいしかこの部屋を訪ねてこなかったので恵は首をかしげる。

 4人の一番前にいるのは瑛斗だとわかり、その横に並ぶ3人のうち2人は見おぼえがある。1人は恵が言伝を頼んだ瑛斗が仲が良いと思っていた男性で、もう1人は腹違いらしい弟にあたる人物だ。しかし、最後の1人は全く会った記憶がない。

 長い黒髪を1つに結んで水色の浴衣で涼し気な格好をしている女性だ。おそらく恵よりいくつか年上だろうことは彼女が大人な落ち着いた雰囲気を持っているから何となく恵にも察しがつく。


「こんな大勢で来るなんて驚きました。桜井さん、何か用事ですか?」

「洋服をお持ちしました。」

「・・・・・ああ。」


 恵は一瞬何を言われているのかわからず、そこで過去の会話を思い出し納得する。

 ズズイと彼は紙袋を前に出すので、さすがにPCに向かって横向きでは失礼だと感じた恵は彼の前まで行きその袋を見る。その瞬間、彼女は固まる。


「あの、桜井さん。」

「はい、何でしょうか?」

「いくら何でも買いすぎでは?」

「そうですか?しかし、恵さんはすぐに服を汚すではありませんか。それなら多めに用意するぐらいがちょうどいいかと思いました。」

「うっ、確かにイレギュラーが起きたことは自分でもわかっているんですけど、あんなことがそんなこれから何度も起こるわけがないじゃないですか。」

「それはどうでしょうか?」


 いやだな、と世間話をするおばさんになりきったつもりで恵は冗談のように言うが、それをぴしゃりと瑛斗は一刀両断する。そのせいで他の3人から興味深げに見られてしまい、恵は憎々しげに彼を見る。そんな視線など彼にとっては痛くもかゆくもないだろう。


「そんな視線を向けられても困ります。これはあなたが汚したからなのですよ。」

「それはそうですけど。こんなに多くもらっても私のトランクには入りません。」

「世の中には宅配という便利なサービスがあるではないですか。」

「そんなもう着ないかもしれない洋服を送るのはもったいないですよ。」

「また、家でも着ればいいではないですか。」

「え。面倒。。。」


 瑛斗から至極全うな言葉を言われて反論に困り、とうとう恵は本音をもらしそうになったところで他に人がいることを認識し、ほぼ言ったことと変わらないのだが、彼女は途中で口を閉じる。


「それに、恵さん、これは賄賂なのです。」

「賄賂?私はお代官じゃないですけど。」

「それに近い立場であると考えてください。これはあなたと仲良くなりたいこの3人からのプレゼントです。」


 彼の言葉に驚いたように視線を向ける3人と納得しそうになってしまう恵。彼女はその考えを捨てるように首を振る。


「いやいや、どう考えてもおかしいでしょう!それに、プレゼント攻撃をして作った仲はだいたい悲惨な結果にしかならないですよ。え?こんな小娘に何を期待してこんなプレゼントを用意したんですか!?チョー怖い。」


 恵は本当に恐怖を感じて体を身震いさせる。

 そして、彼女には理解できない感覚に自分の思いを吐き出さないと正常を保てないほどに混乱する。

 いや、その状態がすでに彼女の異常である。


「どんな金持ち?え?なんでこんな役回りに私がなっているの?そんな設定私にはないんだけど。」


 まだまだ続く恵の阿鼻叫喚のような様子に聞く側の4人はポカンとする。


 瑛斗でさえ初めてみる恵の様子に驚いてしまい石になってしまったが、気を取りなおして頭を抱えている恵に話しかける。


「恵さん、そんなに深く考えないでください。彼らはただあなたと話をしたり遊んだりしたいですから。」

「え?そこの少年はともかくとして両サイドの兄妹らしき男女は遊ぶっておかしいでしょう。桜井さんは年齢不詳で少年心を失っていないかもしれませんが、人は成長すると遊びが無くなるんですよ。ちなみに、大人どうしで遊びとはベッドっ。」


 恵の言葉は中途半端に遮られる。一番早く彼女が言いたいことに反応したのは瑛斗であり、彼が彼女の口を手で押さえたのだ。

 恭弥と美弥はさらにポカンとして瞬きをして、2人は同時に噴き出して大声で笑う。その2人に挟まれている奏は何かを振り払うように頭を振っている。

 あまりに大笑いされるもので恵は落ち着きを取り戻して瑛斗のほうを見る。


「桜井さん、私は何かおかしなことを言いましたか?」


 彼女の質問に瑛斗は困ったような顔をするが笑みを浮かべて答える。


「いいえ、おかしくはありません。ただ、あなたの見た目と発言にギャップがあったので、それが2人には笑いのツボだったというだけです。」

「そうなんですね。良かった。非常識じゃなかったんなら。」


 恵の言葉に瑛斗はカッと目を開いて恵を見る。先ほどまでと同じように見える笑みではあるが、明らかに彼は怒っているだろう。


「それで、恵さんは先ほどの発言をされるということはそういう経験があるのですか?」

「そんなはずないでしょう。いや、あると言えばありますよ。街で食材調達に行ったら道で数人の男性に声をかけられて、『遊ぼう。』というので何かと思えばホテルだっただけです。それを知ってすぐに蹴りを入れて退散しましたね。」


 恵は過去を思い出しながら答える。

 そこでふと、


 そういえば、瑛斗が来てからそういうことは一切なくなったな。


 と思い、意外な場所で役に立っていたことに気づく恵だった。

 そんな平常運転の恵とは違い、瑛斗はメラメラと目の中に嫉妬の炎を燃やす。


「そんなことをされていたんですか。へえ。」


 彼の最後はただ納得げに頷いただけなのに、それがおっかなく感じたのは恵以外の3人も同じようだ。いつの間にかゲラゲラ笑っていた2人は声を静め、奏も瑛斗のほうを見て引きつった顔をする。


「桜井さん、落ち着いてください。」

「落ち着いていますよ。とりあえず、服はこちらを着てください。」

「サラッと今までの流れを無視するのは止めてくれませんか?」


 笑みが普通に戻った瑛斗は返却されそうになった袋をまた恵の前に持っていく、いや押し付けてくる。

 その迫りくる大きな袋に恵は身じろぎしていると、


コツンコツン


 と音がする。

 恵が最初にその音に反応すれば、そこには幼稚クモがまたも吊り下がっていて、足で器用に窓を叩いている。目が強調されて見た目は気味が悪いが彼はちゃんと送り迎えをしてくれたので根は優しいのだろう。


 多分。


 4人が止める前に恵が窓を開けると、幼稚クモが恵の肩に乗る。


「えっと、どうしたの?何かあった?」


 しかし、赤ちゃんに話しかけているようなものなので、幼稚クモから声は聞こえない。ただ、黙っている。そのうえ、先ほどのように伝言を伝えるわけでもなく、足で方向を指し示してくれるわけでもなく、本当に彼女の肩の上に乗っている状態だ。某アニメに出てくる相棒の電気ネズミを肩に乗せて冒険する、そんなものに恵はなりたくもないので、困ってします。


 冒険はおかしいかな。今時、そんなもの流行らないし、交通機関がほとんど乗れないことはわかっているので遠出なんて歩いていける今の行動範囲で十分だ。

 いや、クモをペットとして買うつもりもないんだけどね。


 恵は自分の考えをまとめつつ今後どうするかを考えていると、クモの目玉の部分が赤く光る。


 怖ッ!


 目玉がぎょろぎょろ動くのも見ていてなんともいえぬ不気味さがあったが、赤く光るのは恐怖そのものだ。


「え?どうしたの?病気?やばいよ、それは。」


 恵は焦っている。思いっきり。


『何を慌てているんだ?』


 幼稚クモからクモさんの声がする。


「は?」


 恵は予想外の出来事にキョトンとする。


『せっかく無事に着いたかどうか確認のために私の眷属を送ってやったというのに。

勘違いをしていただろう。』

「勘違いというか、なぜ来たのかわからなかったので焦っていましたよ。さっきもそうですが、唐突過ぎませんか?もう少しこちらの事情も考えてください。初対面の時といい、今回といい。序章というものがあるはずでしょう?」


 恵の言葉を聞いた向こうの反応は鼻で笑うことだ。彼に馬鹿にされていることは伝わる。これで伝わらなければどんだけ鈍いんだ、という話だが。


『そんなものを我らが気にするはずがないだろう?こんなことをするのも稀だ。』

「そうですね。人を困らせることが生きがいのようなあなたたちには無縁の言葉でしたね。」

『そう投げやりになるな。お前にそれを送ったのは我らとすぐに連絡を取れるようにするためだ。』

「あー要らないんで遠慮します。」


 そう言うなり、恵は幼稚クモを鷲掴みにして窓から捨てようとするも、それを見えていないはずのクモさんが察知したように叫んでくる。


『待て待て!そんなにすぐに捨てようとするな!これはいわば我らからの信頼の証であり加護だぞ。それを捨てようとするなんてお前には罰が当たるぞ。』

「いや、人を襲うことをするあなたたちから加護をもらった方が神様から罰が当たりそうですけど。」


「その通りですね。」


 今まで会話に入らず成り行きを見ていた瑛斗がとうとう抑えきれずに会話に入って来る。そして、瑛斗はその幼稚クモを恵の肩から取り上げた後にそれに顔を近づける。


「聞こえていますか?女郎蜘蛛の眷属。」

『お前。』

「あなたたちの加護などこの方には必要ありません。すでに私がついているのですから。そんなことだけであなた方が受けた恩をこの方に返すことができるお考えですか?それならいっそ、今回のことは水に流していただいた方がこちらとしてはスッキリします。」

『そんなことをお前に言う資格があるのか!?元をと言えば、お前が、お前たちが我らが主様を瀕死の状態に・・。』

「逆恨みですね。それに、女郎蜘蛛に危害を加えたのは私ではありません。」 

『では、誰だと言うんだ!お前からはあいつらと同じ匂いが。」

「それは当然でしょう。腐っても私の母と兄なのですから。」

『なっ』


 まだ続きそうだった会話はそこで途切れる。

 正確に言えば、瑛斗が幼稚クモを最終的に恵がしようとしたことと同じことをしたに過ぎない。彼のほうがよく飛んで行ったのかもしれないが、幼稚クモの姿は空の彼方に消えていく。


 しかし、恵はそれよりも瑛斗の発言のほうに気を取られる。


 なんだ、やっぱり合っていたんだ。


 と彼女は夕暮れの空を見て思う。

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