陽だまりの夢 ③

「すまぬが、目を通さねばならぬものが山積みでな。ライムと遊んでいてくれるか」


 食事が終わるとカーマインとは遊べなくなり、クリムはライムを連れていき、人形遊びに勤しむ。

 妹に気を遣ってそういう遊びを選んだのだが、良い迷惑であった。ライムは静かに本を読む方が好きで、面倒なと顔に書いてある。

 

 クリムは構わず、いや、気付かず遊んで遊んで、電池が切れたように妹を抱いてその場にこてりと倒れ込む。

 直後、腕の中から這い出したライムが窓辺へ行き、暗くなり、星月覗く空を見上げた。

 相も変わらず無表情ではあるが、今の彼女が纏う空気にはどこか大人びたものがあった。いや、そもそも最初から彼女だけ雰囲気が違った。まるでこの夢の住人ではないかのように。


 すっと夜空に翳した手に、美しい短剣が握られている。装飾された柄には宝石がいくつもはめ込まれ、曲がった刃はまるで空に浮かぶ三日月のよう。

 

「アホ、起こすぞ」


 磨き上げられた刃は鏡のように景色を映し込み、それにうつるクリムの寝顔を見て、ライムはそれを取りやめた。


 安らかな顔だ。もう少しだけ、楽しいこの夢の中で過ごさせてあげたかった。二度と取り戻せない日常を映し出すこの夢の中で、もう少しだけ――――。

 

 しかし、この夢は毒だ。心を蝕まれるまえに早く起きなければ。

 滞在時間が増えていくほどに体は衰弱していき、やがては外へと出られなくなる。


 強い信念で誘惑を跳ね除け、ライムは頃合いを見計らう。

 陽だまりのような夢で過ごす日々は、あっという間に過ぎていく。

 その間、クリムを遠目から、そして近くから見守っていたが、彼は笑顔を絶やさなかった。

 カーマインにべったりで、父にも甘えん坊なところを見せる。こちらにだけは兄らしいところを見せようとしてくるので鬱陶しいが、本当に幸せそうで、心が大きく揺らぐ。


 起こしたくない。辛い記憶を呼び戻したくない。ずっとこの夢の中で、幸せに過ごしていてもらいたい。


 我が儘なことは分かっている。ただの押し付けであることも。でも、唯一の肉親に幸せでいて貰いたいと思う気持ちの何が悪い。

 

 駄目だ、心が負けそうだ――――。

 夢に入って七日目の夕刻、ライムは限界を感じた。

 

 遊びにきていたクリムを中庭まで引っ張っていくや、にゃと鳴き告げる。きょとんとするような顔をしていたクリムが、それを聞いてふっと笑った。


「なんだ、外で遊びたかったのだな。おいかけっこか、かくれんぼか?」

 

 頓珍漢なことを言って、抱き上げようとしてくるクリムの手をライムは払った。

 失敗した。やはり鳴いただけでは伝わらない。全部伝わった乳母とは違う。彼女の読み取る力が高過ぎたせいで、鳴くだけで心は伝わるものだと誤解してしまい、染みついてしまったこの癖だけは直ることがない。


 いや、直そうとすら考えなかった。誰であってもこの双子の兄よりはもう少し伝わる。どうしてこいつだけは明後日な方向に解釈するのか。

 

 今そんなことはどうでもいいと思って頭を振り、ライムはしっかりと言葉で伝えた。


「いい加減おきろ、バカ兄」


 するとクリムは驚愕を浮かべ、声を震わせた。


「ライムが……、喋った」

「お前以外には時々喋ってる」


 何がいけなかったのか、クリムの両目に玉のような涙が浮いた。


「……どうしてだ。どうして私とは喋らない? 私が、嫌いだったのか……?」


 嫌いな訳ではない。今にも泣き出しそうな相手に理由を告げるのは心苦しいが、いや、やっぱり苦しくない、全然苦しくないと思って、ライムはストレートボールの構えを見せた。

 いい加減伝えておいてやるべきだと思ったから。自分がどういう風に見られていたかを。


「暑苦しいから」


 ズドン、と胸の芯を捉えた言葉にクリムは強いショックを受けたが、同時に頭に見知らぬ猫が浮かんで、困惑した。

 スカイ、そんな名まで浮かんでくる。凄く暑苦しい奴だというのも何故か分かる。

 

 その時、ライムが鋭い踏み込みを見せ、彼の頬を殴りつけた。


「もう時間だ! 起きろバカ兄、死にたいのか!」


 瞬間、カっと頭に血が昇るのを感じ、クリムは声を荒らげた。

 

「何をするライム! 急に殴りつけてくるとは――――うわっ!」

 

 飛びつかれて押し倒されたクリムと、マウントをとったライムとの取っ組み合いの喧嘩がそこから始まる。

 オォアア!と両者高い威嚇の声を上げながらネコパンチの応酬。鋭い爪を覗かせ、引っ掻きあったりもした。

 

 不思議だった。クリムはその時不思議に思っていた。

 取っ組み合いの喧嘩など今まで一度もしたことがないというのに、体が覚えていた。

 パンチが見える。鋭いパンチも何故か放つことができた。

 

 しかし、ライムの動きもキレていた。

 殴り慣れているような、いやそれ以上、彼女の動きは格闘技経験者のそれであり、防御が巧みで、クリーンヒットが出ない。


「おら、どうしたバカ兄! そんなもんか!」

「やめろライム! それに先程からバカバカと、それが双子とはいえ兄に向かって!」


 言う言葉かと、最後まで言うことができずに顔面に良いのを貰った。


「ぎゃふっ!」


 怒りに任せて雑に放ったパンチにカウンターを合わせられた。強烈な一発で意識が沈む。


 吸い込まれるような感覚がした。長い長い洞窟を歩いているような感覚もして、進む方角の先には、まばゆい光。その光からは、聞き覚えのある声がしてくる。


「クリム――――クリムっ!」


 高いメスネコの声。切羽詰まったような感じだ。心配されていると思った。早く、彼女のもとに帰らないと。


「悪いね、ベリー」


 そんな言葉が口をついた瞬間、クリムは光の先にいた。見覚えのない天井と、見覚えのある茶色い毛に覆われた顔。

 涙で頬を濡らす彼女の目元に手をやり、クリムはこぼれ落ちる涙をそっと指で拭った。


「どうして泣いているのかな、悲しいことでもあったかい?」 

「クリムっ!!」


 抱きつかれ、クリムは絶叫した。


「うにゃあああああああっ!!」


 凄まじい痛みが走った。それで全てを思い出した。兄に斬られたのだと。

 だが、まだ信じられない。あれは本当に兄だったのか。

 あの優しかった兄が、国を担う者として立派な背中を見せていた兄が、どうして。


 ――――どうして寝返った。全てを奪っていった憎き相手に、どうして……。


 混乱する頭で、クリムはベリーの背中をタップしていた。

 早く力を緩めてくれないとまずい。また意識がとぶ。


「ベリー、ギブ! ギブだって! 傷口が……」


 ベリーはパっと体から離れ、しゅんとした表情を見せる。

 

「ご、ごめんね。私うっかり……」

「いや、僕の方こそ心配かけて悪い。僕は意識を失ってたんだろ、よく生き永らえたもんだ……」


 砂嵐の剣から発生する風の刃は、岩をも真っ二つにするほどの威力がある。

 なのに、どうしてまだ息をしているのか。

 本人の意思で威力を弱めない限り、あることではない。なら、何故不意を打った。殺す気もないのにいきなり斬る必要はない。疑問は尽きない。

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