第4話 時空傷

「本来ならこの世界がディルクルム暗黒教団から侵略を受けるわれはありません。我々ファーブラの人間が始末をつけるべき問題なのですが、残念ながらファーブラから軍を派遣するなど、直接的な支援をすることは出来ませんでした」


「理由は何となく想像つく。異なる世界を行き来するというのは、そう簡単なことではないんだべ」


「その通りです。異世界間を安定的に行き来き可能なのは、ディルクルム暗黒教団が長年かけて完成させた秘術のみ。我々が簡単に真似できることではありません。それ以外の方法で異世界へと渡るには、ファーブラで稀に発生する、時空傷じくうしょうと呼ばれる自然現象を利用する以外にはありません」


「時空傷?」


「地割れのように、空間そのものに裂け目が生じる現象のことです。一瞬で消えてしまい、その先に何があるのか長年の謎でしたが、近年になってこの世界に繋がっていることが判明しました。ディルクルム暗黒教団とは無関係の、野良の魔獣がこの世界に現れるのも、野生の中で偶然、時空傷に迷い込んだ結果だと思われます。この時空傷の原理を完全に解明し、自由に操れるようにしたのがディルクルム暗黒教団の秘術なのです」


「へば、プル子もその時空傷とやらを通って?」


「はい。各国の賢人たちの知恵を集結し、今後、時空傷が起きる可能性が高い場所の候補を数カ所割り出し、そこにディルクルム暗黒教団の驚異を伝えるための特使を待機させました。そうして当たりを引いたのが私だったということです」


「プル子一人だけか?」


「今のところはそうですね。時空傷そのものが非常に稀な現象ですし、今後も増援は望めないかもしれません。しかし幸いなことに、この世界にも讐満帯刀アダマンタイトウ織治魂オリハルコンといった魔獣討伐に不可欠な素材が存在しており、武人たちもファーブラの戦士をも凌駕りょうがする豪傑ごうけつばかり。ディルクルム暗黒教団の侵攻に十分対抗可能です。ファーブラの民としては、この世界の方々に負担をかけてしまうことを申し訳なく思うばかりですが」


「プル子が申し訳なく思う必要はないべ」


 話が進むにつれ、責任を感じてうつむきがちになっていったプルヴィアのあご武威むいが触れ、顔を上げさせた。


「おい伽羅木からき、何を」

「ヒコは黙っとれ」

「ヒコ?」


 急に何を仕出かすのかと周彦あまねひこが声を上げたが、突然発せられた思わぬ呼び名に意表をつかれ、勢いを削がれた。


「平和を脅かす侵略者に立ち向かうのは、この世界に生きるワらの使命じゃ。プル子には責任なんかない。ナはこの世界に危機を知らせてくれた恩人だべ」

「武威様……」

「それよりもプル子。故郷を離れて異世界で生きるのは寂しかったべ」


 ハッとした様子でプルヴィアは目を見開いた。直ぐに武威から顔を逸らそうとしたが、澄んだ蒼穹そうきゅう色の瞳を前にしたら、どうしても視線を逸らすことが出来なかった。真っすぐ目が、秘めてきた核心を貫いてきた。


 自由に異世界間を行き来できるのは、ディルクルム暗黒教団の秘術のみ。日本に発生した空間傷を通ればファーブラに帰還できる可能性はあるが、ファーブラの賢人たちを以てしても、正確な発生場所の特定に難儀した空間傷を、日本側から捉えることはほとんど不可能に近い。プルヴィアの旅は、戻れる可能性が限りなく低い一方通行だ。


「覚悟の上でしたから。私は天涯孤独の身で、ファーブラには残してきた家族もいません。だからこそ特使にも志願した。この世界で知り合った方々は良い人たちばかりで。ヒコ様や藤田ふじた様、隊の仲間たちが今では私の家族ですから――えっ?」


 気丈に笑顔を作ろうとするプルヴィアの体を武威は抱き寄せ、その頭を優しく撫でた。周彦も武威の行動に驚きながらも、止めには入らなかった。


「それとこれとは話しが別じゃ。プル子がヒコや女将さんに心を許しているのは見てれば分かる。でもな、故郷に戻れるかも分からんまま、異世界で生きるというのはやはり寂しいもんだべ。向こうで過ごした日々も、プル子の中で一緒に生き続けとるんじゃから」


 プルヴィアの目を一筋の涙が伝った。面と向かってそんな言葉をかけてもらったのは初めてだった。ずっと悟られないようにしていた。特使としての使命感に身をやつし、自分自身さえもあざむいて今日までこの世界で生きて来た。それなのにどうして、何も知らないはずの初対面の相手の言葉一つ一つがこんなにも、鎧の隙間に入り込んでくるのだろう。


「……プルヴィアが泣いた?」


 組織の設立以来、周彦とプルヴィアの付き合いは一年近くになるが、プルヴィアがここまで感情を露わにするのはこれが初めてだった。


「あれ……おかしいな。こっちの世界に来てからこれまで、泣いたことなんてなかったのに」

「泣きたい時は泣いた方がいいべ。それが生きるということじゃ。ワの胸で良ければ貸すから好きなだけ泣け。鼻水かんでも構わんぞ」

「そっ、そんなには泣きませんよ。もう!」


 気恥ずかしくなり、プルヴィアは咄嗟に武威を突き放して顔を背けた。これ以上泣き顔を見られたくなくて、そのまま武威に背中を向ける。立ち上がった周彦が手ぬぐいを手渡すと、プルヴィアはそれで顔を拭いた。


「おお、プル子は強いの。感心じゃ、感心じゃ」

「武威様は不思議な方ですね。一目見て私を異世界の人間と見抜いたり……その、私の心境を理解していたり」

「身近にそういう人がおったんじゃよ。いつも笑顔で家族思いじゃったけど、時々、二度と戻れぬ故郷を思って遠い目をしている男がの」

「身近にって、まさかファーブラの民?」


「んだ。ワの亡くなった親父、伽羅木からき威具いぐは異世界ファーブラの出身じゃ。親父はあまり向こうの世界のことを語らんかったが、事故でこっちへ流れ着いたと言っていた。プル子の言う、空間傷とやらに巻き込まれたんじゃろ」


 目元が赤いことをも忘れ、プルヴィアは再び武威へと向き直った。周彦も思わぬ展開に言葉を失い、座布団には戻らずその場に留まっている。

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