005.2人の距離


「それじゃあ……えっと……。お邪魔……します」

「…………いらっしゃい」


 外界はシンと静まり返り夜も更けてきた、とある冬の入り口。

 俺もそれに合わせるようエアコンとライトを消し、真っ暗な状態で腕を持ち上げる。


 すぐ近くから聞こえてくるのはベッドからほど近い場所で立っているずいちゃんのオズオズとした声。

 それはさっきまではつらつといった印象が嘘かのように控えめなものとなり、ごくんと生唾を飲んだあと辛うじて見える彼女の輪郭が動き出した。


 ギシッ……とベッドのきしむ音の後に聞こえてくるのは掛け布団を弄っているのか真横から聞こえる衣擦れの音。

 自らの場所を把握しているのか何度かの小さな掛け声の後に落ち着いたその身体が俺の真隣に寝転んでくる気配が感じられる。


「お兄ちゃん……そこにいる……?」

「お、おぉ……」

「えへへ……そっか」


 そう小さくはにかむ声が聞こえるも、表情までは見受けられない。


 あれから結局『2人で一緒のベッドで寝る』との結論に至った俺たちは、もういい時間だということで早速眠る準備に取り掛かった。

 取り掛かるといってもお風呂やご飯など主だったもの既に終えていてやることといえば歯を磨くくらい。既に彼女用の歯ブラシが置かれていたことに驚きはしたが何事もなく終え、お互いに1つのベッドへ。


 繰り返しになるが一人暮らしだった我が家のベッドはシングルサイズ。毛布も枕もそれ相応のサイズで、2人で眠ると手狭というのは火を見るより明らか。

 一応邪魔しないよう端っこに位置してるものの、一人用枕のサイズはたかが知れている。つまり暗くて輪郭程度しか見えなくても彼女の顔がすぐ近くにあることはすぐに分かった。


「…………」

「…………」


 彼女がはにかんでからはお互いに無言になり、微妙な空気が流れている。

 さっきまでずいちゃんを迎え入れるために身体を内側に向けているせいで、今も暗闇の中俺は彼女の方を向いている。

 一方相手はどちらを向いているかはわからないが、きっと同じく内側を向いているだろう。

 つまりお互い枕の端と端に頭を置いて向き合っている、そんな状況。掛ける言葉すら見つからない俺はただ黙って生唾を飲む。


 以前ならば、実家を出る前ならずいちゃんと寝るとなってもここまで緊張するなんてことはなかっただろう。きっと今の状況でも冗談を言って笑い合ってうるさいと母さんに怒られる。そんな感じだったはずだ。

 しかし何故か今になって緊張する。それはしばらく会っていなかったブランクか…………いいや、きっと違う。おそらく彼女があの時よりずっと魅力的に、可愛らしく成長したからだ。


 それはずいちゃんを妹ではなく異性として見ているからなのか――――。ダメだ。それはダメだと思考を振り払う。

 もし、仮に異性として見ていると仮定しても俺たちの間には長い長い月日の壁がある。

 8年。それが俺と彼女の間にある壁だ。それほど違えば世代も違う。価値観だって違ってくるだろう。だからそんなことはありえない。

 それに、まだ再開して数時間しか経っていない。容姿1つで彼女への思いが揺らいでると知れば確実に幻滅されることだろう。


 だから、こういう時はサッサと寝てしまうに限る。

 きっと仕事終わりで疲れてるんだ。寝て一晩すれば頭もスッキリ冷静になっているだろう。明日は家具買わなきゃだし、もう寝ないと。

 そう結論づけて俺は瞼を閉じようとする。しかしその直前、ようやく目になれた俺の視界に彼女の真っ直ぐな視線が入ってきた。


「ねぇ、お兄ちゃん」

「……ん?」

「あたしが頼んで何だけどさ、お兄ちゃんはこんな事してていいの?」

「…………? と、いうと?」


 こんな事……というと知らない人が見たら犯罪認定されかねない今の状況の事を言っているのだろうか。

 『あたしと一緒のベッドに入って、逮捕されてもいいの?』的な?……いや、さすがにずいちゃんに限ってそんなニュアンスはないと信じたい。


「……ううん、押しかけたとはいえ、あたしなんかと一緒に寝ちゃって……彼女さん怒ったりしない?」

「あぁ、なんだ。彼女ね……。 かの…………彼女!?」


 ほんの少し夢の世界に旅立っていたから理解するのに数瞬かかってしまった。

 その小さな口から飛び出してきたのは『彼女』というありえない言葉。

 都市伝説どころか幻の言葉に瞑っていた瞳が思わず見開いてしまう。


「うん……。怒ら……ないの?」

「いや……」


 目を開いて見えた彼女の頭は、枕に乗っていなかった。

 ベッドの端。落ちるか落ちないかの瀬戸際で横になっている姿は今すぐにでも飛び出そうというほど。

 不安げな、恐怖も混じっているような視線を受け止めながら俺はありえないことを説明する。


「恥ずかしい……というか、みっともないと思われるかもだけど、実家出てからそういう存在に巡り合ったことはないよ」

「ホント……?ホントにホント? あたしに遠慮して隠してない?」

「隠すもなにも、居ないもんはいないんだし……。アレならスマホ見る?」


 スマホに見られて困るものは……多少ってとこだろう。

 少なくとも見られるであろうメッセージの辺りでは何ら困るものなんて無い。むしろプライベートのメッセージがなさすぎて哀れみの視線を向けられるかも。


「ううん、いい。 お兄ちゃんを信じる。ごめんね変なこと聞いて」

「いや……」


 きっと恋人がいた場合、その相手に変な誤解を与えないようと思ったのだろう。

 多分俺に恋人がいてもそこまで頭が回らなかったかもしれない。随分と気が利くいい子だ。


 俺の言葉を信じてくれた彼女はもう一度身体を動かしつつ頭を枕の上に。

 距離にして数十センチ程度。すぐ近くで見つめ合うのがまた始まるのかと思いきや、今度は目の前の頭が宙に浮き始める。


「お兄ちゃん、ついでにもう一個お願い聞いてもらっていい?」

「いいけど、どうしたの?」

「大したこと無いんだけどね、左腕を肩の上に上げて欲しいなって」

「…………こう?」


 左腕というと、横を向いている身体に潰されてる腕のほうか。

 モゾモゾと身体を動かしながらずいちゃんに触れないようそっと持ち上げた腕は、まるで挙手するような形。頭上のベッドフレームに肘がぶつかって曲がるせいで随分と不格好だが。


「それを……こうっ! お兄ちゃん、辛くなぁい?」

「平気だけど、これは……」

「えへへ……腕枕だよ。 こうやって寝てみたかったの」


 宙ぶらりんな左手を取った彼女は、そのまま宙に浮いていた頭の下へ。

 それはまさしく腕枕だった。腕に耳を当て、手を触れさせ、その笑顔がこちらを見つめてくる。


「そっ……そっか……。大丈夫?固いし辛くない?」

「全然。むしろ安心するよ。 ありがとね、お兄ちゃん」


 初めての腕枕に戸惑っていると今度は頬ずりまで。

 まさに付き合っている彼女のような所業に思わず抱きしめたくなったが、通報されるのが目に見えているのを思い出してグッと手前で押し止める。


「ありがとぉ……おにいちゃん……。 だぁいすき…………」


 それからの彼女は早かった。

 目を細めて頬ずりを続けていたと思いきや、段々とそのスピードが落ち、掴まれている手の力が弱まるや聞こえてくる穏やかな息遣い。

 まさに一分程度の早業。その速度に驚きもしたが、ここまで新幹線で来て掃除までしてくれたことを思い出して納得する。きっと、かなり疲れていたのだろう。それをおくびにも出さず、今までずっと笑顔で……。


「ずいちゃん、ありがと。 おやすみ」


 空いた手でふれるは彼女のサラサラとした髪。そのいくつかを漉き、小さく言葉を紡ぐ。

 すると穏やかに笑いながら眠っていた彼女の表情が、より一層輝く笑顔に代わったような気がした――――。

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