家族に入ることを拒否したら番犬が来た

第2話

 恵は生まれた時には年配の女性と2人で暮らしていた。

 保育園に通うと他の子たちは「お母さん」と言って迎えに来た女性に飛びついたりしていたので、彼女も真似をしていつものように迎えに来たその女性に対して同じ行動をしたのだが、その瞬間、頬を叩かれたことは覚えている。


『そんな風に呼ばないで。虫唾が走る。』


 きっとその場にいた人たちは驚いただろう。それ以上に彼女は驚いたが涙は出なかった。


『あーあ、失敗した。』

 恵の感情はそれだけだった。


 小学校になると、その女性は通いになり、やがて恵が1人で家事をこなせるようになると、とうとう、週一で来ていた彼女は来なくなった。

 もう、名前も顔も思い出せないが、いつもしかめっ面をしていたような気がする。その女性がなぜ自分と一緒に暮らしていたかなど、もう数年も経った今となっては知ろうとも思わなかった。

 とりあえず、毎月自分の名義の口座に振り込まれるお金があるからそれで生活しているが、それもタイムリミットは高校卒業までだと、女性が去り際に言っていた。だから、恵は高校に入ってため息を吐いた。


「この楽な生活もあと3年か。」


 真新しい制服に身を包みこれからの生活にきらきらと目を輝かせて臨もうとする周囲とはかけ離れた雰囲気を恵は1人醸し出していたに違いない。

 なぜなら、彼女にとって死活問題の発生がすぐそこまで迫ってきているのだから。

 友人を作る暇もなく、かといって、成績が良いだけでは高校卒業後に今の生活を維持できるとは思えなかった。


「どうしようかな。」


 恵は入学式を終えて担任教師がやって来るまでそんなことばかり考えていた。そんな憂鬱な雰囲気の彼女に誰も寄り付こうとはしないだろう。

 たとえ、彼女が黒髪と光の差し方によって色が緑やアメジスト、茶色に変化する不思議な瞳を持った美少女だったとしても。


「席に着け。入学式お疲れ。今日は明日からのスケジュールの説明と配るもの配ったら解散。あ、あと、自己紹介か。それだけ終わったら帰れるんだから静かに。」


 なんとも荒い教師がやって来た。

 恵の通うことになった高校は一応県内の公立で一番の進学校と名高い高校なので、頭のよさそうな生徒が多い。眼鏡率は8割ぐらい。眼鏡は関係ないかもしれないけど、眼鏡をかけている人を見ると賢そうに見えるから基準としてしまう。ちなみに、恵は視力は1.5で小学校の頃から衰えていない。

 進学校だから、もっと礼儀に厳しい教師ばかりだと考えた彼女にとっては驚愕だった。しかし、爽やかな少し年上の男性で人気がありそうではあった。


「俺はこれから担任になる鳴海博なるみひろしだ。担当は数学。基本、3年まで見ることになるが、理系文系に分かれたり色々とクラス分けがあるから、3年間担任をすることはない。野球部の顧問。よろしく。こちらは副担任だ。」

「こんにちは、皆さん。私がこのクラスの副担任の石井美紀です。今年教師になったばかりですので、皆さんと同じ1年ですね。皆さんと一緒に学べたらいいかなと思います。担当は国語です。よろしくお願いします。」


 荒い教師だから、副担が丁寧で優しそうな女性が付いたらしい。なんともお似合いの2人だ。不足のところを補い合っているように見える。


「じゃあ、出席番号順に自己紹介をしていけ。」


 鳴海教師の合図でどんどん自己紹介が進んでいく。

 とうとう、恵の番が回って来る。


「西寺恵です。特技や趣味はありません。1人暮らしなので帰宅部希望です。勉強もほどほどに頑張りたいと思います。よろしくお願いします。」


 端的にまとめた自己紹介を終えて席に着いた。


「1人暮らしなのか?」


 なぜか、鳴海教師が食いついた。


「はい、そうです。」

「困ったことがあれば相談してこい。相談なら聞いてやれる。」

「はい、ありがとうございます。」


 彼の言葉がありきたりだったので対応できた。

 中学時代に熱血教師に当たったら、彼が家まで来ようとしていたから大変だったが、彼はそういう類ではないことに安堵する。

 それから問題なく日程を終えて私は帰路についた。


 桜並木を通って気分が上がり、家に帰って庭に水を撒く。

 小学校の時に育てたアサガオはまだ育てている。庭にはそれしか鉢植えは置かれていない。芝生は人工芝なので手入れは特に必要ないのが救いだ。虫も少しは居るが、気にならない程度だ。


「春って感じがする。」


 風に乗って庭に運ばれる隣の家にある桜の花びらを見て恵はつぶやく。


「さて、夕飯作ったら将来のこと考えようかな。」


 私は中に移動して夕飯の準備を始める・・・・のだが。


「ない!!」


 冷蔵庫を開けた瞬間、彼女は叫んだ。

 それも近所迷惑レベルだ。

 冷蔵庫の前でわなわな震える恵だったが、すぐに立ち上がり時間を確認すると、午後4時。スーパーに十分間に合う時間帯であるにもかかわらず彼女は膝から崩れ落ちた。


「4時からのセールに間に合わない。牛乳が買えない。」


 牛乳1つで大げさなリアクションだが、今の恵にとってはどんな高級食材より1本240円の少し高級な高脂肪牛乳のほうが魅力的だ。彼女はそれで作るホワイトシチューがお気に入りだ。今日もそれをメニューにしていたのだが、その主役ともいうべき牛乳がないのだ。豆乳があって代用も可能なのだが、味の違いを知っている彼女にとって、それは目に入っていない。


「こうしてはいられない。行ってこないと!!」


 彼女は残像が残る速さで家を飛び出した。

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