第2話 黎明警衛隊

 時は流れ、明治十二年の東京。


 華々しい文明開化の訪れを人々は謳歌おうかしていたが、その裏では妖怪を彷彿とさせる奇天烈な獣の目撃情報、怪談を彷彿とさせる謎多き連続失踪事件など、各地で時代に逆行するかのような不穏な出来事が相次いでいた。大半が説明のつく現象や、単なる流言であったが、中には一部、本物の異常が認められた。異世界の魔獣による襲撃である。


 時の明治政府も異世界や魔獣の存在を認識しており、警察局出身者を中心に、魔獣討伐を目的とした組織を秘密裏に結成していた。組織の名は「黎明警衛隊れいめいけいえいたい」。文字通り、新時代を迎えた黎明の世を守護する組織だ。初代隊長に任命されたのは、警察局から出向する藤田ふじた五郎ごろう警部補であった。


「定刻をすでに過ぎている。例の男、本当に現れるのだろうか」

「まあまあヒコ様。もう少し待ってみましょう。地方から来られるようですし、道に迷っているのかもしれませんよ」


 明治十二年五月一日。浅草寺の前に一組の男女の姿があった。


 警察官の制服を着た長身で短髪の男性は、黎明警衛隊所属のたかむら周彦あまねひこ巡査。詰襟つめえりをきっちりと上まで留め、隙のない精悍せいかんな顔つきには、強い正義感と近寄りがたい生真面目さとが共存している。


 隣に立つ、小袖こそでを着こなした金髪碧眼の美女の名はプルヴィア。黎明警衛隊に所属しているが、表向きには明治政府に雇われた外国人通訳という扱いになっている。


 長身の警官と異国の美女の組み合わせは人目を引き、道行く誰もが視線を奪われていたが、警察官である周彦の眼光が鋭いため、慌てて目を逸らす、といった光景が何度も繰り返されていた。


 この日、黎明警衛隊に新たな戦力が加入する予定で、正午に浅草寺前で待ち合わせする手筈となっていた。隊長の藤田が戦力の中心となり得ると評する程の逸材で、本来は藤田が直々に迎えに来るつもりだったのだが、甲州こうしゅう街道周辺で大規模な魔獣の被害が確認されたとの一報を受け、昨日から隊員を引き連れ出撃している。


 そのため、東京で待機することとなった周彦とプルヴィアが待ち合わせに応じることになった。藤田からは新人の名前と特徴に加え、もしも自身の不在時に新たな事件が発生したら、新人を加えて即座に対応に当たれとの指示も預かっている。


「一体何者なんだ」


 黎明警衛隊の創設以前から藤田の部下であった周彦からすると、藤田からここまで信頼を寄せられている新人のことが少し面白くなかった。加えて、定刻を過ぎても姿を現さない粗雑さも気に入らない。


「魔獣との戦いは死と隣り合わせだ。きっと戦いに怖気づいたのだろう。これ以上は時間の無駄だ。引き上げるぞプルヴィア」


 待ちぼうけなど時間の無駄にも程がある。苛立ちの募った周彦がそう提案したが。


「美しい女子おなごじゃ。澄んだ綺麗な目をしてる」

「わ、私ですか?」


 突然、長身の男が二人の前で立ち止まり、至近距離からプルヴィアの顔を覗き込んだ。突然の出来事に驚き、プルヴィアは後退って周彦の袖を握った。


「どうじゃ。ワさ嫁にこねえか?」

「は、はい?」


 出会った直後の求婚に、プルヴィアは笑顔を引きらせるばかりであった。


「真昼間から酔っ払いか? 悪いが我々は職務中だ。さっさと去れ」

「お巡りさんは引っ込んどれ。ワはこの女子と話しとるんじゃ」

「貴様、いい加減に」


 元々苛立っていた周彦が男の胸ぐらを掴み上げたが、動揺が治まり、幾らか冷静になったプルヴィアが間に入った。


「ま、待ってください、ヒコ様。この方は」

「何だ。求婚されて満更でもないか?」

「そうじゃないですよ! よく見てください、この方の容姿」


 プルヴィアに指摘され、胸ぐらを掴まれても飄々ひょうひょうとしている男を周彦は凝視する。とてもイラつかせる態度だがあくまでも冷静に、容姿だけに注目する。


 綺麗な白髪を結った男は、周彦と同じく長身の偉丈夫いじょうぶで、同時に目鼻立ちの整ったかなり美男子であった。服装は藍色の着流しに臙脂えんじ色の襟巻をつけ、足元には西洋のブーツを履いている。そして何よりも特徴的だったのは、背中に携帯した、布を巻いた巨大な鈍器のような装備。髪色や装備が、事前に藤田から教えられていた新人の特徴と一致している。


「貴様もしや、伽羅木からき武威むいか?」

「なんじゃ。ワのこと知っとるべか。そうじゃ、伽羅木武威じゃ」


 待ち合わせの相手だと知り、周彦も苛立ちを一度鞘へと納め、武威から手を離した。


「あんたら斎藤さんのお仲間だべか? 斎藤さんは?」

「貴様、その名を知っているのか?」


 現在は藤田五郎を名乗っている隊長のもう一つの名前。その名前をどうして招集されたばかりの新人が知っているのか。周彦は驚きを隠せない。


「どうしたべ?」

「……いや、何でもない。昨日、甲州街道で事件が起き、隊長は今東京を離れている。我々が待ち合わせの代理だ」

「そうかそうか。あの人とも久しぶりに会いたかったんじゃが、不在なら仕方ないべな。こんな別嬪べっぴんさんにも会えて、ワは満足じゃ。ナも隊員か?」


 周彦には大して興味がないようで、武威の興味は再び、絶世の美女プルヴィアへと向いた。


「ナ?」

「おっと、なまっててすまんの。あんたも、って意味じゃ」

「はい。黎明警衛隊所属のプルヴィアと申します」

「プルヴィアか。プル子って呼んでいいべか?」

「べ、別に構いませんが」

「よろしく頼むべ、プル子」

「おい伽羅木武威、俺の話はまだ終わってないぞ!」


 突然やってきた新人に除け者とされ、一度鞘へと納めた周彦の苛立ちが蘇る。肩を掴んで強引に武威を振り向かせた。周彦は眉間にしわが寄り、威圧感は半端ない。


「定刻から随分と遅れての到着だったじゃないか。何か申し開きがあるなら言ってみろ。やむを得ない事情だったなら情状酌量じょうじょうしゃくりょうを認めてやる」


 周彦に詰問きつもんされ、武威は何をそんなに怒っているのかと、呆気にとられた様子で首をかしげている。


「長年全国を旅しとるし、ワは道には迷わんべ。この辺りにも早めに到着しとったんじゃが、東京は珍しい物ばかりでの。観光しとる間についつい時間が過ぎとった」


 あまりにも私的で同情の余地がない理由だが、当事者の武威は胸を張って堂々としている。温情を見せていた周彦の怒りが限界に達し、額に青筋が浮かんだ。


「貴様、舐めているのか! 貴様のような責任感の欠片もないやからは見たことがない」

「しかし、東京に出てきて目にしたどんな別嬪さんよりも、プル子が一番美しいの」

「貴様! 聞いているのか!」


 申し開きが終わった途端、武威は再びプルヴィアに目が向き、その手を握った。

 新人に褒めちぎられ、一方では同僚が激怒し、叫び散らしている。あまりにも対極的な状況に、板挟みのプルヴィアは目が回りそうだった。


「プル子は異国の娘に見えるが少し違う。ナは異世界の娘じゃな?」

「えっ?」

「貴様、どうしてそれを」


 思いがけぬ武威の発言は、プルヴィアを吃驚きっきょうさせ、怒り心頭だった周彦にも一瞬で冷水を浴びせかけた。プルヴィアの容姿を見て、西洋系の外国人という印象を抱くのが普通だが、武威は異国の娘ではなく、異世界の娘と称した。異なる国ではなく、異なる世界から来た人間だと見抜いたのだ。


「事前に藤田様からお話しを?」

「別に何も聞いてないべ。ワが今、そう思っただけじゃ。プル子からは異世界特有の気配や匂いが感じられたのでの。思えば、だから待ち合わせ相手と知らずとも、ナに引き寄せられたのかもしれんな」

「あなたは一体?」

「まあ、立ち話もなんじゃし、さっさとナどの城さ案内してけろ。詳しくはそこでじゃ」

「それが案内してもらう者の態度か……まあいい、俺について来い」


 飄々としたいけ好かない男だが、只者でないことだけは間違いない。要望に応じて周彦は、町はずれにある黎明警衛隊の拠点に武威を案内することにした。疑問は山ほどある。同意するのは不本意だが武威の言う通り、立ち話で済ませられる内容ではない。

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