天国からのアイ・ラブ・ユー

嶋田覚蔵

第1話 ボクを導く妻からの「アイ・ラブ・ユー」

「あなた、ごめんなさい。わたしの人生はここまでです。これ以上わたしは、あなたと共に暮らしていけそうにありません」

 そう言うと瑠梨の大きな瞳から大粒の涙がポロポロとこぼれた。

交通事故で即死だと思われていた妻が、霊安室で、夜中に突然起き上がった。ボクは信じられない思いで、頭がグチャグチャになり、思うように身も心も動かない。そんなボクを落ち着かせるように、瑠梨は穏やかに微笑みながら話を続ける。

「今日の朝まで、私たちの家庭は笑顔であふれていて、この幸せはずっと続くものだとばかり思っていました。それがこんなに簡単にメチャクチャになるなんて、わたしは今でも信じられません」

 そう言うと、瑠梨は唇をかみしめる。泣きながらも瞳はしっかりとボクを見つめている。

「芯の強い瑠梨らしいな」

 ボクはそんな彼女が大好きで、とても愛おしい。強い意志の彼女は、少なくとも重篤な状態なのだから、しゃべったりしてはいけないはずなのに、半身を起こして懸命に話しを続ける。ただただ、ボクは瑠梨の体が心配になる。

「もう真子は、あちらの世界に渡ってしまったようです。たぶんひとりぼっちで寂しくて、泣いていることでしょう。だからわたしも、早くあの世に行かなければなりません」

 なんとなく今の状況が、混乱しまくっているボクの頭の中でも整理がついてきた。

 家の近所の交差点で交通事故に遭った瑠梨と娘の真子。真子はもうすでに亡くなっていて、愛する妻も今、息を引き取ろうとしている。ボクは瑠梨にしがみつき、

「ちょっと待ってよ。ボクも一緒に行くよ」と言った。言ったけれどもここは病院の霊安室で、何もない真っ白な世界。どうやって死んでいいのか分からない。

 瑠梨は静かに首を横に振り、「それはいけません」とボクをなだめるように言う。

「もし、あなたまでここで死んでしまったら、誰がわたしと真子を弔ってくれるのでしょう。誰がわたしたちが車にひかれた理由とか、ひいた人はどんな人で、事故のあとどう思っているのとかを、私たちに伝えてくれるでしょうか。だから申し訳ないとは思いますが、あなたにはぜひ、これからも生き続けていてほしいのです」

 確かに事故を起こした運転手がどんな人で、今はどんな気持ちなのかとか、ボクもとても知りたかった。今死んでしまったら、何も分からずじまいではないか。

「それに、私と真子はあの世に行っても、あなたのことをずっと見守っています。だからあなたがひとりぼっちになることはありません。ただ…」

 そこまで話して瑠梨は口ごもる。

「ただ…何だい」とボクはきいた。瑠梨はちょっと言いにくそうだった。だけど意を決したように、

「必ずあなたを見守ってはいるのだけれど、あなたがもし涙を流しても、その涙を拭いてあげることはできそうにありません。ただオロオロと心配するばかりです。ですからあなたに、これからはできるだけいつも笑っていてほしいのです」


 死なずに生きて、笑って暮らせ。この状況ではとても難しそうだなと思う。

「そんなこと無理だよ。約束なんてできないよ」と言いかけた。だけど瑠梨がボクを見つめる眼差しが真剣で、「最後のお願いだから、きいてほしい」という思いであふれていた。

「分かったよ。できるだけそうなるように努力するよ」

 そう答えると、瑠梨はホッとした表情で、微笑む。

「がんばってください。応援してますよ。私たちが死んだからって、いつまでもメソメソしてちゃダメですよ。あなたはまだ30歳なんだから、人生はこれから。お仕事頑張って。恋愛もしてね。できれば新しい人を見つけて結婚してね。あなたは自由なの。死んでしまった私たちにいつまでも囚われないで。私たちを思い出すのは命日くらいでいいから。あなたにはあなたが、いつも笑顔でいられるにはどうしたらいいのか、それだけ考えていてほしいの」

 そう言い終えると、瑠梨は言いたいことはすべて言い切ったのだろう。安らかな、本当に穏やかな笑顔を最後に見せてくれた。


 葬式が終わって数日後のこと。ボクは頭がおかしくなりそうになった。

 携帯電話は捨てよう。こんな物持ってたら、頭がおかしくなりそうだ。誰かが書き込んだ「関係者が明かすH町暴走車事故の悲惨現場」とか、「自動車暴走事故の遺族に支払われる賠償金はいくら」とか、無責任な記事がSNSを通じて、それこそ無限に拡散している。

 テレビはもちろん見ない。インターネットも見ない。知り合い以外誰とも会いたくない。

自宅にはマスコミが押し寄せてくるので、親のマンションに逃げ込んだ。会社は長期休養が認められた。でも、ボクでしか分からない仕事もあるので、たまに連絡だけは取れるように、自宅の留守電だけは使えるようにした。

 生活は一変した。仕事に励み、疲れて家に帰れば瑠梨と真子が迎えてくれる。そんな環境が一度に壊れた。

 時々、無性に腹が立ってくる。なぜボクがこんな目に遭わなければならないのか。でも、そんな時は最後の瑠梨のコトバを思い出す。

「見守っていますから、いつも笑っていてください」


 あれは夢だったのだろうか。それとも現実だったのだろうか。現実のはずはないと思う。

瑠梨の身体は事故でボロボロだった。そんな瑠梨がベットで半身を起こしてボクに語りかける。そんなことはありえない。ただあれがすべて夢だったとも思えない。あんなコトバを一瞬で夢想するほどボクは賢くもない。あれば確かに瑠梨のコトバに違いない。

 それなら、と思う。あれは瑠梨の魂だったのじゃないだろうか。最後にどうしても、意気地のないボクが一生メソメソしながら生きていかないように、ひと言が言いたくて、魂が語りかけてくれたのかもしれない。そう思うと辛くなる。突然の「死」という人生最大の悲劇に直面した瑠梨は、自分のことより先にボクを心配していた。ボクが弱いから、ボクが頼りない男だから。

 だからボクは誓おうと思う。もうこれ以上、瑠梨にも真子にも心配をかけずに生きていこう。

 いつもふたりが安心してボクを見守れるように生きていこう。辛いことがあっても、取り乱したりせず、どうすれば一番いいのかよく考えてから慎重に行動しよう。そして悔いのないように生きて、長寿をまっとうし、お土産話をいっぱい抱えて、天国のふたりに会いに行こう。と。

 ふたりともたぶん、それを望んでいるのだろうから。

 

 ここでひと言、謝罪したい。あの事故当時のことを書こうとすると、どうしてもボクは感情が先走ってしまって、論理的に当時の状況を表現できない。だからいままでの文章は、ちょっと分かりにくいだろうと思う。何度も何度も書き直したのだけれど、どう頑張ってもこの程度が限界だ。でもここからは多少落ち着いて文章が書けると思う。どうかここまでで懲りずに、ボクが精神的に立ち直っていく物語を見守ってほしい。きっとそれはあなたの人生にもプラスになるだろうから。

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