【05】

 巨大荷袋リュックを担ぎ続けていることで体力に自信はある、けれど、いずれ限界は来るだろう。

 今も、ぎりぎり避け損なって左肩を掠っただけの一撃で、上着と革鎧ごと皮膚がざっくり裂け、血が腕をつたって石畳にぼたぼたと滴り落ちた。


「――がんばって、勇者様!」


 そのとき耳に飛び込んできたのは、聞き覚えのある声。見て確認する余裕はないが、サリアさんのものだろう。


「みんなもほら、よく見て! どんなやりかたでも、勇者様は私たちのために戦ってくれてるんだよ!」

 

 ざわめきが引いていく。そして、まばらにだけれど声援が聞こえ始めた。

 不思議なことに、それだけで胸の奥から沸き上がったなにか温かいものが全身に拡がって――まだまだ戦えそうな気がしてきた。


「目に光が戻った、か。……ふん、忌々しい……」


 暗黒騎士が、吐き捨てるように言ったそのとき。


 ……カツーン。


 乾いた、間の抜けた音が聞こえた。見ると暗黒騎士の背後、住民の小さな男の子が立っていて、腕に抱えた小石を精一杯の力で投げつけている。それが、暗黒騎士の兜に命中した音だった。

 

「ほう。こっちのほうがよっぽど、勇者に相応しいな」


 男の子の方にゆっくりと振り向く暗黒騎士。僕はその無防備な背中にすかさず斬りつけるけれど、やはり上腕の円盾バックラーが超反応で刃を弾き、手斧が鼻先をかすめる。


 いやあああ――――!


 客席から聞こえる女性の絶叫は、きっと小さな男の子ゆうしゃの母親だろう。


「ちゃんとお相手せねば、失礼と言うものだろう」


 そう言って暗黒騎士は、真ん中の二本腕に構えた漆黒の双剣を悠然と振りかぶる。呆然と見上げる男の子の足はすくんで、もうその場から動くことはできないだろう。


 それでも、暗黒騎士の言う通り、彼こそは本物の勇者だ。おかげで僕は――


 中古剣を鞘に納め、ゆっくりと、暗黒騎士の背中に右手のひらを添える。予測通り、上腕は反応しない。

 おそらくこの腕は自動迎撃機構、それも一定以上の殺意なり脅威でなければ反応しない。男の子の投げた小石のおかげで、僕はそれを確信したのだ。


「――【冷却クーラー】」


 右手のひらに、魔法を発動させる。

 僕が仕えているいる勇者(本物)の好物は、よく冷えた果実酒――ではなくて牛乳の果汁割りフルーツオレである。

 それをどんなときも最適な温度に冷やして提供しろ、という無茶振りに答えるべく修得した、「対象を凍結させずいい感じに冷やす魔法」が、これだ。


「ひゃっ!?」


 意外にキュートなリアクションと共に、暗黒騎士の全身がびくんと震える。その隙に正面に回り込んだ僕は、いずれ銘のある魔剣だろうその黒い双刃をぎりぎりにかいくぐって男の子を小脇に抱きかかえ、外縁側に走る。


「勇者様!」


 前方からの声に目を向けると、公園内に飛び出してきたサリアが両腕を広げていた。


「――名前、教えて」

「えっ?」


 男の子を預けた瞬間、彼女は僕にそう問いかけてきた。彼女の申し訳なさそうな表情が、人違いすべてを察したと語っている。


「トルル――トルル・ポアール。勇者リュクトの、ただの従者です」


 それだけ伝えて僕は離脱した。広場の中央に放置した荷袋リュックに向かって、一直線に駆ける。


「きさまは殺す! 絶対に殺すッ!」


 僕の度重なるふざけた行動──まあこっちは必死なのだが──に溜まりきった凄まじい殺気を漲らせ、暗黒騎士が追いすがる。

 振り切って僕は、荷袋リュック肩紐ハーネスに滑り込むように両腕を通す。

 そして【浮揚レビテイト】を発動させその超重量を軽減しつつ持ち上げる。


 その下には暗黒騎士の蛮刀と手甲ガントレットが、石畳にめり込んでいた。

 しかし、手甲ガントレットの方にはヒビひとつ入っていない。それが、敵の全身を覆う鎧の備えた鉄壁の防御力なのだ。


 それでも――


『がんばれー勇者さまぁー!』


 声援が聞こえてきた。サリアだけじゃない、いくつかの声。混じっている子供の声は、もしかしたらあの男の子だろうか。


『勇者トルルさまぁー!』


 その声が、力をくれる。僕は背中の荷袋リュックに隠れるのをやめて、突進してくる暗黒騎士に正面から向き合っていた。


「来い、僕がお前を――」


 ごくり、つばをひとつ飲み込んで、言い放つ。


「――ここで倒す!」  

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