第9話 魔獣アゲルドラコ

「何をしてるんじゃヒコ! 死にたいのか!」


 怒号と共に投擲とうてきされた巨大な鉄塊が少女のリビングデッドを粉砕。駆けつけた武威むいが放心していた周彦あまねひこを殴りつけた。痛みで我に返り、周彦が顔を上げる。


「……今、あの子供が言葉を」

「ヒコ様。惑わされてはいけません。リビングデッドに生前の意識や魂は残されていない。あれはのどを使って教団が仕掛けた陰湿な精神攻撃でしかありません。御覧ください。動く死体は子供や老人ばかり。直接的な戦力ではなく、我らに揺さぶりをかけることだけが目的なのです」


 光の刃でさらに二体のリビングデッドを倒したプルヴィアが、周彦を背に庇いながら告げる。襲い来るリビングデッドは、最初の警官を除けば、老人や子供といった力の弱いものばかり。それに混じって、沢で遭遇したのと同種のキマイラやスケルトンも続々と姿を現す。食べ応えのある成人は全て魔獣の餌とし、食べる部分の少ない子供や老人は、周彦がそうであったように、動きを鈍らせるための非道な肉の盾。そうして動揺させた隙をついて、魔獣の怪力で制圧するのが教団の狙いであった。


「ヒコはぶっきら棒じゃが、根が優しいんじゃな。じゃがな、今ばかりは割り切らないと死ぬのはヒコ自身じゃ。そうなれば今度は麓の村が襲われ、また死者がもてあそばれる。そしてそこを拠点に別の場所が支配される。それが鼠算式ねずみざんしきに繰り返されていく。悲劇はここで食い止めなくてはいかん。違うか?」


 周彦は、殴られて出血した口元の血を拭った。


「貴様の一撃。なかなか効いたぞ」


 拳以上に言葉の方が効いた。まさか、武威に正論をぶつけられるとは思ってもみなかったからだ。団体行動を説きながら、自分自身の甘えが仲間をわずらわせてしまった。結局のところ、まだまだ覚悟が足りていなかったのだと、周彦は己を省みる。武威の言う通りだ。ここでやらなければそれこそ、守るべき市井しせいの人々を危険に晒すことになるのだ。死後、自分の死体が誰かを傷つけることなど、死者たちも望まぬはず。サーベルを握る周彦の手に力がこもった。


「もう大丈夫なんじゃな?」

「ああ、魔獣もリビングデッドも残らず狩り尽す。それが俺達、黎明警衛隊れいめいけいたいの責務だ」


 周彦は大きく深呼吸すると、サーベルを一度鞘へと納めて抜刀の構えを取る。正面から子供を含む四体のリビングデッドが迫った瞬間、神速の居合いで迎え撃った。


「せめて安らかに」


 周彦に接触する前に四体のリビングデッドは全員一瞬で首を刎ねられ、その死体は消滅した。


「何度見ても見事な剣筋じゃ。どれ、ワも気合入れんとな」


 周彦の奮起に触発され、武威は拳を打ち鳴らす。猿と植物のキマイラが武威を拘束すべく、伸ばした蔦を右腕に巻き付けたが、武威はそれをものともせず、逆に怪力でキマイラの方を引き寄せた。堪らずキマイラが転倒したところを容赦なく、頭に鉄塊を振り下ろした。


「ルーメン・クロワ」


 武威と背中に合わせになったプルヴィアが、距離のあるスケルトンの頭上に魔術で光の塊を形成。それを振り下ろし、スケルトンの体を粉々に粉砕した。増援としてさらに二体ずつ、スケルトンとキマイラが合流したが、三人の攻撃の勢いは止まらない。


 周彦が迷いを払拭した今、三人での初陣とは思えぬ程に連携が上手く行っている。打撃に特化し一撃の威力に優れる武威。鋭い斬撃と高速戦闘で一対多数にも強い周彦。魔術によって遠方の敵にも対処可能ならプルヴィア。戦闘において三人の相性は抜群だった。


「ぶっ潰すべ」

「斬る」


 武威がスケルトンを頭上から粉砕し、同時に周彦がキマイラの体を正中線で一刀両断とした。


「ルーメン・トゥッリス」


 最後のリビングデッドである村長とその妻を、プルヴィアが眩い光の柱で消滅させ、襲撃の波は沈静化した。激戦を終えた村の中心は、魔獣やリビングデッドと殺し合ったにも関わらず、全ての骸が消滅したことで、まるで何も起こらなかったかのようだ。その様子が逆に異様であった。


「残すはお前だけだ! さっさと姿を現せ!」


 周彦が激情に声を張り上げる。教団の非道を許してはおけない。悪行のツケを払わせないといけない。もし自分だけはファーブラに逃亡しようものなら、絶対に許さない。


「異世界の戦士もなかなかお強い。ここまでやるとは正直驚きましたよ」


 場違いな軽快な拍手と共に、村の入り口に突然、漆黒のローブに身を包んだディルクルム教団の魔術師が姿を現した。これまでは魔術で姿と気配を消し、様子を伺っていたようだ。目深に被ったフードで表情が上手く読み取れないが、口角が不敵に釣りあがっている。反省の色など元より期待していないが、この状況を楽しむ程度には狂人のようだ。


「貴様一人か?」

「そうとも。我らディルクルム教団は精鋭集団だ。貴様ら蛮族ばんぞくとは違い、そう簡単に自らの手を汚すことはない」


 多数の魔獣を従えるという性質上、大規模な作戦であっても直接指揮を執っていた魔術師が少人数だったというのは珍しい話ではない。そうでなければ、所詮は一つの組織に過ぎないディルクルム暗黒教団が、ファーブラ諸国の連合軍と長年に渡って戦争を続けることなど出来なかっただろう。


「外道が。死者を愚弄ぐろうする貴様が何をほざく」


 一対三の状況でも油断は出来ない。撤退せずに姿を現したということは、相手は敗北などまるで考えていないということ。魔獣を従える魔術師は当然格上だ。魔獣のように簡単に終わらせてはくれない。


「雑魚をほふったぐらいで調子にのりおって。スケルトンは人肉を食らわん。キマイラやドレイクだけで全ての餌を貪ったと思うか?」


 魔術師が不敵に笑うと同時に村を激しい振動が襲った。地割れが発生し、裂け目が武威たちの足元へと迫って来る。


「下から来るぞ!」

「プル子。ワさ掴まれ」

「きゃっ」


 周彦が素早く地割れから身を引き、武威はプルヴィアの華奢な体を軽々と抱き上げ跳躍した。直後、三人がいた地点が大きく陥没し、中から一匹の大きな魔獣が地上へと姿を現した。


 形容するならそれは、鋭い爪や牙を持った二足歩行の巨大な蜥蜴とかげで、肉食恐竜のような前傾姿勢を取っている。体長は憂に四メートルを超え、頑強な灰褐色の鱗に全身を覆われている。異世界ファーブラにおいては地竜に分類される魔獣アゲルドラコ。飛行能力やブレス攻撃を持たぬ下級の竜ではあるが、その分肉体そのものが強靱であり、旺盛おうせいな食欲も相まって非常に危険な魔獣である。行方不明者の内、リビングデッドにされなかった者たちは、アゲルドラコの餌にされたと見て間違いない。こんな魔獣が麓の町へと下れば、被害はより甚大なものとなる。


「アゲルドラコ。まさかこんな魔獣まで用意していたなんて」

「でかい蜥蜴じゃな。こいつは強いんだべか?」

「手強いです。本来は少人数で相手にするような魔獣ではありません」

「なら大丈夫じゃ。ワの怪力は百人力じゃからな」

「武威様のことですから、きっと本心なのでしょうね」


 このような状況下でも余裕を崩さない武威の横顔は心強かった。彼はきっとファーブラの戦士にも劣らぬ、数多くの修羅場を潜り抜けて来たのだろう。アゲルドラコは確かに手強いが、少人数で相手にすべきでないというのはあくまでも一般論。少数精鋭、あるいは単騎で討伐する強者もファーブラには一定数存在した。自分達だけでアゲルドラコは狩ることは決して不可能ではない。


「どんなにでかくとも魔獣は魔獣じゃ。脳天を叩き潰せば殺せるべ?」

「武威様の怪力なら可能です。私も魔術で全力で援護します」


 涎を垂らしながら喉を鳴らすアゲルドラコの赤眼が、武威とプルヴィアを捉えた。襲撃に備え、地中で待機を命じられていたアゲルドラコはその間、食事もお預けをくらっていた。空腹の今、目の前の餌への執着は凄まじい。


不遜ふそんへの褒美だ。貴様には私自ら引導を渡してくれる。先ずはその四肢を頂くぞ」

「望むところだ。俺も貴様の存在は我慢ならん」


 この場の驚異はアゲルドラコだけではない。抜刀した教団の魔術師が周彦へと斬りかかり、鍔迫り合いへと発展する。皮肉にも魔術師の得物もサーベルであった。教団の魔術師は魔術一辺倒ではなく、武器を使った近接戦闘にも秀で、それらを組み合わせた独自の戦術を用いる者が多い。異なる性質から繰り出される波状攻撃は高火力かつ読みにくい。魔獣だけではなく、魔術師個人の戦闘能力も驚異的だ。


「悪いが魔獣は任せたぞ。こいつを始末したら俺も加勢する」

「こっちは任せておくべ。死ぬなよ、ヒコ」

「貴様もな。伽羅木からき

「私を始末してから加勢するだと? 減らず口を叩いてくれる。決めたぞ、その舌根っこも引きずり出してくれる。私は執念深いんだ。生まれて来たことを後悔させながら死なせてやる」


 勝利を確信しているかのような周彦の言葉が癇に障り、魔術師が憎らし気に歯を食いしばる。怒りが刃を鈍らせ、サーベルにかける力の重心が僅かに逸れた。


「貴様こそよく回る舌だ。言いたいことは短く言え!」


 力の均衡が崩れ、周彦が力強く相手のサーベルを弾いて均衡きんこうを解いた。今なら屋敷で武威に言われたことの意味が、少しだけ分かるような気がした。

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