陽だまりの夢 ②
しかし、これが当たらない当たらない。身じろぎするような僅かな身の捻りで回避され、カーマインはぎりぎりと歯を掻き鳴らす。
「テンポが一定過ぎる。もう少し緩急をつけた方がいいね」
「どうせ躱すのでしょう!」
「耳を澄ませば聞こえるからね。見えない刃ではあっても、聞こえぬ刃ではないよ」
僅かではあるが確かに風音がしていた。両目を閉じ、耳を澄ますとよく聞こえる。
縦横無尽に空を駆ける刃。縦薙ぎなのか、横薙ぎなのかまでは流石に分からないが、ハットには分かるようで見事に対応して見せていた。
「まるで見えているように見えますね……」
「だから、聞こえてるんだって。風音に耳を澄ませてごらん。微かな音の違いが分かる」
分からないのか、カーマインは渋面を浮かべていたが、素直によーく耳を澄ましてみたクリムには、何となく違いがわかった。
ヒュンとくるのが縦薙ぎで、フゥンとくるのが横薙ぎだ。
ハットの身の動きで答え合わせをして、彼が縦薙ぎの刃を横に避けた瞬間、逆側からクリムは飛び掛かった。
「おっと――――、違いが分かったんだねぇ。流石は剣の申し子の弟君」
「でかしたクリム!」
受け止める為に刃を振らされ、ハットの体勢が僅かに崩れている。
カーマインはその隙を見逃さず、砂嵐の剣を構えてハットのトレードマークを斬ろうとした。
が、首根っこを掴まれたクリムがぶらんと下がった状態で前に突き出され、刃を放てず奥歯を噛む。
「ほぉらどうしたカーマインくん。振ってはこないのかい?」
カーマインは怖い顔をして、ハットを睨んでいた。
「……できる訳ないでしょう」
「二対一が必ずしも有利に働くとは限らない。それから――――」
ハットはクリムを放り投げ、受け止めようと両手を開いたカーマインの首筋に目にも留まらぬ速さで刃の先を突きつける。
「戦いというのは何でもあり。正々堂々遣り合いたいなんて高潔な魂は、そこらへんの鼠にでも喰わしておくように。ここ鼠いないけど」
ではねと、ハットはひと汗掻いた良い顔で、踵を返して去っていく。
「すみません兄様……、私が不用意に飛び掛かってしまったばかりに、土を……」
「そんなものは既に埋もれるくらいにかけられている。それにしてもお前の思い切りの良さは天性の才であろうな。先生のように聞こえていたみたいだが、見えぬ刃を怖いとは思わなかったのか?」
「兄様が振るう刃です! そんなことちっとも思いませんでした!」
短い沈黙のあと、カーマインはふっと笑い、クリムのおでこを指で弾く。
「へにゃ、急に何をなさるのです!」
「少しは怖がれ。まるで私の剣が大したことないみたいではないか」
「そ、そのようなことは言っておりません」
「わかっている。冗談だ。強くならねばな」
そう言うとカーマインは砂嵐の剣を腰の鞘に戻し、クリムを抱き上げるや高く持ち上げた。
「どれ、久方ぶりに一緒に砂浴びでもするか」
「はい! お背中お流し致します!」
クリムは両目を輝かせ、兄と一緒に砂風呂に入れることを大いに喜ぶ。
立派な世継ぎになろうと日々努力し、いつも忙しそうにしているカーマインと入浴するなどいつ以来だろうか。
うきうき気分で城内へと戻り、浴室まで続く長い廊下を歩いていた時だ。
妹のライムを見掛け、クリムはすかさず駆け寄って、先ほど兄にされたのと同じように彼女を高く抱き上げた。
「ライムも来るか! 来るのだな!」
「にゃ」
喜んで来るようだ。背中を引っ掻かれているような気もするが、気のせいだ。
と思うのは彼だけで、苦笑を浮かべるカーマインがこう告げる。
「クリム、ライムを放してやれ。嫌がっているではないか」
「まさか、ライムは喜んでおります」
カーマインは言葉を失いそうになったが、クリムが妹の感情を読めないのはいつものこと。すぐさまこう伝える。
「どこがだ。お前の目にはそう見えるのか?」
「はい!」
元気いっぱいの返事をもらい、カーマインは思わず頭を抱えた。
そうだよな、ライムと問われ、表情一つ変えずに「にゃ」としか返さない妹にも問題はある。
嫌なら嫌とはっきり口にすればよいものを、だからクリムが勝手な解釈をする。
なし崩し的に三匹で砂浴びすることになり、夕餉の時間。
身綺麗にした三匹は、揃って広い食堂へと向かい、父ラー・ペルシャとともに長いテーブルを囲んだ。
並んだ料理は豪華絢爛。砂の国特有のゲテモノ食材も宮廷調理師の手に掛かれば、食欲のそそる色味豊かなものへと変わり、咲き誇る花のようにテーブルを彩る。
ただ、どれもこれもが冷めていた。王宮に暗殺の歴史はつきもの。
毒見役がまず試食をし、時間を置いて害がないことを確かめてから持ってこられるゆえ、致し方ないことではある。
しかし、それを口にする家族の顔は、決して冷めたものではない。彼らが織り成す暖かい食事風景を、後ろに飾られた大きな絵画に写るメスネコが、優しい目で見守っていた。
彼女は王妃。双子を生んだあと容体を悪くし、ほどなく天へと召された。
急な逝去に悲しみに明け暮れる者も多かったが、クリムがそのことで寂しさを覚えたことはない。いないのが当たり前であったから。
何より、優しい兄と可愛い妹がずっと傍にいた。無論、父もだ。母のように世話を焼いてくれた乳母だっている。召使いも沢山いて、孤独を感じたことはない。
ただ、母の話を聞くのは好きで、絵画を見ながら彼は言う。
「私の鼻は母様に似ているのですよね?」
「ああ、だが他は父上似だ。私も太陽王の眼差しを受け継ぎたかったものだが……、いかんな、母上の前で悪い」
ラー・ペルシャは国で一番鼻が高いメスを娶った。彼の鼻は他の猫よりへこんでおり、それを密かに気にしていたのだ。
しかし、低い鼻だと顔全体が長毛に覆い隠され、王としては威厳がある。そこからくりっと覗く目にも力強さがあった。母の瞳を受け継いだカーマインには、ないものである。
「カーマイン、そのようなことを気にするあやつではない。真珠のように美しく、清らかで優しい母であった。そうであろう?」
「はい、暖かい母でありました」
「兄様! 父様も! もっと母様の話をお聞かせてください!」
「またか」
カーマインは呆れ顔だが、願いを無下にするつもりはない。寂しい想いをしているのだなと誤解していた。それは奥の席に座るラー・ペルシャもそうで、長い顎ひげをひと撫ですると、そうだなと語り出す。
紡がれる王妃と過ごした若きの日の思い出。ただの日常を仰々しく脚色しただけのものであったが、ラー・ペルシャは話し上手で、クリムは目をきらきらと輝かせて拝聴する。
剣を振るのが好きで、誰かが語る物語も好き。将来はカーマインのような文武両道な者に育つことを期待されている彼であったが、実際のところ文の方には大して興味がない。
ただ、話すのが好きで、聞く方に回るのも好きというだけ。自覚のないまま愛に飢えていた。寂しいという感情を持ったことは確かにない。が、それは寂しいという感情がどういうものか、彼が知らなかったからに過ぎない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます