第6話 石蕗組

藤田ふじた隊長の不在時に申し訳ありません。まったく、教団や魔獣の驚異は、時を選んではくれませんな」


 会議室で周彦あまねひこたちと顔を合わせた成桝なりますはそう言って、女将から出されたお茶に口をつけた。三つ揃えスーツを着た温厚な紳士といった印象の成桝は、明治政府が設置した対ディルクルム暗黒教団の諜報部隊「石蕗組つわぶきぐみ」を統括しており、各地に散らばる諜報員からもたらされた情報を精査し、黎明警衛隊れいめいけいたいに情報を提供している。黎明警衛隊は戦闘の精鋭集団であり、石蕗組は諜報の精鋭集団。この二つの組織を軸に、明治政府はディルクルム暗黒教団へと対処している。


「留守を預かる身として、緊急出動も想定の上です。戦力も増えましたし問題はありません」


 甲州こうしゅう街道で発生した襲撃は規模が大きく、隊長を筆頭に多くの人員を取られてしまったが、伽羅木からき武威むいという即戦力の加入により、緊急出動への対応も十分に可能だ。藤田からも、もし事件が起きれば、新たに招集した武威を加えて対応するよう指示を受けている。


「あなたが伽羅木殿ですな。私は石蕗組の成桝隣と申します。以後お見知りおきを。藤田隊長からお話しを伺う以前から、あなたの動向には注目していましたよ。伊勢いせのキマイラ狩りや不来方こずかたでのドレイク撃ち落とし。各地でのあなたが関与したと思われる活躍は枚挙まいきょいとまがない」


 当然、各地で魔獣退治の旅を続ける武威の存在が成桝の耳に入らぬはずはない。有益な存在なので下手に接触せずに静観していたが、その存在は石蕗組の中では元より有名人だ。


「壁に耳あり障子に目あり。流石は政府の隠密じゃな」


 紳士然とした様子だが、異様に落ち着き払った姿からは全能感に近いものを感じる。情報は最強の武器だという、成桝の信念が成せる静かな迫力だ。


「魔獣退治以外の素行も色々と聞き及んでいますが、戦いとは関係ないことなので、それは私の胸に秘めておきましょう」

「怖いお人じゃ」

「貴様、何をやらかした?」

「たった一度の人生じゃ。羽目を外す時は外さんとな」


 肩を竦めて武威はお道化てみせる。出会って以降の軽薄な様子を見るに、どうせ下らないことなのだろうと、周彦は飽きれ顔で溜息をついた。


「さてと、そろそろ本題に入りましょうか。冠百山かんびゃくやまの中腹に位置する冠百村かんびゃくむらが、ディルクルム暗黒教団に占拠された可能性があります。冠百村とは日頃から商売などで交流のある麓の首丈くびたけ村の住民が、五日間も冠百村の住民の姿が見えないことを不審に思い、様子を確かめるために数名の使者を送りましたが、誰も戻ってはこなかったそうです。住民たちは事件性を疑い地元の駐在所へと相談。今度は二名の警察官が冠百村へと向かいましたが、やはり彼らも戻ってこなかった。事態を重く見た管轄の警察署から警察局へと連絡が届き、我ら石蕗組にも報告が上がって来た次第です。直ぐに諜報員を現地に送り、情報収集に当たったところ、遠目ではありますが村の中に怪しげな黒服の姿が見受けられました。また、山道には魔獣に食い散らかされたと思われる遺体も発見されており、教団と魔獣の関与はまず間違いないかと。現状では目的は不明ですが、今後冠百村を拠点とし、周辺地域にも襲撃を行う可能性は否定出来ませんな」


「ご報告をありがとうございます。甲州街道で異変が起きた最中ですし、これは早急に対処しなければならない事案のようですね」

「甲州にも部下を遣わせました。状況は間もなく藤田隊長の耳にも入ることでしょう」


 ディルクルム暗黒教団の侵略からこの世界を守るためには、前線基地の敷設は何としてでも阻止しなければならない。甲州街道の異変は確認された魔獣の数も多く、街道という要所で起きたため直ぐに発覚したが、一方で冠百村の異変は近隣地域の住民が違和感を覚えなければ、発覚がもっと遅れていたかもしれない。物量で攻める甲州街道の騒動と、秘密裏に進む冠百村の異変。同時進行することで攪乱かくらんを狙ってきた可能性も考えられる。


「冠百村周辺では引き続き、部下に情報収集を行わせていますので、追加情報は現地の四十万しじまという諜報員から共有なさってください」

「承知しました。我々は早速現地へ向かおうと思います。プルヴィア、伽羅木、準備はいいな?」

「もちろんです。緊急出動に備えて日頃から準備は怠っていません」

「ワは元々旅人じゃぞ。武器とこの身さえあれば十分じゃ」


 プルヴィアは動きやすいように小袖をたすき掛けし、武威は気合十分と拳を掌で打ち鳴らした。隊に着任して、僅か一時間での初陣となったがむしろ好都合。武威は大人しく待機などしていられるような性分ではない。


 ※※※


「そこのお巡りさん。疲労回復効果のある秘伝の丸薬はいらんかね? 今ならお安くしておきますぜ」

「けっこうだ。悪いが忙しい」

たかむら周彦様、そう連れないことを言わないで。そろそろご到着される頃かと思い、お待ちしておりましたのに」

「それでは君が?」

「お初にお目にかかる。石蕗組所属の諜報員、四十万しじま糸々しし太郎たろうです」


 周彦たちが冠百山の麓に位置する首丈村へと到着すると同時に、成桝が遣わした諜報員の四十万糸々太郎が接触してきた。四十万は編笠あみがさを被った旅の薬売りに扮しており、直前までの陽気な売り込みから一転、周彦の名前を口にする瞬間まで、周彦とプルヴィアは彼が諜報員だとは気づかなかった。諜報という性質上、今回のような薬売りや平凡な町人といった目立ちにくい肩書を演じることがほとんどだが、四十万は必要があれば華族かぞくの子息から浮浪者まで幅広く演じることが出来る天性の役者で、あらゆる状況に溶け込むことが出来る。無論、諜報活動に関しても非常に優秀であり、突如浮上した冠百村の異変を短期間で調べ上げるのは、成桝から絶大な信頼を得る四十万だからこそ任された役割だ。


「そっちのお兄さんはあまり驚いてはいないようだね。おいらの変装にあらでもあったかい?」


 やや不満そうに四十万が武威に訊ねた。正体を明かし、意表を突かれた様子だった周彦とプルヴィアとは異なり、武威だけはまったく表情が変わらなかった。もし綻びがあったのなら、諜報員としての信用に関わる。


「隠密さんの立ち振る舞いは完璧じゃ。ワは根拠もなく、何となくただの薬売りじゃない気がしただけだべ。野生の勘って奴じゃな」

「粗ではなく、野生の勘で見破るとは、諜報員泣かせのお人だね。お兄さんが敵じゃなくて良かった。おいらも直感すら騙せるぐらいにならないと」


 肩を竦めて苦笑すると、四十万は私情はここまでに留め、職務に忠実な諜報員として表情を引き締めた。


「往来で立ち話もなんですので、静かな場所へ移りましょうか」


 四十万に案内され、三人は人気のない無人の神社の境内へと場所を移した。


「先ず始めに現在までに確認されている被害についですが、冠百村の住民二十九名、村の様子を見に行った首丈村の住民三名、駐在所の警察官二名の、計三十四名が行方不明です。山道には魔獣に襲撃されたと思われる遺体が確認出来るだけで三体。狩猟道具を持っていたことから、一連の行方不明者とは別の、偶然山に入っていた猟師たちと思われます。裏付けを取ったところ、冠百村との連絡が途絶えた時期と前後して、地元の三人の猟師が行方不明となっていました。未確認なだけで、他にも犠牲者はいる可能性はありますね」


「教団の構成については?」

「確認出来た魔術師は一名。魔獣の姿はまだ確認出来ていませんが、痕跡が残されている以上、近隣のどこかには潜んでいるはずです。不謹慎な言い方にはなりますが、行方不明者の数を考えれば、餌の備蓄には困っていないでしょうからね」


 現状、遺体は偶然山に入っていた猟師のものしか見つかっておらず、村の住民を含め多くが行方不明のままだ。無事であるとは考えにくく、最も分かりやすい用途としては、魔獣の餌とされることが想定される。


「意識の外から探るのはこれが限界でした。核心には迫れず申し訳ない」

「頭を上げてくれ。短期間でよくぞ調べ上げてくれた。ここからは先は我々の仕事だ」


 石蕗組の役割は戦闘ではなく諜報だ。敵に存在を知られるのは最悪の結末を招き、その死は味方が情報を得る機会を喪失させ、同時に敵の警戒心を刺激しその守りを強固とする。故に敵に存在を悟られない範囲で、可能な限り情報を収集した四十万の判断は正しい。場所が敵に完全に掌握された、孤立した山村であるならば猶更だ。そのことは周彦もよく理解している。ここから先は役者が変わるだけ。敵陣に殴り込むのは黎明警衛隊れいめいけいえいたいの専売特許だ。


「これから山に入る。プルヴィア、伽羅木、異論はないな?」

「無論じゃが、プル子も一緒に行くんだか?」


 プルヴィアは武装を持たず、身一つでここまで赴いていた。聞かされていた肩書も相談役なので、彼女を危険に晒すのは気が引けた。


「私は単なる異世界の特使や相談役ではありません。武器の扱いはそこまで得意ではありませんが、代わりに魔術を使うことが出来ます。足手纏いにはなりませんよ」


 異世界ファーブラには魔術という概念が存在し、それはディルクルム暗黒教団だけの特権ではない。プルヴィアが異世界からの特使という大役を担ったのも、若くして才能を開花させた希代の魔術師だからに他ならない。魔術を使用するために必要な大気中の魔力の濃度の差で、この世界ではファーブラに比べると魔術の性能は劣るが、プルヴィア自身の技量によって、十分に実戦に耐えうるだけの威力は有している。


 なお、異世界ファーブラよりも魔術の性能が劣る影響はディルクルム暗黒教団側も抱えているが、大規模な破壊魔術を行使するより、魔獣を使役する方が魔力消費の効率が良いため、教団側にとっては大した不利益には繋がっていない。この世界への侵攻はある意味で、ディルクルム暗黒教団の魔術と相性が良かったとも言える。


「そうかそうか。プル子は術が使えたのか。そいつは百人力じゃな」

「もう! いちいち頭を撫でないでください」


 我が子を褒める親のように、武威がプルヴィアの頭を撫でた。


「直に日も傾いてきますし、今日はこの町で一泊し、明日からの行動とした方が無難では?」


「心遣い痛み入るが、魔獣討伐は常に一刻を争う。出来れば今日中に片をつけたい。迅速に行動すれば、日が落ちる前には全て終わっているさ。冠百村までの地図を拝借できるか?」


「承知しました。冠百山全体の地図に、おいらが入手した情報を書き加えておきます。事が迅速に済むに越したことはありませんが、携帯食や光源など、夜間用も装備をお渡ししておきましょう」

「感謝する。君は新たな動きがあった場合に備え、町で待機していてくれ」

「新たな動きというのは、是非とも朗報でお願いしますよ。皆さんの死亡報告を持ち帰るのは御免被る」


 自分なりの激励の言葉を投げかけると、四十万は地図に情報を書き込み始めた。

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