黎明警衛隊・明治魔獣討伐録

湖城マコト

第1話 斎藤一

 明治三年八月。斗南藩となみはんは奇怪な事件に見舞われていた。

 霊場として有名な恐山おそれざんへと向かう途中、行方不明となる者が多発したのだ。野生動物による被害も疑われたが、遺体や血痕などの痕跡は見当たらず、野盗による追いはぎや誘拐など、人的被害の可能性も疑われた。


「人でも獣でもねえ。ありゃあ、地獄からやってきた牛頭鬼ごずきじゃ」


 行方不明者の捜索隊として山に入っていた男性によって、思いがけぬ下手人の存在が明らかとなる。慌てて山を駆け下りた男性は顔面蒼白となりながら、目撃した世にも恐ろしい光景について証言した。


 捜索中、一緒に山へと入った仲間の一人が短い悲鳴を上げた。その姿は巨大な影に体を引き摺られていき、捜索隊は慌ててその後を追う。木々が開けた一角で捜索隊が目撃したのは、引き摺ってきた男性の首に両刃の斧を振り下ろす、筋骨隆々の人間の体に、牛の頭を持った異形の怪物であった。


 頭部は被り物などではなく、正真正銘の牛の頭が人間の体から生えており、体躯たいくは大男二人分はあろうかという巨漢。その姿は地獄にいるという極卒ごくそつ牛頭馬頭ごずめずの一角、牛頭鬼を彷彿とさせた。


 この怪物が下手人だと誰もが悟った。斧で首を刎ねられた男性の親族が怒りに任せてなたで斬りかかったが、刃を振り下ろす間もなく、頭部を大きな右手で掴まれ、そのまま握り潰されてしまう。


 圧倒的な暴力を前に力の差を悟った捜索隊は恐慌きょうこうに陥り、我先にと逃げ出した。しかし、怪物はそれを許さず、断末魔の悲鳴と共に、一人、また一人と姿を消していく。お互いの居場所も分からぬまま、捜索隊は山の中で散り散りとなってしまった。

 

 結局、十人いた捜索隊の中で無事に下山を果たせたのは、牛頭鬼との遭遇を報告した男性ただ一人だけであった。


「承知。牛頭鬼討伐に全力を尽くしましょう」


 牛頭鬼討伐の命を受けたのは、会津あいづ藩主、松平まつだいら容保かたもりと共に下北半島へと渡り、新たに設けられた斗南藩の藩士となっていた元新選組三番隊組長、斎藤さいとうはじめであった。


「成程、この世のものとは思えぬ異形だな」


 捜索隊が牛頭鬼と遭遇した場所は縄張りだったようで、翌日も付近にその姿を認めることが出来た。道案内は早々に下がらせ、斎藤は刀を手に一人で牛頭鬼へと近づく。


 斎藤の気配を感じた牛頭鬼が鼻息荒く振り返る。その背後には洞窟が口を開けており、中へと続く、体を引き摺られたような血痕が見て取れた。犠牲者たちは皆、あの洞窟の中にいるのだろう。


 唸り声を上げた牛頭鬼が両刃の斧で斎藤へと迫る。大振りな一撃を斎藤は姿勢を低くし回避、周りの木々が数本両断された。一撃が強烈だがその分、隙も大きい。当たりさえしなければ十分に渡り合えると斎藤は確信した。そのまま牛頭鬼の側面へと回り込み、右足の脛目掛けて抜刀した。どんなに強靱な肉体を持った異形の怪物であったとしても、自身の剣技ならば切り落とせる自信があった。


「何だ? この感触は」


 確実に右足を切り落とせる威力で放ったのに、刀身は牛頭鬼の肌に薄く食い込んだだけでそれ以上切り進めることが出来なかった。骨で勢いが止まるならまだ分かる。だが薄皮一枚で刃が止まることなど、異形とはいえ生き物の姿からは想像がつかない。まるで何層にも重なった板に勢いを消されてしまったかのようだ。


 刃が食い込み一瞬、斎藤の動きが鈍ったことを見逃さず、牛頭鬼が斧を振り上げた。影が斎藤の頭上から迫って来る。


「普通の刀じゃ魔獣まじゅうには通用せんぞ」


 声変わり前の少年の声が聞こえ、同時にまったく異なる印象の巨大な鈍器が遠方から投擲とうてきされ、牛頭鬼の頭部を直撃した。よろけた牛頭鬼はそのまま倒れ込み、衝撃で脛に食い込んでいた斎藤の刀も抜けた。牛頭鬼に当たった鈍器は弧を描いて斎藤の近くに落下、それを小柄な人影が拾い上げる。


「危ないところだったべ。お侍さん」


 元服げんぷく前の、まだあどけなさの残る姿がそこにはあった。灰色の甚平じんべい姿に無造作に伸びた白髪を持つ、どこか浮世離れした印象の紅顔の美少年が、場に不釣り合いな快活な笑みを浮かべている。


「今の投擲。もしや君が?」

「そうじゃ。ワは怪力自慢での」


 投擲された鈍器は、巨大な鉄塊てっかいに柄を取り付けただけの粗末な形状で、少年の身の丈を超す大きさを誇った。それをこの少年が投擲したというのは俄かに信じがたいが、年齢や顔立ちの印象とは異なり、体つきは筋骨隆々でたくましい。この体格ならば子供でも、体の捻りも上手く使えば、強烈な投擲を放つことは決して不可能ではない。


「流石のワも、あの魔獣は一人じゃ手に余る。お侍さんにも協力してもらうべ」


 友人と戯れるかような人好きする笑みを浮かべ、少年は携帯していた刀を斎藤へと手渡した。


「この刀は?」

「亡くなった親父の形見で、讐満帯刀アダマンタイトウという特殊な素材で出来た刀じゃ。こいつなら普通の刀のように魔獣も斬れるべ。ちなみにワが投げつけた鉄塊も同じ素材じゃ」


 重さや質感は一般的な刀とほとんど変わらないが、その刀身は独特な気をまとい、握った柄にまで鋭利さが伝わるようだった。一方で妖刀のような禍々しさは感じられない。何とも不思議な感覚だった。


「疑問は山ほどあるが、君に窮地を救われたのは事実だ。その言葉を信じよう」


 少年が何者なのか。異形の怪物の正体とは何なのか。疑問を尽きぬが戦いの中ではそんなことは些末な問題だ。目の前に強大な敵がいて、それを倒す術があるのなら、今は討伐に全力を尽くすのみ。


「お侍さんは片足でも切り落として怪物の動きを止めてくれじゃ。そこをワがこの鉄塊で頭を叩き潰す」

「そう控えめなことを言うな、少年」


 讐満帯刀製の刀を腰に差した斎藤が少年の一歩前へと出る。視線の先では体勢を立て直した牛頭鬼が鼻息を荒げ、両手持ちした斧を構え猛牛の如く突進してきた。


「貰うなら両足だ」


 刹那せつな、俊足で駆けた斎藤が牛頭鬼と交錯。斧の振りを最小限の動きで回避し、すれ違い様に抜刀、両足を狙う。抜いた瞬間に斎藤は確信した。今度は斬れる。


 刃が肉に食い込み、勢いを削がれることなく進んでいく。骨の硬度もものともせず、ついには脛の位置で完全に切断した。切り離された脛から上は勢いづいたまま大地に伏し、僅かに前進。少年の目の前でこうべを垂れた。


「始めって振るった讐満帯刀で両足を持っていくとは。やるべ、お侍さん」


 牛頭鬼が顔を上げた瞬間には、不敵な笑みを浮かべた少年がすでに巨大な鉄塊を振り上げていた。


「これで終いじゃ」


 容赦なく振り下ろされた鉄塊が牛頭鬼の頭部を粉砕。原型を留めず粉々となった。


「助かったべお侍さん。魔獣を倒すには頭を潰すのが一番なんじゃが、ワの身長じゃなかなか狙いにくくての」


 血や脳漿のうしょうが付着した鉄塊を振り回し、血払いをする少年の目の前では、世に奇妙な現象が発生していた。頭部を潰され息絶えた牛頭鬼のむくろが突然、消し炭のようになり、空気中に霧散し消滅していったのだ。


「何が起きた? 骸が一瞬で消滅したぞ」


「始めて見るなら驚くのも無理ないべ。生き物というのは死ぬと腐って土へと還っていくものじゃが、こいつらはこの世の摂理から外れとるから、死んだらこうして不自然な形で消滅するんじゃ」


「この怪物は何だ? まさか本当に地獄からやってきた牛頭鬼か何か?」


「確かに牛頭鬼としか言いようのない姿じゃが、こいつは牛頭鬼ではなくミノタウロスと呼ばれる魔獣じゃ。地獄が存在するかはワにも分からんが、少なくともワらが住んでる世界とは異なる異世界は存在しとる。こいつはその異世界からやってきた魔獣じゃよ」


「……異世界の魔獣」


 奇天烈な話ではあるが、その姿も、骸の顛末も、この世界に存在するどの生き物とも異なる。実際に遭遇した以上、そういう存在なのだと受け入れる他なかった。


「君は一体何者なんだ?」

「ワは伽羅木からき武威むい。親父の代から異世界の魔獣を狩っとる者じゃ。この辺りはワの生まれ故郷での。奇妙な事件が起きてると小耳に挟んで、帰郷してみたら案の定だったべ。本来こういった霊山に魔獣は寄り付かんはずなんじゃが、偶然ここに迷い込んでしまったんだべか」


 肩をすくめてみせると、やることの終わった武威は鉄塊に布を巻き、早くも帰り支度を始めた。


「待ってくれ、君には色々と聞きたいことが」

「悪いが先を急ぐんじゃ。最近は魔獣共の動きが活発化してての。これから北海道へ渡らんといかん。お侍さんも気をつけ。今回みたいなことがまた起こらないとも限らんからな」

「急ぐというのなら、止めるわけにはいかんな」


 伽羅木武威なくして、牛頭鬼改めミノタウロス討伐は叶わなかった。無理に引き留めず行かせてやるのもまた恩義と、斎藤は割り切った。


「讐満帯刀だったか。刀を返す」


 斎藤は仮り物の刀を武威に返そうとしたが、武威はすぐにそれを突っぱねた。


「ここで会ったのも何かの縁じゃ。これはそのままお侍さんが持ってるべ。ワは剣術はからっきしで、正直こいつは宝の持ち腐れじゃ。ワにはこの鉄塊さえあれば十分」

「しかしこれは、君のお父上の形見でもあるのだろう。私が譲り受けるわけにはいかない」

「武器は使ってこそなんぼじゃ。お侍さんの手元にあった方が有意義じゃろ。もしまた今回のようなことがあれば、そいつで誰かを助けてやってくれ」


 斎藤の手に刀をしっかりと握らせると、武威はきびすを返して歩き出した。


「それじゃあ、ワは行く。さいならな、お侍さん」

「私の名前は斎藤一だ。伽羅木武威。またどこかで会えるか?」

「ワは魔獣を狩り続けるだけじゃ。そういった出来事の中でなら、袖振り合うこともあるかもしれんの」


 豪快に笑うと、伽羅木武威の後ろ姿は消えていった。

 

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