第2話 みなさんからの「アイ・ラブ・ユー」

 村田さんという人と出会った。ボクが立ち直るきっかけを与えてくれた人だ。村田さんは交通事故被害者の会の人で、ご自身も30年ほど前に息子さんを交通事故で亡くしている。

酔っ払い運転で、集団登校中の小学生の列に工事用のトラックが突っ込んだのだ。

 当時のボクは突然、家族を亡くしてしまって呆然とするばかりだった。でもボーッとしているわけにはいかなかった。警察の事情聴取とか、葬式の手配、マスコミの対応、各種手続きの申請などやらなければならないことが山ほどあった。そんな時、警察に紹介されたのが村田さんだった。

 ボクにとって経験者がアドバイスしてくれるのはいろいろとありがたかった。テキパキと各種の申請を手伝ってくれて、ボクは心底助けられた。

 そんな村田さんはよくボクに言った。

「悲しみに押しつぶされちゃダメですよ。家族を突然亡くして、やけを起こして、酒浸りになったり、家に引きこもったりして生活が破綻してしまう人が少なくないんです。だから、私は家族を失ってしまった人たちによく言うんです。『規則正しい生活を送りましょう』って。朝は決まった時間に起きて、ちゃんと食事をして、今日一日やる仕事を決めて、それをきっちりこなす。別に洗濯するとか買い物に行くとか、些細な目的でも構わないんです。そしてお酒を飲んでもかまわないですが、ほどほどにして、一日一回風呂に入って、決まった時間に寝てください。くれぐれも夜型人間にならないように。これだけのことをきちんと守って生活していれば、悲しみに押しつぶされずに生きていけます。大丈夫、あなたはしっかりしている、ちゃんとできますよ」

 村田さんは、佐藤さんという村田さんの息子さんと一緒に、登校中の事故で亡くなった娘さんの父親の話をしてくれた。

「佐藤さんは本当に子煩悩な人で、娘さんを溺愛してたんですね、それが不意に娘さんを亡くしてしまって、怒りと悲しみで暴れて手が付けられなくなったんです。それで一番よくなかったのが、奥さんにまで辛く当たって。『お前がちゃんとしていれば、娘は死なずにすんだんだ』なんて、奥さんは少しも悪くないのに、やつ当たりできるのが奥さんしかいなかったものだから、理不尽なことで奥さんを責めて。最初は口で言うだけだったのが、そのうち手まで出すようになって、奥さんは耐えきれなくなって家を出たんです。そのあとはもう、佐藤さんはさらに生活が荒れちゃって、片時も酒を手放さなくて、夜中でもなんでも大声で騒いで、それで誰も近づけなくなって最終的には親族で決めて、精神病院に入院することになってしまった。あぁなったらもう地獄です。きっと亡くなった娘さんも、あの世で悲しい思いをしているんじゃないでしょうか」

 村田さんは、交通事故の被害者家族には、みんなそうなってしまう危険性がある。そこでそうはならないように、村田さんの経験を活かして、被害者家族の心の負担を少しでも軽くしたいのだそうだ。

「私は息子を事故で亡くしました。それはそれでとても悲しく辛いことです。それでもそれを乗り越えたからこそ、事故の被害者家族に寄り添って、支えてさしあげるという誰にでもできるわけではないことが、できるようになったのです。私にとって被害者の家族をひとりでも多く精神的に支えてあげられることが息子への最大の供養なのです」


 村田さんや両親、会社の同僚や友人のサポートで、ボクはゆっくりと回復していった。

いつでも誰かがそばにいてくれたし、気を紛らわせてくれた。

 正直、事故の直後、瑠梨と真子を亡くした直後は、「自分も早く死んで、ふたりのところへ行くべきだ」。そんな思いがたびたび頭をよぎった。それを実行せずに済んだのは、周囲のサポートがあったからこそだ。

 事故の後、ボクは事故現場に近づくことさえできなかった。事故現場では、今でも瑠梨と真子の悲鳴が「こだま」しているように感じた。きっとその「こだま」はボクの脳髄に入り込むなり、ボクの神経細胞をズタズタに食い破り、ひきちぎり、ボクは一瞬で廃人になってしまうだろう。そんなイメージを抱いていた。

 そんな理由で、ボクは1か月ほど事故現場に行けなかった。それでもある晴れた5月の平日。早朝に目覚めたボクは、なんとなく、瑠梨と真子が待っていてくれるような気がして、事故現場を訪れることにした。朝日が昇ったばかりの街は清々しい風が吹いて心地よく、陽光が優しくボクを包み込む。

 ボクはとても穏かな気持ちになる。この1か月、まるで地獄をさすらっているかのように、悲しみと怒りと寂しさに交互にさいなまれ続けていた。

 それがその日は、なぜかすっかり晴れて、心地よかった。

「やっと涙も枯れ果てたのかな」


 事故現場の大きな交差点に着いた。ボクはとても驚いた。そこには信じられないくらいの花束が供えられていた。それこそ山になるほどの花束の数だった。

 それまで今回の事故で泣いているのは、ボクも含めて一部の関係者だけだろうと思っていた。意識的に社会と断絶していたから、世間がどんな反応だったか知らなかった。

 その日初めて事故現場を訪れて、世間の関心の高さを知った。とても多くの人が悲しんでくれている。花束にはメッセージカードが添えられていて、わざわざ北海道や四国から献花に来てくれた人たちもいる。

 そして瑠梨と真子の冥福を祈ってくれていた。

 正直嬉しかったし、感謝したし、そしてちょっとホッとした。

 ボクにとって最大級の悲劇が起こったのに、世間は何もなかったかのように普通に回っている。それはボクにとって耐えられないことだった。でも。この空間だけでも最大限の悲しみに包まれている。世間に何かを残した証拠になっている。

 こういう世間の思いができるだけ永く続くように、ボクは働かなければならない。そんな思いを抱いた。

 花に埋もれた祭壇の前で、少したたずむ。通勤時間になって、人が増えてきたら、そっと帰ろうと思っていた。

 すると、近所に住んでおられるのだろう、身なりのいいご婦人がほうきとちり取りを持ってやって来た。ボクを見つけると、

「今日も天気が良くていいですね」と挨拶してくれた。 

「おはようございます」

 ボクは恰幅のいいご婦人の押しの強さに、ちょっと気圧されながらも返事した。

「ここら辺は、ネコとかハトとかカラスとか多いから、ちょっと目を離すと、せっかく供えられた花がすぐグチャグチャにされちゃうから、追い払いついでに散った花を掃除したりしてるんですよ」

 ボクが誰なのか分かっているのか、ただおしゃべりなだけの人なのか、ご婦人は自分のペースでおしゃべりを続ける。

「結構遠くから、お参りに来る人が多いのよ。それで、せっかく来てくれたのに、この場所がグチャグチャだったら、がっかりすると思うのね。せっかく持ってきた花も、ただゴミになっちゃいそうで、お供えするのも気が引けるかもしれないし。だから、そんな気持ちにならないように、お掃除は欠かさないようにしているんです」

 ボクは嬉しくなって、ちょっと目頭が熱くなる。人前じゃなかったら、きっと泣いていただろう。

「ほら、ちょっと腰を低くして祭壇を仰ぎ見てみなさいよ。まるで天国のお花畑みたいに綺麗でしょ。こんな風に綺麗にしておけば、きっと亡くなった方たちの魂も癒やされると思うのね」

 確かに下から見上げてみると、花の渦に飲み込まれるような気分になる。それがなんだか心地いい。

「ありがとうこざいます。瑠梨も真子もきっと喜んでいると思います」

 お礼を言おうと振り返ると、そこには、もうすでに誰もいなかった。

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