028.気をつけることは
「おかえりぃ! お兄ちゃん!!」
扉を開けると視界いっぱいに広がるのは彼女の姿だった。
白色の布地にモコモコの綿、ところどころ入っているピンクのラインがまるで鳥のように迫ってくる。
それはまさしく、手を大にして空を駆けるようだった。
地面から足が浮き、軽い身体を活かしてまさに天井知らずというような浮遊感。
しかし彼女は人間。決して魔法使いのように空を飛ぶことはない。
地面から浮いたものは等しく重力に引っ張られていずれ地面へと。
まさに弧を描くような軌道を描いた彼女は受け身を取る気配すら見せずに手を広げたままこちらに飛び込んできた。
「うぉっ……!とと……。 危ないだろ、ずいちゃん。俺が受け止めてなかったら頭から落ちてたよ」
「えへへ~。 でもお兄ちゃんは受け止めてくれるよね?」
「そりゃあそうだけど……」
「ならいいじゃんっ! おかえり!お兄ちゃん!」
悪びれる気配すら見せないのは、ひとえに俺のことを信頼してくれているからだろう。
まったく……そんな事言われたら責めることすらできないじゃないか。
彼女の頭を一撫でし、足を地面につけさせながら向き合うと「にへへ~」と笑顔を見せつけてくる。
「ただいま。 もしかして、ずっと待ってくれてたとか?」
「ううん。 んっとね、外から美汐ちゃんの声が聞こえたからそろそろお兄ちゃんも帰ってくるかな~って」
そういえばずいちゃんは俺が彼女と出かけた事を知ってたっけ。
口元に人差し指を当てながら告げる様は名探偵のよう。まさしくそのとおりだ。
「そっか。 でも湯冷めするかもだから気をつけなよ? ほら、ドア閉めるからちょっと離れて」
きっと俺が帰ってくる前にお風呂入ったのだろう。
服は寝間着だし、髪もほんのり濡れて抱きつく身体はいつもより温かい。
湯冷めするからちゃんと乾かして……って、あ。そういえばウチにドライヤーって無かったっけ。近いうち買ってこなきゃ。
そんな事を考えながら開いている扉を閉める為彼女を少し離してドアノブに手をかける。
――――っ!! さっむぅ!!
やっぱり冬の風は寒すぎる!突然部屋に吹いてきた風。ずいちゃんはもっと寒かっただろう。風邪引く前にさっさと閉めて暖まらなきゃ……。
「…………ん? あれ? これはぁ……」
「? ずいちゃん、どうしたの?」
しっかりと扉と一緒に鍵とチェーンもして、いざ暖まろうとコートを脱いで一歩足を踏み出したその時。
何故か彼女は俺の背中を引っ張ってきて、後ろから抱きついてくる。
……いや、抱きつくというより顔をうずめるという方が正しいかもしれない。
お腹に手を回して背中から伝わる感触は顔面を思い切り押し付けているよう。
「クンクン……クンクン……。 やっぱり。お兄ちゃん、女の人と一緒に居た?」
「えっ!?」
女の人と一緒に!?
いやそれは確かに……そうだけど……。
「まぁ、うん。 さっきまで美汐ちゃんと一緒に居たから……」
ずいちゃん自身も言っていた。「美汐ちゃんの声がしたから~」と。
そのニュアンスだと俺と一緒に居たと理解しているハズだが。それに許可も取ってると聞いていたが。
「ううん、美汐ちゃんはいいの。 他に何か……知らない女の人の匂いがスーツにベッタリと……」
「女の人って…………あっ――――」
そんなの知らない。
女の人だなんて他に心当たりは全然……。そう思ったが、1つの心当たりに行き着くと同時に彼女が迫ってくる。
「――――!! 誰!?お兄ちゃんは誰と居たの!?」
「ちょっ! 近い近い!!」
グルンと俺を回転させてネクタイに手をかけつつ問う様はまるで尋問するかのよう。
怒ってる……というよりなんだか必死な様子の彼女をなだめつつ、顔と顔とがすぐ目の前にあった状況をなんとか正させる。
「女の人って言ってもあれだよ。 会社の人。新人で、教育係になったからその人かも」
「新人の……。 お兄ちゃん、その人って可愛い?」
「えっ? まぁ……そこそこじゃないかな?」
ホントは凄く可愛かったが、そんな事今の状況で口が裂けても言えやしない。
報告が大事だといつか言った気がしたがそんなもの時と場合で使い分けるのが大人のやり口。
目が揺れ動くのを感じながらなんとか彼女と目を合わせると、その柔らかそうな頬がまるでお餅のように膨らんでいき怒りを露わにしてくる。
「む~~! お兄ちゃん!」
「なっ……なにかな……?」
「お兄ちゃんは気をつけなきゃダメ!」
「気をつけるって?なにを?」
「何でも! お兄ちゃんは絶対モテるんだから、気をつけなきゃダメなの!!」
俺が……モテる?
何言ってるのだろうこの妹分は。
俺がモテるのであればとっくに。学生時代に彼女ができたはずだ。
なのにいなかったというのは、告白すら無かったのはモテやしないという証左に他ならない。
まさに見当違いの怒り方をしている彼女に、俺は優しく微笑んでその頭を撫でる。
「わかった。 気をつけるよ」
「ホントぉ……?」
「ホントホント。 だからずいちゃんの心配するようなことは何もないよ」
そもそもモテるからといって何を気をつければいいかすらわからないが、前提からして違うしまぁ大丈夫だ。
きっと、ずいちゃんは俺がモテてそっちにかかりきりになり、彼女への対応がおざなりになることを恐れているのだろう。
高校生になったとはいえ、まだ甘えん坊みたいだな。
「むぅ……。 お兄ちゃん、何かあったらあたしを頼ってね……?」
「もちろん頼りにしてるよ。 頼りにしすぎて、もうずいちゃんのご飯じゃないと生きていけないくらい」
「ホント!? 今日ご飯は食べる!?お兄ちゃん食べるかわかんないからカレーにしてみたんだけど……」
「お、いいねカレー。 大好きだよ」
彼女が来てまだ3日。もう3日。
コンビニ弁当で構成されていた俺の身体は、もうずいちゃんの食事じゃないとダメになっていた。
ずいちゃんも許してくれたみたいだし、お腹すいた。カレーって聞くと更にお腹すいた。
「ホント!? あたしもまだだから一緒に食べよ!」
「うん。 その前にその服、どうにかしなよ? 真っ白だから跳ねちゃうと大変」
「は~いっ! エプロン持ってくるね~!」
彼女が先に奥へ向かうのを見送ってから、俺も後を追っていく。
もちろん彼女が作ってくれたカレーは絶品と評するに値するほど美味であった。
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暗い部屋の一室。
女性はベッドに転がり、抱き枕を抱えていた。
ゴロゴロ、ゴロゴロと。キングサイズベッドの端から端までを行ったり来たりして逸る心のままに動く。
それは数年ぶりの人物と対面したから。ずっと憧れだった彼と、ようやく一緒になあれたから。
「先輩……先輩……先輩……」
彼女の声は暗闇に溶け、消えていく。
声は誰にも届かない。先輩にも、自らの心にも。
「先輩……やっと会えました……やっと…………」
女性にとってそれは長年待ち望んだ夢にも等しい出来事。
まるで一生分かと思うほど長い長い一人だった期間から開放された、始まりの日。
自らレールを外れた後悔はない。
コレが明日からほぼ毎日続くのだ。女性にとって幸せ以外の何者でも無いだろう。
「先輩……絶対私が、迎えに行きますからね――――」
彼女がベッドの端から腕をダランと垂らしたタイミングで手のひらから何かがこぼれ落ちる。
それは一冊の冊子。その表紙に写るスーツ姿の人物の中に一人、笑顔を浮かべる純人が写っていた――――。
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