兄弟 ⑧

 クリムは目を凝らし、カーマインらしきシルエットが目に映るや太陽の剣を振りかざす。

 そして地面に落ちる寸前、太陽の剣を振り抜く――――すると不思議なことが起きた。


 灼熱の熱波が飛び出たのは狙い通り。しかし同時に浮き上がるような奇妙な感覚があり、すとんと地面に降り立つ。


 どうして無事に降りられたのか、疑問でならない。カーマインも熱波に焼かれた様子はなく、クリムは頭が混乱した。


「太陽の剣を従えていたか。王の器と認められていたのだな」


 兄の言っていることも気になるが、その前に一言尋ねたく、彼は疑問を投げかける。

 

「熱は風じゃ防げないはずだ」

「ああ、砂嵐の剣にひびが入った」


 そう言われてもパっと見ただけでは分からない。クリムは眉を寄せる。真っすぐな兄だ、嘘は吐いていないだろう。今は信じるほかないと思った。

 

「それは良かった。じゃあもう僕の勝ちってことでいいかい?」

「これがただの手合わせであればな」

「言うと思った。負けず嫌いな兄さんなんか嫌いだよ」

「私もお前が嫌いだ。心底憎い、見殺しにしておけばよかった」

「わかってる。言わされてるんだろ」


 クリムはそう言うとぶつかり合った時と同じ構えを見せた。低い構えだ。カーマインもその時と同じ、正眼の構えを見せる。

 しかし、両者は中々踏み出さなかった。この遣り取りで恐らく決着がつく。


 疲弊したクリムはこれ以上の長期戦は無理で、剣にひびが入ってしまったカーマインも同じ、長くは打ち合えない。

 どちらも必殺の一撃を狙っていて、それは同時に深い愛情で結ばれた肉親に別れを告げることを意味した。

 

 クリムは心で躊躇い、カーマインは魂で躊躇う。

 

 両者押し黙り、緊迫した空気を漂わせる中、「あ、クリムの兄貴!」と戻ってきたプチィの場違いな声が響き渡った。

 ――次の瞬間、二匹は駆け出し、身体をすれ違わせ、剣を交差させる。


 カキンという金属音は鳴り響かなかった。決着はしめやかに、音もなくついた。

 焼き斬られた砂嵐の剣がまず刃を折って高い金属音を響かせ、一拍置いてカーマインもどさりとその場に崩れ落ちる。


 クリムは身を翻して、兄の傍に歩み寄った。


「僕の勝ちだ。僕の勝ちだよ、兄さん」

「驚きだ……、本当に強くなったな、クリム……」


 プチィに続いて戻ってきた皆が見守る中、二匹はそんなやり取りをする。

 カーマインの骨の身は、斬られた腹が赤く焼け爛れ、腹部を焼く熱が徐々に彼の身を侵食していっている。


 長くはもたないだろう。恐らく、土に還ることなくそのまま灰となる。そして空に舞い上がって、光差す天へと辿り着くはず。


「どうしてお前を憎んでいたのだろうな……、愛おしい弟だというのに」


 カーマインの口からそんな言葉が出た瞬間、クリムは目を見開き、声を震わした。


「兄さんっ――――、正気に……」

「ああ、全部思い出した。命を奪われるばかりか、魂まで利用されるとはな。情けない……」


 頭に浮かぶ頭目の顔。下卑た笑い声を上げながら、父を手に掛け、民を蹂躙した。

 クリムはぎゅっと拳を握り込み、兄さんまでと、内で憎悪を煮えたぎらせる。


「クリム、大きく成長したお前を最期に見れて良かった。ライムは元気にしているか?」


 しかし、その言葉でハっと我に返り、クリムは優しい顔で嘘をついた。


「元気にしてる。いつも元気に庭を駆け回ってて困ってるよ」


 ふっ、とカーマインが笑いをこぼす。

 

「あまり手を焼かせるなよ」

「そんなことはありません!」


 思わず口調が戻っていたが、クリムは構わず言った。


「ライムが私の手を焼かせているのです……」

「お前は、変わらないな……、取り残され、変わってしまったのは――――」

「兄様……」

「私だけ、か………………」


 息を引き取るように、カーマインが頭蓋に灯す青白い火を消すと、クリムの口からは嗚咽が漏れる。


「兄様、私は……、私は兄様を……」


 斬った。殺した。その事実が重く圧し掛かり、胸を締め上げる。

 膝を落とし、灰となっていく亡骸を抱いて思うのは、どうしてこんなことになっただ。

 実の兄を、大好きな兄をこの手に掛けたくなどなかった。

 誰のせいだ。誰が兄の気を狂わせた。誰が兄の魂を弄んだと彼は心の中で血を吐くような慟哭を上げる。

 

 その直後、ゆらりと立ち上がり、彷徨う幽鬼のような怨念漂わせる顔を覗かせた。


 その顔は見ている者達を委縮させた。声を掛けようとしていたベリーの手を止め、他の者達も息を呑む。

 同時、つぅと額から脂汗を滴らせながら、彼と付き合いの長いヴィージュが大声で警告を発した。


「離れろっ! 今のクリムに近付くなっ!」


 よく分かっていないような視線が皆から飛んできても、ヴィージュは構わない。

 クリムの前を塞ぐ近衛達を「どけ、いいからどけ!」と貴族であるなど関係なく有無を言わさない態度で押し退け、大きく道を開けさせた。

 

「ねぇ、何なのよ。クリムどうしちゃったの?」

 

 ベリーに裾を引っ張られ、ヴィージュは干上がった喉で答える。


「ああ、初見じゃ分かりにくいよな。ありゃ完全にプッツンいってんのさ。ああなったクリムはマジモンの狂戦士だ。触らねぇに限る」


 ベリーの眉が寄る。怪訝な表情だ。


「まぁ何となくは分かるけど……そんなに?」

「見りゃあ分かるだろ」


 改めてクリムを見ると、ゾクリときて、ブルと震えるとベリーは全身の毛を逆立てた。


「クリム……」


 ハリモグラとなり、心配そうな眼差しを向けて彼を見送ってしばらく経ってのことだ。


 大きな咆哮が響き渡って、彼女は思わず身を竦めた。

 鼓膜が破れるかと思うほどの大声。獰猛で、まるで猛獣。


 クリムの声だというのは何となく分かったが、イメージとかけ離れ過ぎている。

 どんな時も優しい微笑みを絶やさない彼の王子様然としたイメージが、音を立てて崩れていく。


 嘆き悲しむ彼女の横では、耳を折り畳んでプチィも震え、マッシュを思い出していた。


「クリムの兄貴……、兄貴もじいちゃんみたいになるのかよ……」


 本来は、この勝利をいち早くクリスタに届けなければならない近衛達も身が竦んで動けず、やがて砂塵が晴れてきて、同じように呆然と立ち尽くす猫達が映った。


 その横では、オーガのような形相で残る屍共に剣を向け続ける守るべき王子がいて、憎悪の炎で全てを焼き尽くすと、直後に膝を折る。


 そして、まるで激しい戦いがあったことなど嘘のようにしんと静まり返った戦場に、大きな大きな慟哭が響き渡った。

 張り裂けんばかりに口を開いて上がったその叫びは、すぐに風に溶け、空に消える。

 それからは、オルゴールのように物悲しく流れる嗚咽だけが、響いていた。

 いつまでも、終わりなく、泣く者の心情を現すように、涙が枯れるその時まで、静かに静かに響いていた――――。

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にゃんこ・な・ふぁんたじー 太陽と月の猫歩軌 ねこあな つるぎ @nekoanaturugi

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