第8話 非情な魔術

 三人が冠百村かんびゃくむらへと到着した頃には逢魔おうまが時を迎えようとしていた。現世うつしよ幽世かくりよの境界が曖昧になるとされる時間帯。実際にこの村に潜んでいるのは、幽世ではなく、異世界からの侵略者である魔術師と魔獣だ。


「静かなのが逆に不気味だな」


 物陰に隠れながら村の様子を伺うが、中は廃村のように静まり返っている。住民の生存はすでに絶望的だが、少なくとも教団の魔術師や魔獣はこの村に潜伏しているはずだ。沢での魔獣撃破は相手にも伝わっているだろうし、待ち伏せされている可能性も十分に考えられる。


「敵の動きが分からぬ以上、慎重に行動するぞ」

「慎重に行動したところで何になるんじゃ? 直に日も落ちるし、ここまで来たら正面切って殴り合う他ないべ」

「おい! 伽羅木からき!」

「ヒコ様、私も参ります」


 周彦あまねひこが呼びかけた矢先に、武威むいは物陰から飛び出し、村の中心へと悠然と歩き出した。単独で行かせるわけにも行かず、周彦は苛立ちながら後を追い、プルヴィアも続く。父親を亡くして以来、一人で魔獣を狩り続けて来た武威は己の判断を何よりも重視する。集団行動には向かない一匹狼な気質である。


 対する周彦は黎明警衛隊れいめいけいえいたいに出向する以前から、警官隊として規律や協調性を重んじて来た。仲間と共に行動している責任感から、慎重な行動を重んじる。生き方の違いから、ここでも二人は相反していた。


 待ち伏せを警戒して慎重さを優先する周彦。夜目が利く魔獣に有利な時間帯となる前に決着をつけようとする武威。双方の考え方に理があり、どちらが正しいと一概に判断できるものではない。


 周彦とプルヴィアは周囲を警戒しつつ武威の武威を追いかけるが、結局襲撃は起こらぬまま、村の中心部まで到着出来た。


「……惨いですね」


 おぞましい光景にプルヴィアが目を細める。乾いた大量の血液が地面を変色させ、ところどころには人間の一部だったと思われる肉片が散乱していた。諜報員の四十万しじまも餌の備蓄に言及していたが、彼の推察通り、ここは魔獣が村の住民を食らう餌場なのだろう。


「……村の方々は全員、魔獣に食べられてしまったのでしょうか?」

「結構な人数が食われたようじゃが、流石にこの数日で全員をたいらげたとは考えにくい。だからといって、残りも無事ではないじゃろうが」


 教団の人間が住民を生かしておく理由はない。魔獣は悪食で人間の鮮度などお構いなしに肉を食らう。人間は殺して貯蔵しておけばそれで事足りるのだ。あるいは何らかの実験に人間を用いる可能性も考えられるが、いずれにせよ無事な姿を想像する方が難しい。


「せめて一人でも多く、面影が残っていることを祈るばかりだな」


 周彦が犠牲者の血だまりに手を合わせた瞬間、近くの家屋の扉が開く音がした。武威と周彦がそれぞれ得物に手をかけ、プルヴィアもいつでも魔術を発動出来るよう、呼吸を整える。振り返った先に居たのは、二名の警察官の後ろ姿であった。


「驚いた、駐在所の者だな。よくぞ無事で」


 生存は絶望視していたが、二名の警察官は五体満足でそこに存在している。周彦が安堵した様子で駆け寄ろうとしたが。


「いけません! ヒコ様!」


 プルヴィアが叫び、武威が咄嗟に周彦の服の裾を掴み、剛腕で無理やり引き戻す。次の瞬間、抜刀した二名の警察官のサーベルが、直前まで周彦が居た虚空を裂いた。油断して近づいていたら、確実に首を刎ねられていた。


「間一髪じゃったなヒコ」

「礼を言う。しかし、一体どうして彼らが俺に攻撃……を」


 疑問に答えるかのように、抜刀した二名の警察官が俯いていた顔を上げ、その姿に周彦は驚愕した。最初は後ろ姿だったので気付かなかったが、一人は顔の右半分が大きく損傷し、一人は胸部の大きな切り傷から骨が露出している状態だった。致命傷の域を越え、その姿は死人としか思えない有様だ。


「ヒコ様、残念ですが彼らはもう人ではありません。あれはディルクルム暗黒教団が死体から生み出したリビングデッド。教団の意のままに殺戮さつりくを繰り返す、立派な魔獣です」


 リビングデッドもスケルトン同様、魔術で傀儡くぐつとされた死体のことであり、使用された死体が腐敗前か、完全に白骨化しているかで区別される。肉体はすでに死んでいるが、全身に筋肉組織が残っているリビングデッドの方が白骨死体のスケルトンよりも身体能力に優れているとされる。すでに意識や魂は無くとも、肉体が生前のくせを覚えており、達人の死体であればその経験を元に、強力な死者の兵となることも珍しくない。戦闘訓練を受けている警察官は、教団にとっては現地調達した都合の良い素材であった。


「……助ける方法はないのか?」

「ありません。彼らはすでに死んでいるのですから」


 怒りに奥歯を噛みしめながらも、プルヴィアは冷静に事実を告げた。死者を傀儡とする教団の魔術の非道さを、ファーブラ出身のプルヴィアは痛いほど理解している。死力を尽くし、戦場に散っていた死者を愚弄し、その死体に鞭打つ非道な魔術。戦場に散った仲間の死体を利用され、かつての友が死体となって襲い掛かってきたという話が、ファーブラの戦場には山のようにある。


 動揺し命を奪われた者もいた。動く死体と化した戦友を涙ながらに葬り、心に大きな傷を負った者もいた。ディルクルム暗黒教団に悪用されないよう、戦死者は可能な限り火葬するか、死者として復活しないように首を切断することが戦場の常識となり、戦死者を家族の元に連れ帰ることが困難を極め、遺族をより苦しめることになった。ディルクルム暗黒教団はこの世界でも、同じ悲劇を繰り返そうとしている。


「ならばせめて、一刻も早く楽にしてやるだけじゃな」


 救う方法はないとプルヴィアが断言したことで、武威から迷いは消えた。持ち前の俊足で警官の一人に迫ると、振るった鉄塊で頭部を一撃で粉砕した。残された体は力なくその場で膝をつき、徐々に肉体の消滅が始まった。ディルクルム暗黒教団の魔術に支配された時点で、使者の肉体も魔獣同様にこの世界の理から外れ、自然な形で滅びる機会を失う。非道な魔術は、死者が故郷の土へと還る権利さえも剥奪するのだ。


「ルーメン・ラミナ」


 次に動いたのはプルヴィアだった。手のひらに収束した光の粒子が鋭利な刃の形状となり、それを正確な狙いで投擲。光の刃がもう一人の警官の首を刎ね飛ばした。戦場で感情を殺すことには慣れたが、操られた死者を相手にする感覚には一生慣れることはない。


「気を付けろヒコ! まだまだおるぞ!」


 周彦の背後で人が動く気配を感じ、武威が叫ぶ。教団に操られた死者が警官だけとは思えない。文字通り息が無いのだから、身動きがなければその存在を事前に把握することは難しい。


「……分かっている!」


 後方から風切り音が聞こえ、周彦は咄嗟にサーベルを振り抜き、両腕を切り飛ばした。死者はくわを持った老齢の男性で、両腕を失ってなお、周彦に身一つで襲い掛かる。


「くそったれ! どうしてこんなことになる!」


 襲ってきた老人の死体の首をねながら、感情をぶちまけずにはいられなかった。悪を裁き、市井しせいの人々を守るために警察官になったのに、どうして罪なき村人の首を刎ねなければならないのか。そうしなければいけない状況なのは百も承知だ。武威の言うように死者を一刻でも早く葬り去ることが、せめてもの救いであると頭では理解している。それでも、感情を完全に殺すことは出来ない。ディルクルム暗黒教団が日本への侵攻を開始して以来、現地の住民の死体を利用したリビングデッドが投入されたのはこれが初めてだった。ファーブラの戦場で多くの戦士が苦悩したように、この状況は周彦の感情を大きく揺さぶった。


「……余計なことは考えるな。彼らはもう死んでいる」


 背後からの襲撃を感じ取り、周彦は再びサーベルを振り抜いた。


「アソボ」

「言葉を……」


 首を狙ったサーベルの動きが寸前で停止した。周彦を襲ってきたのは年端もいかぬ少女の死体であった。小さな手には、その大きさには余る匕首あいくちが握られている。覚束ない足取りで「アソボ」と繰り返し、動きの止まった周彦の心臓に刃を突き立てようと迫ってくる。やらなければやられる極限状態にあっても、周彦の刃は幼い少女の死体の首を刎ねることを躊躇ためらってしまった。

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