兄弟 ②
それがクリムの目には、止まって見えた。
夢で目にした剣の舞踏会。そこで舞っていた二匹の鋭い剣捌きに比べたら、大したことはない。あくびが出そうなほどだ。
ふぁ~あと実際にやりそうになりつつも、クリムは頭に思い浮かぶハットの動きを真似た。
軽く身を捻って突きを躱し、目にも留まらぬ速さで踏み込んで、マスターシュの喉元に剣の切っ先を突き付ける。
「今の僕の動きは相当キレてるよ。自分が自分じゃないみたいだ」
ほんの一瞬、マスターシュは驚いたようにパチっと目を見開き、すぐに表情を戻して身を引いた。クリムも剣を下ろす。両目を真っすぐ見られていた。
「似ているな。だが目だけだ。他は似ておらん」
何の話をしているのか分からず、クリムは首を傾げそうになり、ハッと気付く。
「鏡を見て自分でもそう思ってるよ。母親そっくりの高い鼻のせいだろうね。みんなは僕の顔を父親似だって言ってたけど、自分では母親似だと思ってる。実際似てないだろ? いつ砂の国に来たのか知らないけど」
マスターシュは思考を巡らすように一瞬目を落とすと、ふんと鼻を鳴らして笑った。
「確かに。砂の国の王妃は鼻が高かった」
「覚えていてくれて良かったよ。記憶力が良くてびっくりだ」
「……いや、私も焼きが回ったものだ。それだけのことで信じるところであった」
すぐに仏頂面となったマスターシュは、身を翻し、彼と交代するように今度はクリスタが来る。ただ、すれ違う時に自らの腹心に軽く声を掛けていた。
「用は済んだのか?」
「はい」
向こうへ歩いていくマスターシュの背中は小さく、先ほどまであった覇気が失せている。子を失い、悲嘆に明け暮れる親の心情が見えるようだ。
「話は聞こえていた。行かせてやればいいだろう」
クリスタが開口一番放った言葉に皆驚く。プチィだけは状況が呑み込めないようで、きょとんとした顔をしているが、いち早く立ち直ったスカイが反論していた。
「ニャルキュリア、馬鹿なことを言わないでくれ。クリムに死なれると困るんだ」
「ほう、何が困るというのだ」
「態々言う必要があるかぁい?」
「それには同意だ。だが、あえて言ってやる。赤毛のクリムがおらずともこの戦場は滞りなく回っていた。お前の元いた東もだ」
彼女の言葉にスカイは額を押さえていた。
「ちっとも滞りなく回ってなかったから、陛下の勅命が私にきた。笑えない冗談はよしてくれ、頭痛がしたよ」
「ああ、金色の穂畑から態々出向いてくれた猫じゃらし拍には感謝している。魔術とまで謳われる巧みな策を封じられていようと、見事な働きぶり。お前が来てから兵の損失が著しく減った」
「それはどうも。で?」
クリスタはその問いに一拍置いて、ニっと笑い返す。
「お前は必要だ。お前に死なれては困る。だが、赤毛のクリムがここに来て何をした。早々に倒され、ベッドの上で寝ていただけだ」
うぐ、とクリムは苦虫でも噛んだような顔をする。事実だけに何も言い返せない。しかし、スカイは違った。
「論点をすり替えないで欲しい。クリムが必要であるかどうかの話と、彼がこちらで一切活躍できていないことは関係ない」
「それはお前の論理だ。私には関係ある話で、だから言った。行かせてやれば良いとな」
「ああ、そう。よくわかったよ。この話が平行線になることだけはね。君はクリムが野垂れ死んでもいいと思ってる。私はそうじゃない。彼は家族なんだ、長い事戦場を共にしてきた、大事な家族。可愛い弟のように思ってる」
「で?」
「で、とは?」
「お前の弟は、兄の言うことを素直に聞きそうか?」
「それとこれとは話が別だ」
「聞き分けが良さそうには見えんだろう」
スカイにそう返した直後、クリスタの目はクリムに向く。
「行ってこい、赤毛のクリム。私が許可する」
「勝手に許可しないでくれ!」
間髪入れずにスカイが声を荒らげた。感情剥き出しの怒りを爆発させるような顔だ。
「彼の身を預かってるのはこの私だ! 違うかい」
「この戦場のトップは誰だ。お前か?」
「君に隷属した覚えはないね。我々は等しく陛下の臣下、陛下の御意向であれば私も引き下がるけどね。君こそ私を従えていたつもりかぁい?」
二匹が睨み合い、火花を散らす中、抜き身にしていた太陽の剣を仕舞ったクリムが、すっと頭を下げた。
「スカイ、一生のお願いだ。僕を行かせて欲しい」
「絶対に死なないって約束してくれるのならね。そんな約束――」
約束する!と力強く言い放って彼の言葉を遮り、クリムは続けた。
「僕は必ず生きて帰ってくる。だから、お願いだ、スカイっ!」
冗談も通じないのかと思って、スカイは苦い顔をした。
本音を言えば、行かせてやりたい。だが、あの深手で何ができる。すぐにくたばるのがオチだ。
確かに彼の動きは今まで見た中で一番キレていた。長い事その戦いぶりを見てきたが、あんな流麗で華のある、身の動きは初めて見た。
いつもはもっと荒々しい、怒りに身を任せたような戦い方をしていた。
いつの間にそんな剣を覚えたのか。
少しの寂しさを覚えつつも、その成長ぶりを素直に喜んでいる自分もいて、スカイは迷い、その時思った。
家族の言葉を信じるのも、肉親の務めかと。
同時に自分が嫌になる。彼を死地へ送り込もうとしている。何が何でも引き留めねばならぬ場面だというのに……それもまた家族の務めだ。鋼の意思で初志貫徹しようとしたが――――負けた。折れた。思わず天を仰いでいた。
茜色の空が見える。美しく、雄大で、どこか哀愁のような物悲しさが漂うのは、見ている者の心情でも写し取っているのだろうか。自身の毛色と同じ色合いを覗かせる空が、今はまるで鏡に思えた。
「綺麗な空だ……、君を行かせたくはないな」
スカイはそう言うと視線を戻し、クリムにこう告げる。
「絶対に行くなよ。許さないからな」
「スカイ……」
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