第3話 夢幻の中の「アイ・ラブ・ユー」
-ボクはただの一塊の「土くれ」 泥人形
ただ「ボク」という、幻想の中を生きている
だから、今感じている悲しみや苦しみ、怒りさえ
ただの幻想の一部に過ぎない それに対して
なに心を砕くことがあろう なにくよくよすることがあろう
幻想みたいに、はかない存在なのに
一時の感情に揺さぶられる バカな話
どうせ夢・幻のような人生ならば
楽しもう、笑おう、感動を分かち合おう
ボクという幻想が生まれた奇跡を思う存分味わおう
「それで、法廷で怒っちゃったんだ」
瑠梨は「しょうがない人ね」って感じでニコリと笑うと、午後の紅茶を口に含む。
お気に入りのマイセンのカップのしなやかさが、瑠梨のイメージによくマッチしていて、ボクは瑠梨が紅茶を飲むのを眺めるのが好きだ。
「こうして、また瑠梨とお茶の時間が過ごせるのなら、池袋駅の地下街の、お気に入りのケーキを買っておけばよかったな。っていうか、ボクはどうして買っておかなかったんだろう」
ボクは呑気に、そんなことを考えていた。
瑠梨の横では真子がちょこんと椅子に座っていて、大好きな動物型のビスケットに夢中になっている。その姿をぼんやりと眺めていたら、ボクと真子の目が合って、真子は恥ずかしそうに笑う。夢中になってクッキーを食べる姿を見られていることに気が付いたのだろう。
「あぁ、まだ2歳なのに、『恥ずかしい』なんて思うんだ」
ボクは突然娘が見せた乙女らしい恥じらいにちょっと、ドキリとする。
開け放たれた窓からはたっぷりの光と心地よい風が入ってきて、家の中なのに高原のテラスにでもいるように心地よい。ホントに素敵な午後。
ボクは「しょうもない」とボクを笑った瑠梨に抗議する。
「だってさ、ボクは飯田さんは法廷できちんと誤ってくれると信じていたんだ。実際、警察からはそういう供述をしているって聞いていたし。それが急に法廷で、『あの事故はクルマの故障が原因です』なんて言い出すんだもの。ボクは呆れるやら、びっくりするやら、ただただ残念で、裏切られた気分になって、ついつい声を荒げちゃったんだ」とボク。
「法廷で『アンタは男らしくない』って言って飯田さんにつかまりかかりそうになったんだよね」
と、瑠梨は紅茶の香りを楽しみながらそう言った。口元は軽く微笑んでいた。
「私は、飯田さんの気持ちが分かるような気がするの」
瑠梨は平然として言った。
「だってあれだけ大きな事故を起こしたんだもの。その罪を全部ひとりで引き受けるのは、とても耐えられないんじゃないの。何かのせいにして、少しでも精神的な負担を軽くしたいっていうのは当然のことかもね」
そう言うと、瑠梨は満足そうにダージリンティーの香りを思いっきり吸い込み、満足げな表情を浮かべた。
「それに加害者の飯田さんは80歳過ぎのおじいさんなんでしょ。そのくらいの年になると、一度『こうだ』って思い込んじゃったら、なかなか修正できないのは仕方ないわよ。だって、そういうものでしょお年寄りって」
なぜか、他人が巻き込まれた事件のように瑠梨は言うけれど、ボクにしてみれば、感情が先走って冷静には考えられない。
「そんなに熱くならなくていいのよ。どうしたって、わたしと真子が生き返るわけじゃないんだし。それにね、まず飯田さんを許すってことは、あなたが今回の事故のことであなた自身を許すために必要なことなの。あなたはあなた自身が一番悪いと思っているから」
まぁ、瑠梨の言いたいことは分かる。今回の事件でボクは自分を責めている。ボクに何か落ち度があって、そのせいで瑠梨と真子が命を失うハメになった。たぶんそんなことはないのだけれど、なんども「自分がもっとしっかりしていれば、こんなことにはならなかったんじゃないか」という思いが頭の中でいつまでも反響している。
瑠梨はそんなボクの心情を解説する。
「ゲームで例えると、飯田さんは中ボス。ラスボスはあなたの心の中」
そう指摘されると、それが図星のような気持になる。
「そんなに自分を責めてばかりでは、あなたは先に進めない。いつまでも心から笑うことができないと思うの。前にも言ったけど、わたしも真子もあなたの暗い顔は見たくないの。早く笑顔になれるように頑張ってほしいな」
開け放たれたベランダのサッシから、一段と強い風が吹き込む。レースのカーテンがあおられて、バサバサとなびいてその端がボクの顔を叩く、ハッとしてまわりを見渡すと、瑠梨も真子もいなくて、それどころか、ティーカップも真子が好きなビスケットも跡形もなく消えていた。
ボクは、ただ、ただ、泣きじゃくるだけだった。
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