003.覚悟


「この部屋で……一緒に暮らす……!?」


 突然告げた彼女の言葉は信じられないものだった。


 一緒に暮らすとは、ひとつ屋根の下で寝食をともにすること。

 そんなどこかの辞典にでも載ってあるような事はどうでもいい。問題は言った相手だ。


 彼女はまだ16歳。しかも女の子。いくらなんでも成人した男相手の部屋で住まうのは問題だろう。

 しかし見上げた彼女は冗談であるような素振りは一切見せず、自信満々の顔でこちらを見ている。


「うんっ! あたしも近くの高校に通うことになったからねっ!だからお兄ちゃんと一緒に暮らすの!」

「………………」


 もはや理解が及ばなくなってしまって頭を抱える。

 蜘蛛の糸に縋る気持ちで聞き間違いであることに賭けたが、負けてしまったようだ。

 聞き間違いや言い間違いではなく、間違いなくここに住むと。このちっちゃい娘は一人でそう言ったのだ。


「…………とりあえず、頭から聞かせてもらえる?」

「わかった!でもちょっとまってね。その前にお皿を浸けておきたいから」


 確かに、あまり汚れたまま置いておくとこびりついて落ちにくくなる。そのテキパキと働いてくれる姿はまるでできたお嫁さんのよう。

 新しく買ったらしい洗い桶に皿をすべて入れ込んだ彼女は「よしっ!」と声を上げて部屋の奥にある寝室。そこに鎮座するベッドへと腰を下ろす。


「テーブルは一人しか座れないし、こっちでお話しよっ! ほら、お兄ちゃんも!」


 ポンポンと叩くはベッドに座った自らの横。

 たしかに、食事用に用意したテーブルは一人用。2人で会話するには少々難がある。……仕方ない。


「こんな感じ?」

「そうそう! ……えへへ~。久しぶりにお兄ちゃんが隣だ~!一緒にゲームしたこと思い出すね~!」


 今はベッドに座ればキッチンや玄関が目に入るが、実家ではモニターが目の前にあった。

 二人してベッドに座り、対戦ゲームだったり協力ゲームだったり、色々な事をした記憶が蘇る。

 あのときもこうして、2人肩を並べて様々なゲームを…………


「ねぇ、ずいちゃん」

「ん~?」

「さすがにあの時はこれはしてなかったと思うけど?」

「え~? やったよ~!忘れちゃったの~?」


 気づけば、彼女は膝に乗って胸元に寄りかかってきていた。

 確かにやってないと言ったが、古くまで記憶をたどればその限りではない。

 けれどもそれは小学低学年とかそのくらいだ。高学年に上がってからはこういうこととは無縁だっただろう。


「覚えてるけど、それはまだずいちゃんが小さかったから―――――」

「ほらほら! お兄ちゃん色々聞きたいんじゃないの!? 何から聞きたい!?」


 それ以上追求されるとマズイと思ったのか、太ももを叩いて仕切り直しだと言うように話を進行させる。


 …………。

 まいっか。たいして重くないし、決して口に出せないけどいい香りがするし。


「じゃあ、今日何で来たの? 付き添いは?」

「新幹線だよ。 ママが一緒に来てくれたけど、一緒に掃除してから夕方に帰っちゃった」

「ずいちゃんは一緒に帰らなかったの?」

「え?さっき一緒に暮らすって言ったじゃん。 ほら、そこに私の道具もちゃんと揃ってるし!」


 指差す先には食事直後に見えたタンスと、3~4日用のキャリーケースが。

 不思議に思ってたけど暮らす用だったのか……。


「タンスも新幹線で?」

「まっさかぁ! 事前に宅配で頼んで今日届けてもらったの!」


 まぁ優秀。計画的で引っ越し作業もしっかりしてる!………じゃなくって!!

 事前にってことは前から決まってたこと!?それにおばさんも関与してるって!?


「……とりあえずタンスは置いておくとして、なんで一人で俺の部屋に?高校卒業してから一人暮らしするとか、家族で越すとかなかったの?」

「うん……」


 とりあえず確信的なところがわからないと何もできないと悟った俺は、オブラートに包むこともせず真っ直ぐ彼女に問いかける。

 こういうのは回りくどい言い方だとはぐらかされたりするものだ。だったらストレートに聞いたほうが早い。


「あのね……あたし、小学校の頃からお兄ちゃんのことが大好きなの」

「へぇ!? …………うん。そっか。ありがとう」


 一瞬変な悲鳴が出てしまったが、なんとか取り繕って返事を返す。


「あたしだって追いかけたい所ずっと我慢してたんだよ!?でも高校に入った辺りから我慢できなくって、ママに訴えたらこの秋にようやく……!」

「そっか。我慢できなくなっちゃったか……。 って、ちょっとまって」

「?」


 さも当たり前の事を言ったような顔を、何故止められたのだろうと不思議な表情をしているが、色々とぶっ飛びすぎててどこから手を付ければいいかわからなくなってしまった。

 えっと、我慢してたのが高校で限界になって、おばさんに訴えたら今日ようやく来ることができたと。うん、さっぱりだ。


 自分ひとりの理解力じゃどうしようもならなくなった俺はポケットからスマホを取り出して連絡帳のアプリを開く。そうして見慣れた名前が出るまでスクロールして、その電話番号をタップする。


『…………はい?どうしたの?』

『あ、母さん? ずいちゃんのことなんだけどさ』

『あぁ瑞希ちゃん!どう?無事たどり着けた!?』

『着いてるけど……。 聞いたらここで暮らすって?なんで?』


 説明のため電話したのは母さん。その口ぶりから察するにこっちにくるのは知っていたようだ。


『なんでって、アンタがいつまで経っても迎えに来ないからよ』

『高校生だよ!?迎えに来るってなくない!?』

『アンタねぇ……あの子が中学では一切連絡よこさなかったじゃない。大変だったのよ。色々と』


 色々って何が大変なのか。

 チラリと目線を下げて彼女を見るとウンウンと強く頷いている。会話は聞こえてるみたいだ。


『ともかく! ウチも向こうの家もちゃんと話はついてるから、あの子を迎え入れてあげなさい』

『倫理的な問題は!?』

『そんなもんアンタが責任取ればいいだけでしょ~が!!』

『…………』


 軽く言ってくれるな……!普通に問題が山積みでしょうに!


『じゃあ母さん、全く教えてくれなかったのは?』

『そりゃあもちろん、ソッチのほうが面白いからよ』


 それだけを告げると次に聞こえるのはツー、ツーといった電子音。言いたいことだけ言われて切られた感……。

 どうも彼女が暮らすというのは嘘では無いらしい。まさか母さんたちが了承してるとは思いもしなかったが。


 ……仕方ない。ここで追い出したら行くとこなくて困るだろうし、かくなる上は――――


「ちょっと立つから、ずいちゃんごめんね」

「うん。ようやく理解してくれ…………って、どうしたのお兄ちゃん、またお出かけ? あたしも行くっ!」


 俺が立ち上がって一度脱いだコートを来たことを不思議に思ったのだろう。

 ピョンとベッドから飛び降りて自らも上着を取ろうとタンスに近づく彼女を手で制す。


「お兄ちゃん……?」

「ずいちゃんはここでゆっくりしてて。俺はどこかそこらのホテルで泊まってくるから」

「ぇ…………」


 かくなる上は、家は彼女に明け渡して俺はホテルに行くことだ。

 お金の問題がある以上、対処療法でしか無いがそれでも何かしらの案が浮かぶことだろう。今は俺もパニックになっているから、一人になれば妙案が浮かぶに違いない。

 そう思って彼女の横を通り過ぎようとしたところで、その腕が取られて引っ張られてしまう。


「ずいちゃん……」

「だめだよお兄ちゃんそんな事……。 出てくならあたしが出てく」

「それはダメ。ずいちゃんは色々危ないから俺が………」

「あたしはっ……!お兄ちゃんと離れたくないっ!!」

「っ――――!」


 彼女の言葉は一種の慟哭にも近いなにかだった。

 一瞬伏せた顔を浮かべて感情を抑えるように見せたそれは、抑えきれない悲しみ。その表情にたじろいでいると掴まれた手が両手で包み込まれる。


「……突然こんな事言ってごめんね。でも、あたしはイヤなの……もうお兄ちゃんと離れたくないの」

「…………」

「出ていけって言うのなら出ていくし、邪魔だって言うなら玄関で寝る。だから、あたしを――――」


 ――――捨てないで。

 きっと、最後はそう言いたかったのだろう。

 けれどその言葉を言わせまいと、俺の身体は勝手に動いてその頭に手を乗せていた。


「えっ…………」


 サラサラの、ダメージの1つさえ無いといえるほどの黒髪。

 俺は頭を優しく撫でつつポカンとしている彼女に頬を掻いてみせる。


「……明日、時間ある?」

「うん……あるけど……」

「ベッド、買いに行こうか。隣の部屋空けるから。だから…………」

「…………!」


 次の言葉が出る前に恥ずかしさが頂点に達して何も言えなくなってしまった。

 しかし真意は伝わったのだろう。目の端に涙を浮かべていた少女はポカンとした表情からたちまち笑顔に。そのまま俺の上へと抱きついてくる。


「うんっ!!」


 その笑顔を見せられちゃ剥がすこともできないと、もはや諦めた俺は彼女と一緒に部屋の奥へと戻っていく。

 それは、俺も一緒に暮らすことの覚悟を決めた瞬間だった――――。

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