兄弟 ④
「だからって――――」
信じられない、と言わんばかりの顔をしたベリーであったが、きゅっと手を丸めるや指から爪を覗かせ、怖い顔で彼を脅し掛けた。
「早く止まりなさい。でないとこの傷口引っ掻くわよ」
「好きにするといい。血まみれになろうと僕は行く」
「どうしてそこまで――――」
「砂の国の王族に生まれた者としての責務。いや、逢いたいだけかな……」
クリムは遠い目をして、沈みゆく夕陽を見つめた。
既に半分ほど地平線に顔を隠し、冥府を思わせる夜闇が、空の向こうから近付いてきている。
また、兄さんに逢える。今度は何を話そうか――――。
決まっている。どうして寝返った。それしか思い浮かばない。
もっと他に話したいことがあるはずなのに、頭にはそれしか浮かんでこない。
その時、腰の鞘から光が漏れた。それを見てクリムはこう思った。
「案内してくれるのかい?」
問い掛けても返事はないが、そんな気がしてならない。カーマインも妙なことを言っていた。
『呼ばれているような気がして来てみれば』、恐らく、砂嵐の剣に導かれた。そしてこちらへ来た。
逆があっても良いはずだ。二本の剣はいつも共にあり、まるで兄弟のように過ごしてきたのだ。今の自分と同じように、逢いたいはずだ。逢って話がしたいはず。
何を話そう、と思考を堂々巡りさせながら、クリムは悲壮感漂う一歩を踏み続ける。
こんな迷った状態で、果たしてカーマインを、大好きな兄を斬れるのか。
斬りたくなどない――――、血を分けた肉親を、斬りたい者などいてたまるか。
焦燥や躊躇いを胸に、彼は仲間達と共に陽が沈みきる前に戦列に混じり、右翼と中央部隊の間に割って入る。
早々の離脱に胸に負った大傷、兵は歓迎してくれず、進むのが大変であったが、彼らを掻き分け推参した者達が道を作ってくれた。
跨るネコグリフから降りるや一斉に傅き、燃え上がる火のような目がクリムへと向けられる。
「殿下、御身を守るどころか、成す術なく敵の大将を逃してしまった不甲斐ない我らにもう一度チャンスをお与え頂きたく、我らはここに参上仕りました」
「別に期待してなかったし、斬られたのは僕の落ち度だ。やりたいなら好きにするといい」
素気無い返事で、一拍の間があったが、「ハッ!」と一斉に声を上げるや、見違えるような顔を見せるようになった近衛達が、ネコグリフに跨り直してざっとクリム達の前へ躍り出る。
「でも、今度は期待するとしよう。その手に持った槍で、腰に携えた剣で、立ち塞がる雑兵共を退け、僕を敵大将の所まで導いてくれ」
おぉーっ、と大きな勝ち鬨が上がる。奮い立った者達から上がる熱気が辺りを包み込む。
「相変わらず、すげぇな。お前の親衛隊」
ヴィージュがそう言った。
「おいらも頑張らねぇとな。手柄を全部取られちまいそうだ」
今度はプチィがそう言う。ベリーも自らクリムの背から降りて、何やら唱え始めた。いや、彼女は言葉を知らぬ猫のように鳴き始めた。
「にゃぁ~ぅ~、にゃ~ぅう~」
すると少しして、兵の頭の上をビュンと何かが飛び越えていき、ベリーの手にすっぽり収まる。
「その魔法は初めて見たね。魔法の杖よ、飛んでこいって唱えたのかな」
クリムがそう問い掛けると、ベリーは軽く杖を振って言った。
「そ、古猫語で唱えたの。ちょっと鳴き方を間違うだけで失敗する、難しい唱え方だから、普段はしないんだけど」
「今回は特別サービスってことね」
「もう付き合うしかなさそうだから、気合入れたのよ。死んだら許さないから」
「そしたら剥製にキスしてくれ」
「誰がするか! するなら今――ってなんでもなーいっ!!」
ぶんと杖を頭目掛けて振り回され、クリムは慌てて顔を引っ込める。
危なかった。少し掠った。
「ベリーさん!」
マロンに窘められて、ベリーはハっとする。
「ご、ごめんねごめんね。でもクリムが悪いんだから」
なぜ、分からずにクリムは肩を竦める。
アクションで彼女に伝えていると、「あの、これ」とマロンに丸薬のような物を手渡され、「これは?」とクリムは尋ねた。
「痛み止めです。必要だと思って」
「助かるよ。今すぐ呑んでおく」
しかし、丸呑みするには少し大きい。口に放り込み、噛むと、ドブを煮詰めたような味がした。良薬は口に苦しと言うが、飲み下すのに苦労した。
即効性はないのか、じくじくする胸の痛みは引かず、どれくらい効果のあるものかも分からないが、気休めくらいにはなるはず。できたら、今感じている痛みを全て取っ払ってもらいたい。
そうしたら思う存分遣り合える。やるしかないんだ――――。
クリムは腹を括って、太陽の剣を抜き放つ。夜の訪れを告げる、冷たい風が吹き始める。
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