【07】

 瞬間。周囲の空気が透明度を増して、視界に映るすべての色が鮮やかに変わったのと同時に、荷袋リュックに猛烈な、支え切れない下向きの力が発生する。


 ただでさえ凄まじい荷袋リュックの素の重量が、僕の魔法グラビテイトで瞬時に何倍にも増大したのだ。

 しかもこの魔法、実際に試すのはまだ数度目で、さすがの器用貧乏ぼくも微調整ができない。

 発動したら最後、僕の魔力が尽きるまでひたすら最大出力なのだ。


 石畳と荷袋リュックに挟まれた鎧がみしみしと軋む中で、騎士の黒い兜が転がり落ちる。僕の胴まわりぐらいはある首穴そこから、青白い何者かがするりと這い出していった、次の瞬間。


 ――ずん、というシンプルな音とともに、暗黒騎士を中心に石畳が陥没し、巨大なクレーターが出来た。そして深い深いその底で鎧がぺしゃんこに潰れたのと同時に、僕の魔力も底をついていた。


 超加重荷袋リュックは、ただ凄まじく重い荷袋リュックに戻っていた。


「終わ……った……」


 呟きながら、魔力切れでびくとも持ち上げられない荷物リュックから腕を抜き、ふらふらと立ち上がる僕。

 その前方で膝を抱えぶるぶると寒さに震えているのは、銀緑色メタルグリーンの髪と病的に青白い肌をした、僕と変わらない年齢の少女だった。


 彼女の髪からのぞく耳の尖った先端と、額から目許まで薄っすらと浮かぶ鱗の模様、そして作り物じみて見えるほどに整った美貌が、ただの人間ではないことを主張している。

 だから実年齢は、凄く年上かも知れないし下かも知れない。


「くっ、ここ殺せっ、おおおまえのかかちちだっ」


 がちがちと歯を鳴らしながら彼女は言った。兜を通さない素の声は、すっかり少女らしいものになっている。

 僕は中古剣の柄に手をかけつつ、ゆっくりと歩み寄っていく。


「そそれとも……はは恥ずかしめるきかっ……!」


 鋭い切れ長の目、鮮青コバルトブルーの瞳でこちらを睨みつけてきた。

 ぎゅっと抱えた膝の向こう、たぶん薄くて小さな衣類を身に着けているようだけれど、そのへんから必死に目を逸らししつつ僕は、彼女の華奢な肩に自分の濃紺色ネイビーのジャケットをそっと羽織らせる。


「……え」

「しないよ、何も。きみだって、あの小さな男の子を傷つける気はなかっただろ。──たぶん、街の人のことも」


 そう、あのとき彼女が男の子に振り下ろした魔剣には、一切の殺気がなかった。

 僕がこれまで勇者と共に対峙してきた魔蹂将たちの中に、そんな「人間味」を垣間見たことは一度たりとてない。


「きみは鬼人だろう? たぶん、人間として育てられた」


 鬼人。総じて、高位になるほど繁殖能力が劣っていくとされる魔族たちが、人間と交わることで産んだり産ませたりした半人半魔ハーフのこと。

 そのほとんどは、物心つかないうちに魔族に連れ去られ、尖兵として育て上げられる。


 しかし時折、魔族の手を逃れ人間として育てられる者もいた。


「…………」


 彼女の沈黙が、僕の問いかけを肯定する。


 成長するにつれ魔族としての特色が強くなるから、最終的には魔族にバレて連れ去られ、洗脳されてしまうのだが。中には彼女のように、人間としての意志を色濃く残し葛藤し続ける者も、ごく稀に存在するのだ。


 彼女はきっと、勇者ぼく一人を倒すことで、この街の全員の命を守ろうとしていたのだろう。

 

「……どうせ、もう終わり。私が秘宝を手に入れられれ……られなけれれば、あとは奴が動く手筈……」


 淡々と、言葉を紡ぐ。まだ口が回り切っていないせいで、緊張感は台無しだったけれど。


魔蹂将まじゅうしょう――焔獄法師ジェインフェルの手で、この街ごとすべて灰燼に帰すだけだ」


 ……えっ。魔蹂将、まだいるの? 呆然とする僕の耳に、頭上からたくさんの歓声が飛び込んできた。見上げると、クレーターの縁から数人の住民たちがのぞき込んで、満面の笑顔で手を振っている。


 もちろんその中にはサリアさんもいて。彼女は斜面をすべり下りると、僕の方を見つめながらまっすぐ駆け寄ってきた。――ゴクリと唾を飲み込む僕。


 その勢いのまま彼女は、ひしと抱き着いていた。僕の横を通り抜けて、鬼人の少女に。


「レナ! どうして、あなたが!?」

「サリアおねえちゃん……街を守れなくて、ごめん……」


 ――しかし時折、魔族の手を逃れ人間として育てられる者もいた。


「レナなら、話してくれれば良かったのに」

「だって、秘宝なんか無いのは知ってたから。せめて勇者の首を持ち帰ればと思ったの……」


 二人の会話にいろいろと察しながら僕は、思わず心の声を漏らしてしまう。


勇者あいついったい、どこほっつき歩いてるんだよ……」

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