第八章 終幕
兄弟 ①
「放してくれ、ベリーっ! 僕を行かせてくれ!」
「ダメよ! 絶対ダメ! 絶対に行かせないからっ」
「お願いだ! 頼むよ!」
「ぜぇったいに行かせないっ!」
二匹の騒ぐ声を聞きつけ、休んでいるテントからちらほらと兵が顔を覗かせる。
その中には、クリムがいない間活躍していたプチィもいて、駆けてくる。そして、来るなりへへと鼻下を擦り、得意げな顔をしてこう言った。
「おせぇよ、クリムの兄貴。おいらクリムの兄貴がいない間、超活躍してたんだぜ。みんなすげぇって褒めてくれてよ」
クリムではなく、ベリーが言い返す。
「そんなこと言ってないで、あんたも止めに入ってよ」
あぁん、と怪訝そうな顔をしたプチィの後ろから、ヴィージュとマロンもやって来る。そして、不機嫌そうな顔つきで、ヴィージュがこう言った。
「起きて早々痴話喧嘩たぁ、元気だな? こっちの気も知らねぇでよ」
「悪い、心配掛けたか?」
「ハッ、心配なんざしてねぇよ。ただな――」
何でもねぇよと言葉を呑みこんで、クリムに近寄ると、ヴィージュは拳を握って彼の腹を小突く。
「いっ――っう」
「こいつは前の礼だ。戻ってくんのがおせぇんだよ」
顔をしかめながら、クリムは思った。どうやら、かなり心配を掛けたようだと。
心配していなければ、こんなに怒るはずもない。
スカイもやってきて、ニコっと笑うや両手を広げ、クリムは迫ってくる彼に蹴りを入れる。
「クリムぅ~、うぶ……容赦ないね?」
「わざとやったろ」
「君の可愛い悲鳴が聞きたかったからね。でもそれは、ストロベリー嬢に任せるとしよう」
スカイにパチっとウインクされたベリーが、ハっとした顔になって、締め上げを強くした。
強烈な痛みにクリムの顎は跳ね上がる。しかし、喉から出掛かった悲鳴は寸でのところで堪えた。思い通りにしてたまるか、そんな想いがそこにはあった。
「クリムぅ、どこに行こうとしてたんだい?」
「僕の、勝手だろ……」
「そうはいかない。君を失っては大きな損失だ。君にはそれだけの価値がある。分かっているのかぁい?」
「……倒しにだよ」
「ほう、誰を?」
そう問い掛けるスカイの目は、鋭い目付きをしていた。
「亡霊を。彷徨う亡霊をだよ」
ふ~んと相槌を打って、当然とばかりにスカイはこう言う。
「行かせる訳ないだろ」
「頼む、どうしても行く必要があるんだ」
「なぜ? 理由がさっぱり分からないな。どうして君が行く必要がある。相手が砂の国の民だからかい? そ・れ・と・も――――」
そう言いながら、スカイはクリムに近寄り、耳打ちした。
「君と親しい間柄だったから、かな?」
瞬間、クリムの表情が強張った。スカイはふっと笑って身を離し、「みんな知ってる」と彼に告げる。
「上の者だけだけどね」
クリムは何と言えば良いのか分からず、下唇を噛んで俯き、言葉を探した。
しかし、良い言葉は浮かんでこない。しらを切り通すのは、無理な気がした。
「まさか面識があったなんてね。そういえばクリムには歳の離れたお兄さんがいたね。確か名は――――」
うわっ、とベリーが声を上げた。彼女を担いだまま前に踏み込んだクリムが、いつの間にやら抜いた剣を、スカイの首筋にあてていた。
しかし、スカイは顔に張り付けた余裕の表情を崩さない。
ひゅーと口笛を吹き、「おぉー怖い怖い」と、恐怖など微塵も感じていない素振りで言う。
「スカイ、頼むよ。何も訊かずに行かせてくれ」
「その傷が治ったらね」
「それじゃ遅いんだ!」
「なぜ?」
「……わからない。わからないけど」
俯き加減に頭を揺らし、そう言った直後、クリムは何となくその理由が分かった。
「けど?」
「一秒でも早く確かめたいんだ」
「話にならないね」
「スカイっ!」
その時だ、「言って駄目なら、体に教え込めば良い」と、立派なヒゲを生やした赤毛の猫が来る。
「スピアはお前の為に死んだ。お前はその死を無下にするつもりか」
マスターシュの言葉にクリムは驚愕を浮かべ、「スピアが……」と微かに声を震わした。
その後俯いて、そうかと小さく呟く。
「死を無駄にするつもりかと問うている」
「いや、そんなつもりは……」
「ないのだな?」
クリムは少し間をあけて、答えた。
「勿論ない。僕は死にに行くつもりはないからね」
「それが貴様の答えか」
怒りを覗かせたマスターシュの身体から、気炎が立ち昇る。怒りの炎だ。実際に炎など上がってはいない。
しかし、強烈な圧を貰ったクリムの目には、確かにそう見えた。身を焼き焦がすほどの深い悲しみや嘆き、怨みの念が炎を通して伝わってくる。
思わず身を引きそうになる。が、クリムは歯を食いしばって耐えた。ここで引いては目的も果てせずに終わってしまう。またベッドの上に戻る訳にはいかない。
「ブラウンのご令嬢よ、降りてもらえるか」
ベリーはパっと手を離し、彼から離れる。クリムがまずいとは思いつつも、勝手に身体が動いた。傍にいた他の面々も一緒に距離を空けていた。
「誰のせいでスピアが死んだと思っている!」
それは魂の咆哮であった。スピアは持参していた鉄の槍をひっくり返すと、柄をクリムの腹目掛けて突きこむ。
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