006.少女の行う大掃除


「ここが……お兄ちゃんのお部屋…………」


 それはお兄ちゃんが帰ってくる前、金曜日の日中。

 あたしはおばさまから聞いていたとあるアパートの部屋の前へとたどり着き、その扉を見上げていた。


 よくある普通の、一人暮らし乃至二人暮らしができるアパートの扉。

 ガラガラとキャリーケースを転がしてきたあたしはそっとドアノブに手を触れ、ゆっくりと捻ってみる。


「ふむふむ……ちゃんと鍵は閉まってるっと。偉い偉い、ちゃんと防犯意識もしっかりしてるねっ!」


 案の定というか当然というか、やはり鍵はしっかり閉められていた。

 ただソレだけのことなのに今の私はテンションが上がりに上がっていてついついそんなことでも笑みがこぼれてしまう。

 それじゃあ窓はどうだろうと、一旦扉から離れて確認してみるもしっかりと柵が設置されていて入ることは不可能。これじゃあ早くに来ても部屋に入ることができない。……しかし、私にはとある秘策があった。


「ふっふっふ……お兄ちゃん、これだけで私を退散させられるとは思っちゃだめだよっ! おばさま、早速使わせてもらうね」


 ガサゴソとポケットから取り出したのは、シンプルなキーホルダーが取り付けられたただ1つの鍵。

 これこそが私の秘策であるお兄ちゃんの鍵。来る前におばさまから貰ってきたもの。




 今日、11月25日はあたしの誕生日前日。もう明日には16歳になる。

 あたしは法的にも結婚できるようになるこの時を狙って、1日フライングだけれどお兄ちゃんの元へと突撃しに都会までやってきていた。


 半年以上かかった、今日に至るまでの計画。

 道中色々な困難があったけど、なんとかすべてを乗り越え今日という日を迎えることができた。

 一番大変だったのは……転校関係かな。今日からお兄ちゃんと一緒に暮らすため、相当頑張った。たくさん頑張った。

 事前におばさまからお兄ちゃんに伝えてるようだけど、ちょっと早めの到着。きっと帰ってきて部屋がキレイになってたら驚いて、喜んでくれるんだろうなぁ。




「………………」


 あたしは念願のお兄ちゃんの部屋にたどり着き、鍵をそぉっと開け、ドアノブを回そうとして…………回らなかった。

 決して鍵が合ってないわけでも扉が壊れているわけでもなんでもない。ただあたしの心が扉を空けるのを怖がっているのだ。


 もしお兄ちゃんが部屋に居たらどうしよう。

 11月という寒くなってきた日。もし風邪でも引いて寝込んでたら。

 もしあたしやおばさまの知らないところで作った彼女に風邪の看病をされていたら。

 もし…………もしその彼女と情事中だったらどうしようと。嫌な想像ばかりが頭の中を駆け巡ってその手が動くことを止めていた。


「大丈夫、お兄ちゃんは変わらない。 お兄ちゃんは今もあたしのことを待っててくれてる」


 自ら言い聞かせるようにつぶやきながら今度こそ腕に力を込めて音を立てないようそぉっと鉄製の扉を開けていく。

 キィィィ……と扉の音をも極力立てないよう気を配りながら覗いたそこは、太陽の光も届かない真っ暗な部屋だった。

 玄関から見える範囲、ダイニングには誰もいない。まるで忍者のようにつま先立ちでダイニングを通って繋がる2つの部屋を覗き見るも、誰も居なかった。

 よかった。お兄ちゃんはちゃんと仕事に行ってる。少なくともこの部屋には居ないみたい。


「ほっ……。 でもお兄ちゃん、せめてカーテンは開けないと。カビ生えちゃうよっと!」


 シャアッ!と勢いよくレールが滑り、部屋中へと光が取り込まれる。

 それと同時に露わになる部屋の状況。なんだか歪なソレに私は気づかず、思わず首を捻ってみる。


「何だろ……なんだか違和感が……」


 明るい室内を見渡して私はもう一度部屋を歩きまわってみる。

 ベッドのある寝室、物がそこそこ乱雑に置かれた物置部屋のようなもの、そして毎日食事をしているであろうダイニング。

 一応掃除は最低限程度しているみたいで致命的に汚いわけではなかったが、それでも汚れている部分はチラホラあった。


 特に感じたのは電子レンジ。よく使っているのか油汚れが付着してるのがわかる。

 でもソレじゃない。まだなにか別の違和感が…………


「あっ……キッチン」


 部屋を2周ほど回ったところでようやくその正体に気づく事ができた。

 やけにキッチンがキレイだ。キレイ好きのママでさえ舌を巻くほどに。

 よくよく見ればシンクこそ使用形跡はあるものの、コンロや調理台に指を通すと白や灰色が指先にべったりと。

 間違いない。これは……」


「もしかしてお兄ちゃん、引っ越してから全然自炊してない……?」


 その事実は驚きと同時に、心の奥底で1つの安堵をも感じてしまった。

 確かにお兄ちゃんと一緒にいた時も料理している姿は見たことなかった。でもまさか、一人暮らし始めてもだなんて……。

 でもこれは一種のチャンスだ。もしお兄ちゃんにあたしの料理を美味しいって言ってもらえれば、その胃袋を掴むことができたなら、こんな私でも役に立つ事はできるよね。


「………よぉしっ! まずはお掃除からだねっ!!」


 キャリーケースから念の為に持ってきた雑巾を取り出したあたしは腕まくりをして掃除に取り掛かる。

 そうだ。そのままお夕飯も作っちゃおう。きっとスーパーのお弁当ばかりだろうし、お野菜もいっぱい摂らないと。


 えへへ……ピカピカになった部屋とあったかいご飯を見て、喜んでくれると……いいな。



 ―――――――――――――――――

 ―――――――――――

 ―――――――



「ふぅ……終わったぁ」


 汗を拭ったあたしは、戦いの終えたその光景を見て息を吐く。

 たかが掃除、されど掃除。あたしのお掃除は気づけば3時間も格闘しちゃってた。

 最初はキッチン周りだけだったのに偶然目についた窓のカビに取り掛かり、そこから来たときも気になったレンジや果てにはお風呂まで。

 すっごい頑張ったけど、それに見合うだけの成果はあった気がする。ピカピカになった部屋を見渡してあたしはフラフラとベッドに腰を下ろす。


「疲っれたぁ~!」


 ちょっとだけ気乗りしちゃったとはいえ、運動のあまり得意でないあたしにとって3時間の大掃除はかなりの重労働だった。

 おまけに自分で送ったとはいえタンスまで来ちゃうし、一人で運ぶの大変だったよ。

 でも、これでお兄ちゃんの部屋がキレイになったと思えば悔いなんてない。むしろお兄ちゃんの生活の一端に触れた気がして本当に楽しかった。


「でも……もうちょっと……ご飯まで時間あるよね……ちょっと休憩……」


 バタンと倒れ込むようにお兄ちゃんにベッドに倒れ込んだあたしは枕へと顔を埋める。


「あぁ……お兄ちゃんの香りだぁ……えへへ……変わらないなぁ……この匂い」


 きっと長年使っている、その枕からとめどなく溢れ出るお兄ちゃんの香り。

 昔からその後姿を追っていって度々堪能していた大好きな香り。今はもう、数年ぶりにその香りを独り占めして堪能できてる。その事実だけで疲れが吹き飛ぶのと同時に心地よい眠気があたしを襲ってくる。


「ぁっ……お兄ちゃん、あたしが一人で来たって知ったら心配するよね……」


 いっつもあたしを心配してくれたお兄ちゃんのことだ。いくら成長したとはいえ一人で来たなんて知られたら心配するに決まってる。

 ここは心苦しいけど、口裏合わせた上ででママと一緒に来たって言うしか……。


「ママに……ママに連絡しないと…………」


 しかしスマホに手を伸ばしたものの取り出すには至らず、眠りに負けて落ちていくは夢の世界。

 次に目が覚めるのはお兄ちゃんが帰ってくるであろう逢魔が時。その事実に気づいたあたしは大慌てでママに連絡し、夕ごはんのための買い物に全力疾走するのであった。

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